承前

ボブ・ディランが好きだ。他人にその話をすると、「ああ、『風に吹かれて』の。」という返事がくるか「それ誰?」と返されることがほとんどだ。知らない人は、まあしょうがないけれど、「ボブ・ディラン」で「風に吹かれて」が連想されると、ちょっとたとえは変だが『RCサクセションの中では「雨上がりの夜空に」が一番好き』と言われたときのような気分になる。
いや「雨上がりの夜空に」もいい曲だと思うけれど、RCには他にも「Oh Baby」とか「あの歌が思い出せない」とか「分かってもらえるさ」とか「それで君を呼んだのに」、「うんざり」とか、もう名曲がいっぱいあるから、『そういう曲も聴いてみればいいのに』と言いたくなってしまう。
これと同様に(いや、それ以上に)、ボブ・ディランはあれだけ長いことやってきたひとで、しかもどのアルバムにも名曲が必ず入っている、というすごい達人だ。せっかく「風に吹かれて」を知っているんだから、もっと違うディランにも触れてみたらいいのに、そう思えてくる。

私は「血の轍」というアルバムに入っている曲がとても好きだ。アパート暮らしだったころ、こればっかり、一日中聞いていたことがある。このアルバムは、ディランが激しい恋の終末期に、自分の個人的な印象を集めて作られたもので、それだけに美しいメロディの中から、痛切な思いが伝わってくる名作だ。私の個人的な意見だが、「血の轍」は、アルバム全十曲中、八曲が名曲で、残りの二曲も無駄になっていない。というか、他の曲を引き立たせるために、欠くことのできない佳曲になっている。
とか言ってみても、私も最初からこのアルバムが大好きだったわけではなく、なぜか気になって毎日のようにかけて聞いているうちに、じわじわとそのすごさが伝わってきて、やがてとりこになってしまった、という次第。だから、このアルバムをあまり他人に勧める気になれない。何回も何回も繰り返して聞く、という楽しみ方は、今はあんまりはやらないから。それにディランも言っているように「人々がある種の苦痛を楽しむことができるということが」可能なものか、実のところ私にもわからないのだ。「Idiot Wind」とか「彼女にあったら、よろしくと」といった美しくも悲しい曲を聴いている時、私はこの音楽を「楽しんでいる」のか、それともディランの激しい感情に揺さぶられ、ただただ圧倒されているのか、分からなくなる。話が長くなりそうなので、このへんにしておくが、とにかくこのアルバムはそれほど私に愛着のあるもので、このアルバムがディランにのめりこむきっかけになったわけだ。

まあ、そんなディランが来日する。前に見たのは94年で、この時は三回も公演に出かけた。そのたびに好きな曲をいっぱいやってくれて、とても楽しかった。迫力あったし、感動した。97年のライブは全然行けなかったけれど、今回の21世紀最初のライブは、ぜひ見ておこうと思い、武道館のチケットを入手し、続いて追加公演の東京国際フォーラムもチケットを買った。今回はいったいどんな感じなんだろう。



3/3ライブ


3/3東京国際フォーラム
1.Duncan And Brady (acoustic)
2.The Times They Are A-Changin'(acoustic)
3.Desolation Row(acoustic)
4.Don't Think Twice It's All Right(acoustic)
5.Down In The Flood
6.Tonight I'll Be Stay Here With You
7.Tombstone Blues
8.Make You Feel My Love
9.Masters Of War(acoustic)
10.Love Minus Zero/No Limit(Larry on steel guitar)
11.The Wicked Messenger(Bob on harp)
12.Everything Is Broken
encore
13.Love Sick
14.Like A Rolling Stone
15.If Dogs Run Free (acoustic) (Larry and Charlie on electric guitars)
16.All Along The Watchtower (Larry on steel guitar)
17.It Ain't Me Babe(acoustic) (Bob on harp)
18.Highway 61 Revisited
19.Blowin' In The Wind (acoustic)

上記セットリストはボブ・ディラン追跡法・掲示板(http://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=VFF20242)より

うー。わからなかった。分かったのは1.2.3.4.それに7.が途中で分かり、後はアンコール全曲。途中がずっぽりぬけてしまった。
ことに10.が分からなかったのはショック。2000年のライブ音源まで入手して事前に研究していたのだが、その中の曲はほとんど演奏されてなかった。勉強しなくちゃ(^^;
17.は、最後のリフレインが一回多かった。後は、やはり全曲アレンジしてあってオリジナルとおりの曲はほとんどなし。しかも歌い方まで変えているから、一緒に歌うのは難しい。言い訳すると、10.もアレンジしてなかったら絶対分かったと思う。
でもよかったなあ。あの、体の中に突き刺さってくるようなボブの声は、やはりCDなどとは段違いの迫力だ。席は右翼の20列目だったが、わりとステージの様子がよく見えたので、ディランが内股になってリズムを取りながらギターを弾いている様子がじっくり堪能できた。アンコールの曲は、一曲ごとにアコースティックとエレキを持ち替えていて、会場ののりはちょっと分断された感じになったけど、それも、たぶん何かの意図があったのだろう。一曲ごとに楽器を持ち帰るなんて、やる方も疲れるのだから。

