チラシの裏


2009/05/03 01:17

清志郎が死んだって。サッカーの掲示板で知った。ショックというか、のどに詰まった食べ物が胃の中に落ちてこないような気分。
理性では、やっぱり、と思ったりしてるんだけど、実感がわかない。正直、どういう意味なのか分からない。もう遅いから眠ろう。

2009/05/03 12:27

翌日、新聞で訃報を知った妻がきて、教えようとしたが、「知らない、おれは何も知らないよ」と言って、眠り続けた。やっと起きたのがお昼頃。
わざと連休前に死んだのかな、自分の通夜に大勢来てほしいので、ショックで仕事が手に着かなくならないよう。
ニュースみたいけどみたくない。何か書きたいけど書けない。

2009/05/03 17:33

正直ここまでとは。父が死んだときも悲しかったし、かなり泣いたけど、これほどではなかった。
とかいうと罰が当たるだろうか。でもあのころ父はすでに別居しており、ほとんど「怖い人」というおぼろげな記憶しかなかった。それでも泣いたのは、なんだか泣いて当たり前だ、という役割的な気持ちがわいてきたのもあった、繰り返すが、悲しかったのは事実。
その点今回は、彼のいない世界が始まったということが、まず受け入れられない。

きつい。

チラチラ見ているネットの掲示板などでは次々と「冥福を祈る」「天国でだれそれとセッションしてください」とか「ゆっくり休んでください」だとか追悼のメッセージが。でもそんな気になれない。

ふつうの、という言い方も変だが、普通の人が死ぬ時に「ご冥福をお祈りします」というのは抵抗がないんだけど、清志郎の死、(いや、死という表現さえ受け付けないのだが)とにかく彼がいなくなることについて、冥福なぞ祈りたくないし、ゆっくり休んでほしくなどない。そういう点では泉谷しげるのコメントは実によく分かる。共感できる。

ただ、自分にとって清志郎は特別だったんだ、簡単に「冥福を祈る」なんて言えちゃうおまえらニワカのファンとは違うんだぞとか、そういうつもりでは無いんだ。
それぞれが清志郎の不在を自分なりに悼み、表現すればいいし、それはそれでいいんだけど、考えなしに、自動的に紋切り型の表現を使ってほしくない。きちんと意味を考えて死を悼む言葉を吐いてほしい。個人の勝手だろうが、こう私が思うのも個人の勝手のはずだ。そういう思いはもちろん、そのまま自分にも跳ね返ってくる。
自分にとって、とても大切だった人の不在を悼むための言葉を、おまえはどうやって表現するのだ、と問われているみたいで、清志郎は死に及んで、ファンたちに実にやっかいな宿題を残していったもんだ、と思ったりする。
(聞いているのはディランの「ノーディレクションホーム」。清志郎の曲など、聞きたくもない。今は。)

でも、わかんないんだよ。どうしていいか。清志郎がいなくなったこの世界は生きるに値するか、とまで思ってしまうのにさ。
実際、毎日毎日、どんどんつまらなくなっていくこの人生で、生き続ける理由を見つけるのさえ、難しくなってるんだ。
妻がいなかったら、もうとっくに人生を諦めて、自堕落な生活を送り、身を滅ぼしてるかもしれないとも思う。
でも、そういう境遇に万一落ち込んだとしても、清志郎が生きていれば、何らかの希望を持っていられたんではないかと思うのだ。その対象がなくなった今、どうすればいいのか。

「天国はなーい」と清志郎はレノンの曲を歌った。でも清志郎たったひとりのためだけでも天国があればいいなあ、と今は思っている。ひとりぼっちだとつまらないだろうけど、そこから下界を見下ろして、くだらないことを言ったり、牛乳飲んだりしてくれればいいと、そんな風に思う。

2009/05/03 22:27

買い物に行った。やっと曲を聞く気になり、音楽プレイヤーでRCをランダムでかけたら一曲目が「どかどかうるさいロックンロールバンド」だった。
「悲しい気分なんてぶっとばしちまいなよ」
やっぱりだめだ。
泣きそうになった。あの声がもう、聴けないと思うと。