ネットで各日のセットリストを見ていると、ここまでの六日間、毎日、同じ内容だったことがない。
もちろんコアになる曲がいくつかあって、そういう曲は毎日やっているけれど、その日だけしかやっていない曲が必ず一曲以上、たいていは三曲ほどある。これはライブツアーとしては、ディラン以外には見られない大きな魅力だ。ちょっと考えてみれば、これがどれだけ大変なことかはすぐに分かるはずだ。それだけの曲をバンドとして練習しているわけだから。ディラン自身も、アレンジを変えることで新たな気分で歌えるから飽きがきたりだれたりすることはないだろうが、その一方で、やはりそのアレンジを考える作業が発生している。これが今年60歳になる男のすることだと思うと、畏怖さえ感じる。
ディランがこれだけ変化にとんだステージを提供してくれるのだから、私も武道館までにはちっとは曲の勉強をしておこうと思う。なかなか分からない曲も、オリジナルを聞き込めば何とか歌詞で判別できるかもしれないし。来日記念アルバムも買っておいた方がいいだろうな。



3/6

来日記念アルバムも買った。「Cold Irons Bound 」から「Things Have Changed」までの曲はとても参考になった。たぶんこのうちのどれかは今後のライブでも演奏されるだろう。それから、手持ちの旧譜から今回の来日で演奏された曲や、最近のライブで演奏されている曲をピックアップして、MP3プレイヤーに入れることにした。通勤の行きかえりに聞きまくるつもり。歌詞の頭ぐらいは覚えていないと、また恥ずかしい思いをしてしまう。
だが、やはりやってほしい曲といえば「Idiot Wind」とか「ハッティ・キャロル」だなあ。特に後者をやってくれたらもう泣いてしまうかもしれない。



3/10

昨日の広島公演では、「I Shall Be Released」をやったらしい。ディランの曲というよりはザ・バンドの演奏で有名だから、これをやるとは思ってなかった。この曲も名曲。私がディランの曲で初めて買った曲だし(ザ・バンドの解散アルバム「ラストワルツ」の中で演奏されている)。

今回の来日で、以前の公演の時の資料(音楽雑誌など)を引っ張り出して読んで楽しんでいるのだが、94年の雑誌「ミュージック・マガジン」四月号には、どんとのライブ評が載っていて、これも当時すてきな文章だなと思ったことがなつかしく思い出されてきた。

私は偏屈な反面、いろんな意見に影響されやすいところがあって、この雑誌にも、知らず知らずのうちに影響されていることが多かったようだ。89年ごろに、音楽の進化にかんする話が載っていたことがあった。、正確には何とかいうグループの音楽にかんする記事の中で記されていたのだが、ある種の音楽ジャンルが登場すると、旧来の音楽ファンは、それについて行ける人たちと、拒否反応を起こす人たちとに分かれ、後者は場合によってはそこで時間を止めてしまい、それ以上新しい音楽を聞けなくなってしまう、というような話だった。
そこで「新しい音楽」として例示されていたのが「パブリック・エネミー」(笑)であり、これも今となっては「あの人は今」的なネタになっているが、それはともかく、私はけっこう、この言葉に影響されていて、自分が時間を止めてしまうことを恐れるがごとくに、時々突発的に新しいとされる音楽を、変な義務感にかられて聴いていた。

だが今になって思うと、だからといって古いとされる音楽を好むのは決して悪いことではないし、時代をえて生き残っている音楽は、それだけの理由があって愛聴され続けているのだから、安易に軽視するべきではないのだ。
新しいジャンルは、それまでのものが権威視されている状況を揺るがしたいから、敵意や破壊でことを始めようとする。逆にいうと、そういうゲリラ的な手法でしか耳目をひきつけられない、その程度の力しか持っていない、のかもしれない。私はここでパンクやヒップホップ、ラップといった、華々しく登場した新しいジャンルの音楽を貶めようと思っているわけではないが、一方に肩入れしすぎると、もう一方の不備がやたら目に付き、うっとうしく思えてくるのは本当だ。新しいジャンルの音楽にこだわるあまり、旧来のタイプの音楽をみんなクズだと断言するのもそうだし、聴きもしないで新しい音楽を否定するのも同じだろう。