駅前では、くだらないストリート音楽。こんな時に、聴きたくもない音楽を、いや、騒音を聴かされるとは。

2009/05/04 16:55

会社では、昔から唯一RC好きだという後輩がいるのだが、実はそいつとも意見が合わない。好きな曲とか違うし、どこがいいのかに関する意見も違う。昔からずっと一緒にRCを聞いていた、一番分かりあってるはずの弟とでさえ、意見があわないこともある。
でも、それでも清志郎が好きだという一点で共通するものがあり、だからひととひとはわかりあえると感じていたのだ。
2ちゃんねるの清志郎スレッドではいろいろな意見がある。初期がすきだったやつ、久保講堂の頃が好きなやつ、カバーズ以降だめになった、と断じたり、タイマーズが大好きだとか。
ほとんどの意見が、ある一時期の清志郎を切り取って、それこそが彼の本質だとか、あるいはそこが自分にとっての清志郎なんだと言い張る。それは当然だろう。自分もたとえば「ステップ」という曲がそんないいとは思わないし、売れ始めた頃の化粧センスはやはり今でも最悪だと思ってる。
でもそういう、自分勝手な解釈の中心にいて清志郎はいつも意に介さず、ファンが自分をどう思おうと自分は自分のやりたいことをする、という姿勢を常にとり続けていた。(例外的に、カバーズ騒動の後のタイマーズで「三部作」なんかで移り気なファンに文句言ったりしてたけどね。)
清志郎はそれでいいかもしれないが、ファンの一人としては、その中心がこうしていなくなってしまうと、今後どうやって他者とコミュニケーションをとっていけばいいのか、分からなくなるのだ。
オウム事件と北朝鮮の拉致、小泉政権の主導する「自己責任」とやらで、日本の社会の雰囲気はがらっと変わった。
誰でもなるべく目立たないようにして、あんまり自由とか個人の権利を主張すると叩かれる、という雰囲気の中、みんなびくびくしながら他人と対話している。
で、空気を読みながら、軌道から外れないよう、いつも綱渡りで他者と接していくような、そんな生活。
閉塞的で、つまらない日々。
それでも清志郎が好きだというひとたちとは、その一点でもって取っ掛かりがあったから、そこにすがっていた。
その道しるべがなくなってしまった。今後どうやって生きていけばいいのか。
いや、そもそも清志郎みたいなひとがいない世界は、生きていく価値がある世界なのか。
いっそ死んでしまえ、と思っているわけではない。
ただ、能動的に、世の中をよくしようと行動する意味が、もうなくなってしまったのではないか、と思えてならないのだ。
何もせずに死ぬのを待つだけの生活。それでいいのかな。
死んだら天国で清志郎と会える、という考え方は、ジョン・レノン同様、清志郎自身が否定している。
だって、「天国はない」のだから、死んだらもう、無だ。
清志郎は無になってしまった。
今はもう、彼の生前の思い出だけしかない。だから安易に冥福など祈れないし、いつかまた会いましょうなんて、言えない。

2009/05/04 17:41

DVDの「ブルーノートブルース」を聞いていて、「イマジン」で泣きそうに、いや、泣いて、ここまで書いた。でも何もいえない。ここまで書いていて何もいえないとは、ばかげた話だけど、本当に、それらしいことは何も語れないのだ。困惑。

2009/05/04 22:19

清志郎の本質はラブソングにあって、本当は政治的な歌は歌いたくなかったんだ、と思う。彼の政治的な歌は全面的に支持するし、それらを完全に肯定するが、それでもなお、そう思う。
本当は清志郎は個人的なラブソングを歌い続けていたかったんだ。
でもその先にある世の中について、誰も歌っていないという日本の現状があるから、自分が歌わないといけないと思ったんではないか。NHKの番組「SONGS」でも「使命感がある」と言っていた。それがカバーズの動機だったと思うし、そこからタイマーズなどにつながるメッセージソングの数々があったんだと思う。
それらの曲もみな、美しくすばらしいものばかりだ。「カバーズ」以降を無視する人たちは、是非この機会でもいいから、そういった曲に耳を傾けてほしい。
清志郎がガンになったことで「逸見さん」の曲を引き合いに出して彼を悪しざまに罵るひとびとが某掲示板にたむろしていたが、見当はずれというしかない。当時の報道をちゃんと追っていたら、彼と同様の感想を持った人が多かったことはすぐに分かる。
たぶんそういうことを全然考えず、つまり逸見さんのファンでもなかったやつらが、ただ悪口を言える場として利用していたにすぎない。哀れな奴らだ。本当に哀れなやつらだ。いつか気づいたとき、後悔するだろうし、ずっと気づかなければ、それはそれで惨めだ。

2009/05/04 22:23


それにしても、数ヶ月前からYOUTUBEやニコニコの清志郎関連の貴重な映像や音源が次々とアップされていたのは、この日がくるのを事前に知っていたのではないか、と思われてならない。このタイミングで流されていれば、興味のある人がみんな「原発賛成音頭」や「ばらまけサリン」「アルカイダーズのテーマ」を聞くことができるではないか。とはいえ家族の周辺の話だと、ずっと体調よかったと言うし、やはり偶然なのかな。それにしてもタイミングが。

2009/05/04 22:55


清志郎の所行を批判する奴らに対しては、有効な言葉はこんな感じかな。
「じゃ、清志郎がああいうことをしなかったら、他に誰がしたんだよ。他にそういうことをできた奴がいないからたたいているんじゃないのか。おまえは自分の力のなさを嫉妬しているだけだろ。しかも後付けで、なんの覚悟もなく責任も負わず、死人にむち打つということの意味も理解せず。相手が何も反論できない状態でゆがんだ感情をまき散らすのはおまえには快感だろうが、オナニーは人に見せるものじゃないぞ。それなりの理屈もなしに、低脳をさらけだすんじゃない」
でもあんまり有効じゃないかも。誰の死にも群がるハイエナはいて、恥とか誇りなんてこれっぽっちも考えてないんだから。

2009/05/04 23:19


さっきからスペースシャワーの追悼番組をみているのだが、「世界中の人に自慢したいよ」なんて、すごい曲だ。奥さん、泣くよな、これは。何でこんな言葉を思いつけるんだろうか。
あと、歌詞の聞き取りやすさはすごい。当たり前に思ってるけど、清志郎の曲は、本当に歌詞がすぐ分かる。他の日本の音楽を聞いていると、これほどではないのではないか。比べないから、みんな分からないんだ。そこまで清志郎は、ちゃんと考えて詩を作っていたんだと、改めて思う。

2009/05/04 23:37


「激しい雨」も、実は激しいメッセージソングなんだ。「JUMP」と同じだ。気合い入れて歌ってるのが分かる。かつてのRCのファンに向けて、これでいいのかよ、おまえたち、本当にこんな社会でいいのか、と訴えかけているみたいな、すごい気迫。こんな機会がなかったら、これほど真剣に聞かなかったかもしれないと反省。もっとライブでやりたかっただろうな。
清志郎はメッセージソングでも何でも、聞き手に失望しながらも、やはり訴えかけていくしかない、という気持ちは一貫していたのではないか。だから「イマジン」でもあんなにすごかったんだし。それが伝わろうとそうでなかろうと、気にしてもしょうがないと思ってたんだ。というか、その場で伝わらなくても、いつか残った映像や音から、誰かがそのエッセンスを受け継いでくれると思ったのでは。

2009/05/04 23:49


分かった。これから俺は、清志郎の残された曲をより深く、清志郎の本意にできるだけ近づくべく聞いて行かなくてはならないのだ。少なくとも、聞き流すのはだめだ。別にそれが真実である必要はない。曲は聞き手と歌い手が両方で作り上げるものなのだから、そのうちが自分にとってどういう意味を持つのか、自分で探らないといけない。もう清志郎はヒントをくれないのだから、すべて自分でやっていくしかないのだよ。
じゃがたらのアケミと同じだね。どんとと同じだね。
果てしない作業だけど、やっていくしかないね。


君のために「誇り高く生きよう」か。深い。何度も聴いたことのある曲の数々が、今になって別の輝きを放っている。かつては、空に溶けていったホットナンバーが、こんなことがあって初めて真剣に心に響いてくるなんて。

2009/05/06 17:04


ただ、著名人(梅津さんもそうだけど)が何人も言っているように、清志郎の分も強く生きるだのがんばるだの、逃げないだのいうのはちょっと違う気がする。弱くて(弱い僕だから)、ちっとも頑張れなくて(幸せになりたいけど頑張りたくない)、すぐ逃げ出すやつ(ベイビー逃げるんだ)も、清志郎のファンにはいたはず。曲もはぐれ者や阻害されたひとに共感できる詩が多かったし。清志郎にすがって励みにしていたやつらにとっては、違うんじゃないのか。
代わりに何を言えばいいのか分からないんだけど、まるで迷子、という角田光代の発言(読売新聞掲載の追悼文)の方が理解できる。でも、そう、本当に何ていえばいいんだろう。落ち込んでるひとたちに。そして、自分自身に。
その点、かなりきつそうなチャボの今後に注目せざるを得ない。チャボはもう、だめになってしまうんではないかと危惧している。おおくぼさんがいるから大丈夫な気もするけど。