結局、何かの立場を守ろうとしすぎるのはよくない。その点については、かつての「ミュージックマガジン」の記事に賛同できるが、それは音楽の新しい・古いとは全然関係ないのだ、と私は言いたい。94年のディランのすばらしい演奏は、中村とうようやどんとに賞賛の記事を書かせるような内容だったし、今回のライブでも、多くのひとたちが変わらずに新しいままでいる、それでいて一貫しているディランに鳥肌の立つ思いを味わい、感動し、涙している。
こういうひとたちがみんなディランの信者であるわけはない。ふだんはまったく別の音楽を聴いているひとたちかもしれないし、そもそも音楽をあまり聴かないひとや、たまたま自分の好きなアーティストがほめていたから、という理由でやってくるひともいるだろう。そういうさまざまな動機でやってきた人たちが、ディランのライブでは、不気味なほど静かに音に耳を傾けている。すばらしい音楽の作り出す、奇跡のような一瞬一瞬を味わっている。演奏の終わったあとの歓声や拍手がとりわけ大きく聞こえるのも、そうした静けさとあまりに対照的だからだろう。よい音楽は、時に静かに、ゆっくり味わうものであったりする。周りから見れば、ある種の音楽にしがみついて離れようとしないかに見えるふるまいも、あるいはそうした音楽を真剣に受け取っている最中の姿なのかもしれない。たとえそれが、他人には「時間を止めている」ように映っても、きっとどうでもいいことなのだ。7年ぶりのディランのライブツアーで、いまさらのように呪縛を解き放ってもらった気がする。ちょっと気分がいい。



3/13

とうとう明日がツアーの最終日になった。武道館ではいったいどんな曲をやってくれるのだろうか。残念ながら「ハッテイ・キャロル」も「I Want You」も「Every Grain Of Sand」もやってしまったようだから、もう残っている代表曲といえば、「It's All Over Now, Baby Blue」と、
「Idiot Wind」
しかない。やってくれるかなあ。期待薄だけど、やってくれたら、とってもうれしいなあ。



3/14日本武道館

1. Duncan And Brady
2. Mr. Tambourine Man
3. Desolation Row
4. Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again
5. Tryin' To Get To Heaven
6. 'Til I Fell In Love With You
7. Mama, You Been On My Mind
8. It's All Over Now, Baby Blue
9. Tangled Up In Blue
10. Not Dark Yet
11. Cold Irons Bound
12. Rainy Day Women #12 & 35.

(encore)
13. Love Sick
14. Like A Rolling Stone
15. If Dogs Run Free
16. All Along The Watchtower
17. Knockin' On Heaven's Door
18. Highway 61 Revisited
19.Blowin' In The Wind

すごくよかった。今回、分からなかった曲は二曲(6と10)。予習したかいがあった。「Not Dark Yet」は、シングル持っているのに、分からなかった・・・情けない。とはいえ、大半の曲は知っていたから、かなり楽しめた。いや、感動した。
1曲目は、国際フォーラムと同じ。2000年音源でも勉強していたから、もうかなりなじんでしまった。オープニングにはとてもいい曲だと思う。
で、問題の二曲め。連日、ここで初お目見えの曲が演奏されているので、何かな、と固唾を飲んで見守った。
ミスター・タンブリンマン。これは初出ではなかったが、残念だと思うひまもなく、曲にひきつけられていった。歌いだしは静かだったが、二度目の「Hey,Mr.Tombourinman」のフレーズでひときわ大きな声で歌ったディランの迫力には、思わず身震いしていた。耳ではなく、体全体に音が響き渡るような感じがした。それほどすごかった。ディランの声が会場を包み込んで、ほとんどの人は、声も出せずに聞き入っている。今日は三回ほど泣きそうになったが、この曲の時が最初。この曲は、ふだん大好きな曲というわけではないのだけれど、今日のディランはいつもと違う、そんな気にさせられた。とにかくすごい、といかいいようがないのがもどかしい。最後の間奏でハープを吹くディランに場内騒然。
3曲目。おなじみの曲ですこし落ち着いた。だが、二曲目からの流れは観客を圧倒し続けていて、やはりほとんどの人が静かに耳を傾けている。4曲目は、サビにくるまで分からなかった。またアレンジが変わっていたので(と思っていたけれど、後で何回か聞き返したら、それほど曲のメロディは変わっていない。ディランの歌い方の魔法が、まったく別の曲にしてしまったのかも)。ここでディランのリードギターが聞けたが、ちょっと音がずれていた。
5曲目はフォーラムでもやっていた曲。6曲目は、今日分からなかった曲のひとつ。でもメロディも歌詞も、どこかで聞いたことのあるような曲だった。
7曲目も、アレンジが変わっていて途中まで分からず(最初は「くよくよするなよ」かと思ってしまった)。「Memphis Blues Again」でも思ったが、60歳にもなろうという男の歌う「mama」。どういう気分なんだろう。
次の曲は、今回初登場。昨日予想した通りの曲。でも、これもまたすばらしくて、涙、涙。以前のように、高い声で歌うことはなかったけれど、渋めの低音で、じっくり聞かせるメロディと音。この時も会場は静まり返っていた。私と同じように泣いていたひともいた様子。
その余韻の覚めやらぬうちに9曲目。うれしかった。すごくかっこよかったし、泣けた。私にとっては、今日一番いい曲だった。最初のソロと、二番からの激しくタイトなバンド演奏もクールに決まっていた。この曲は私の好きなアルバム「血の轍」に入っている曲で、そのため歌詞をほとんど覚えていたから、ディランの歌っている内容もかなりの部分聞き取れた(「雇われるだけで幸運」が「払われるだけで幸運」と変えて歌っていた)。この曲は本当に名曲だし、「血の轍」でも一番よく聴いているが、やはりライブの迫力にはかなわない。ブートにしても、この魅力は消えてしまうから、やはり現地で見るしかないんだよな。しかしすごかった。
10曲目は分からなかったということで・・・11曲目。これも予習の成果。かっこよかった。これも今日のベストに選ぶひとがいてもおかしくないぐらい。「ロック」のかっこよさをよく表現していたと思う。
そして次の曲で、アリーナは総立ちになった。客席は踊るわ歌うわで大騒ぎ。ディランも双眼鏡で見ると、ちょっと機嫌よさそうに見えた。
ここでいったん終了し、アンコール。13.14.15.16は、アンコールではおなじみ。今回のツアーでの定番になっている。13も、最近の曲だけど、とてもいい。16も、何度聴いてもすばらしい。ほめてばっかり。でも、本当なんだから仕方ない。
そして「天国の扉」。これは意外だった。昨日のライブ評で、アレンジを微妙に変えていて、よかった、と聴いてはいたが、昨日の今日でやるとは思っていなかったから。確かに歌うメロディがちょっと変わっていた。新鮮で楽しめた。
そして最後は18.19と、やはりアンコールの定番。このあたりになると、これでディランの日本ツアーも終わりなんだな、という気分になって、さびしくなってきた。最後の曲のコーラス「Blowin' In The Wind」は、ディランの最後の歌声だから、体中を耳にするつもりで真剣に聴いた。

全部の曲が終わり、照明がついた後も、しばし放心状態になった。興奮と、余韻にひたりながらも、これで終わりだという寂しさも感じながら、何だか複雑な気分になった。
これで最後かもしれない、と言われた日本公演だけれど、できればぜひまた訪日してほしい。その時にはまた、斬新なアレンジで名曲の数々を演奏し、私たちを驚かせ、興奮させてほしい。そんな我がままな思いを抱きつつ、家路についた。でも今日のことは、ずっと忘れないと思う。94年もそうだっだけど、この2001年のディランもまた、忘れらない思い出になるだろう。



3/26

アカデミー賞の授賞式で「Things Have Changed」を歌うディランを見た。受賞おめでとう。受賞の言葉を語るディランを見て、ずいぶん久しぶりに肉声を聞いた気がした。日本公演でも、メンバー紹介の時以外、全然しゃべってなかったし。授賞式のライブでは、ディランがずっとアップで映っていたので、微妙に表情を変えて歌っている姿が、また新鮮だった。武道館でも双眼鏡で見たけれど、これほどはっきりとは顔を見られなかったから。
ただ、歌い方はテレビを意識しているような、おとなしい感じだった。本来ちょっと高い声で歌うはずのサビの部分も、さりげなく流しているみたいだったし。もっと何曲か聞きたかったけど、まあそれは無理というものだろう。

ところで、前日武道館のライブ音源を入手したので、会社の行き帰りなどにずっとMP3プレイヤーで聴いているのだが、聴くたびにあの日のことが思い出されて、なんともいえない気分になる。音源は所詮録音だから、ライブの迫力にはかなわないけれど、あの日の記憶が呼び起こされて、ふつうにライブのCDを聴いた時などとは比べ物にならないぐらい、楽しい。こうなると、国際フォーラムの音源も何とか手に入れたくなってくる。欲を言えばきりがないけどね。



’2001 Bob Dylan and his band Live In Japan