2009/05/06 17:13


夢助は、しかしかなりきついアルバム。声の質が、悪くて、よけいにつらい。DVDのブルーノートブルースでも思ったけど、こうした痛々しさについてふれるメディアは寡聞にして聞かないし、知り合いでもいない。なぜかね。今だから、よけいにそう思えるのかな。

5/9 青山へ

弟と四時十分に青山一丁目で待ち合わせ。青山ロックンロールショーへ。

2009/05/09 14:57


式に向かう途中の車内。空はやけに明るい。
掲示板情報では、垂れ幕が紅白だったりと、かなり明るい雰囲気らしい。それでかなり迷ったあげく、自分の服で二番目に派手な服を選んだ。喪服が当然、せめてスーツとか、いろいろな意見があるんだけど、やはり。
妻が同行しなかったのも、自分が行くと私が気を使うからと思ったのかもね。会場で弟と待ち合わせる予定。
ただすでにものすごい長蛇の列で、入場するまでにもかなりの時間がかかりそうだ。四時頃会場入りするつもりだが、果たしてどうなることか。

2009/05/10 01:06


すべて終わった。おもしろかったし、泣いた。四時二十分に並んで会場に着いたのが六時ごろ。入場までに二時間以上かかったけど、それはそれでいい思い出になるだろう。
列の最後尾は複数あって、途中で合流していた。後で聞いたが、乃木坂から来た人は大変だったみたい。三時について、七時でもまだ並んでる、みたいな。



われわれの列は青山墓地の中を抜けて続いていたので風景ものどかだったし、ボス、といった感じの目つきの悪い猫がいたり、清志郎にたむける能「鶴亀」をやってる人とかいて、巨木の連なる木陰の夕暮れで、会場から時々聞こえてくるライブの声を楽しみながら進んでいった。

並びはじめに、メッセージカードが配られた。清志郎に手向ける言葉を書いてくれ、とのこと。しばらく悩んだ挙句、こう書いた。
「ずっと夢見させてくれてありがとう。今も夢見てるし、これからも夢見続けるよ」

喪服やダークスーツの人はほとんど見かけず。平服のどこかに黒い色を取り入れたりしている程度。もっとも年齢層もあり、派手目の服の人はほとんど見当たらない。



会場に入ると大きなヒトハタウサギがお出迎え。風に揺れる様子が、流れている清志郎のラストライブに合わせて首を振っているみたいで切ない。みんな携帯でバシバシ写真を撮ってる。私も持参したデジカメで何枚も写真を撮った。
デジカメを持ってくることも少しためらったんだけど、知り合いにも、この会場に来ることができず落ち込んだり日々の生活に忙しくなっているやつらがいる。彼らのために、そして自分自身のためにカメラを構えた。もちろん、列の進行の邪魔にならない程度に、控えめに。
会場に入ってからも、しばらくジクザグに列が続いていって、なかなか式場の中には入れなかった。右手のテントでメッセージの用紙を受け付けていた。差し出すと、代わりに清志郎の写真のカードをくれた。「感謝 for you」と書いてある。遺影の表情は、普通のおじさんみたいで、笑ってる。
また列は続く。でも会場外の列とは違い、ヒトハタウサギもずっと揺れていたし、清志郎のヒットナンバーが次々と大音量で流されていたから、けっして長いとは思わなかった。
会場に入る。左手から。色々なひとの名前が木札に書かれている。フィッシュマンズというのもあって、印象的だった。
脳裏に再結成フィッシュマンズのライブでの清志郎が歌った「Melody」が浮かんだ。
というのは嘘。そんな余裕はなかった。
祭壇の清志郎の写真は、カードと同じもの。とても大きかった。祭壇には自転車や法螺貝、清志郎ゆかりのものが色々とおかれていた。最前列にはひとがいっぱいで、なかなか近づけなかったし、みんながお別れに名残惜しそうにしていたのだが、粘って清志郎の遺影の正面、一番目の前に出て、その笑顔と対面した。
何も言えなかった。手も合わせなかった。ただ、じっと清志郎の写真を眺めて、それから凝視した。一瞬で色々な思いが走ったけれど、炭酸がはじけるみたいに、本当に一瞬で消えていったため、それをすべて書きつくすことはできない。
ちょうど曲が終わり、隣の男が感極まって「清志郎!」と叫んだ。それに呼応するように、後ろから声がした。そこで最後の対面が終わったことが分かった。右手から会場を後にした。清志郎のコスプレをした関係者がみんなに微笑んで頭を下げていた。ああいう場所で、微笑むのがどれだけ大変か、と思うと、切なくなる。

献花の後、表参道に出て弟と飲み会。焼鳥屋でしばらく飲みながら話した。弟の言うベストアルバムは「カバーズ」だそうだ。後で思ったんだが、これはなかなか覚悟のいる発言だと思った。全部他人の曲なんだから、清志郎の曲を評価する連中からすれば、何言ってんだ、ふざけんじゃねーとか言われそう。でも「明日なき世界」の詩を清志郎はすごく評価していたって話もあるし、「イマジン」での「僕らは薄着で笑っちゃう」などは、確かに彼のオリジナルだ。
しかしこの青山ロックンロールショー、弟が一緒でよかった、とつくづく思った。ひとりだったらたぶん、泣き続けていただろう。でもここで思いっきり泣いた方がいいんではとも思ったり。たぶん今後も、何度も涙をこらえるシーンが増えそうだし。

その後、行きつけの洋楽ロックバーに久しぶりにいったら、何と以前知り合ったS氏が結構RCマニアで、やはり清志郎の訃報を聞いてからここにきて、うんと泣いてたそうだ。で、今度この店のDJタイムで曲かけるのだとか。RC好きの後輩たちに教えてやろう。来るかどうかは知らないけど。
その後輩の一人は先日の帰り際、声をかけてきて、清志郎の話をしていたんだっけな。適当に相手をしてしまったが、本当はもっときちんと話をすればよかった。でもあの時は自分でも全然余裕がなかったから。もっと会話してやればよかった。思い上がりかもな。まあ、いいや。

数日後、そのロックバーに行って久しぶりにS氏を待った。彼も青山ロックンロールショーに行ったらしい。で、五時間も並んだって。すごいなあ。彼の選んだ曲は「よそもの」とか陽水との「帰れないふたり」とか、思い入れの感じられるものだった。ビール飲み放題二千円とかでけっこう飲んだけど、あんまり酔えなかったなあ。
高円寺の「チモール」なんかでは、たぶんもっと色々な人が来て、にぎやか、かつしんみりと営業していたんだろうな。

5/14


早稲田大学のライブを聴いた。ずいぶん音がいいなあ、と思ってたら、FMで放送したものだった。「トランジスタラジオ」のラストで「ビビ、ビートポップス」って言ってたのをはじめて知った。スタジオ版でははっきり聞き取れなかったもんで。

5/22


sakusakuで「多摩蘭坂」。花束や色々なものが備えられている様子が放送されていた。

5/27


テレビブロスでの特集。爆笑問題の太田のコメントが良かった。

清志郎がどういうつもりだったにせよ、彼の言う言葉を、たとえば単純にラブアンドピースであっても、その言葉のまま受け取ることのできないひとばっかり、という現状はどうなのだろう。

2009/06/02 12:46


最近掲示板では清志郎はドラッグやってなかったとか、一連の発言は誇張であるとか、そういうのばかり。
あと、エースコックの歌を歌った後、スポンサーに謝った話とか(これはどうも疑念があるらしい。何でも美談にしたいやつが創作したのかも)、個人の意識しているといないとに関係なく、現在の社会の文脈でもって清志郎の生涯を都合よく解釈して、消費してしまおうという動きが感じられる。

カバーズとか、戦争反対なんかを強引に無化しようとする発言もそうだし。
自分に分からないことを分かりやすくしようとして歪曲するというのはどうなんだろう。
窮屈な世界を、窮屈でないと感じたいがために自由を説いた個人の主張をおとしめているみたいな気がする。
それで楽になるのかな。
一時的に「号泣」したり、「元気をもらった」りして、それでいいのかな。
持続しないのかな。
他人の主張をねじ曲げるぐらいだから、社会の文脈が変わったら、また同じように意見を翻すのかな。
やだな、やってられない。
本当につまらない世の中だよ。

2009/06/02 23:49


困ったもんだ。今でも清志郎の追悼の発言とか読んだり、清志郎の歌を聞いたりしていると涙が出てくる。困ったもんだ。いつになったら、ふつうに戻れるのか。もしかしたら、ずっとこのままなのかな。

2009/06/07 15:46


とはいえ日々は続いて行くわけだ。好むと好まざるとに関わらず(この表現はそういえばってから得意がってやたら言葉にしたりしたことがあったな。今もそうだ)

6/16


oh radioを買った。よかった。カップリングの「激しい雨」もよかった。アルバム「夢助」より声が出ていて、きれいだった。


この後、ぽつぽつと清志郎追悼関連の書籍などを買っていった。すべてtwitterで書きこんでいたのだが、そのうちこっちに移すつもり。