10月15日 | 10月09日 | 日記目次 |
ますます更新頻度が少なくなる、このMac日記。とうとう九月は何にも書かないままに終ってしまった。
今回こうして久しぶりに長く書いているのも、別にわくわくするような事件があったからではない。ただ、言訳めくが、なぜ最近こんなにMac日記が書けなくなってしまったのか、を書きとめておこうと思ったのだ。
パソコンは何かを表現するための道具であり、製品そのものにこだわるのは愚かだ、という意見がある。こうした主張が、特にMac愛好家にたいして向けられることがある。そういう場合につかわれる表現は、たいてい侮蔑やら皮肉をからめたニュアンスで用いられることがしばしばであるから、Macのユーザーからは反発をかうことがとても多い。私も、そういう意見を聞くと、あまりいい気持がしなかった。
だが、思えば私にしたって、Macの何がそんなにいいのか、と改めて問われたら、はて、いったい何だろうと、と首をかしげてしまう。私が初めて買ったパソコンはPerformaだったから、もしかしたら、そのせいで、ただ惰性的にMacを支持し、賛同してきただけかもしれない。そんな気分になったりもする。
そう、実際Macを選んでいる必然的な理由などないのだった。たとえば、ウインドウズに比べれば操作性やUIが段違いによいのかもしれない。確かにマウスひとつとってみても、MacとウインドウズPCを比較したら、その快適さは全然違う。やむなく会社の業務でウインドウズPCにも毎日触れているが、もう数年たつというのに、マウスに関しては未だにMacよりも使いづらい。とすれば、これは単に「慣れ」の問題などではなく、性能の違いが厳然として存在するからだろう。そのことを否定するつもりは毛頭ない。
だが、それって結局は比較論に過ぎない。MacとウインドウズPCを比べたら、Macの方が優れている、というだけであって、Macが最高である、ということに、ただちに繋がることはないのではないか。
それも、Macが最高であり、これ以上の快適さは存在しない、という独善的な視座に立てば、おのずと正当化されよう。だが、最近のアップルの製品を見ていると、そのつかいやすさにあぐらをかいて、より向上しようという姿勢が欠落しているように思う。
たとえばCUBEのコネクタは、すべて底面におかれており、わりあい抜き差しの多いUSBポートを使用して周辺機器を接続する時の手間をかえって増やしているし、タッチセンサーによる電源ボタンは、視覚障害者にたいする配慮を全く想定していない。新型マウスにしても、使用法法を根底から変えるような作りにしておいて、そうした方がつかいやすい、という根拠は全く示していない(かえって手首の動きが必要になり、つかいにくくなった、という声もちらほら耳に入ってくるのだが)。「以前のUSB丸型マウスに比べればまだましになった」という意見も少なからずあるのだが、そのつかいにくいマウスを商品に添付していたころのアップルときたら、「使い方を変えれば大丈夫」というだけで、結局最後までデザイン重視の機能性無視、といったこの製品にかんする非を認めようとはしなかった。
最近のアップルはデザイン先行だな、と感じてはいたが、こういう側面については、新製品をあまり買っていなかったせいもあって、気にしていなかった。だが、ネットで注意して情報を集めていると、色々なことが分かってくる。
デザイン重視もけっこうだが、そのために機能性を犠牲にする、というのであれば、それは本末転倒だ。そういった逆転が、今のアップルには頻発しているようだ。たとえば静電気が生じやすい素材であることを知りながら、今でもポリカーボネイトにこだわり、それでいて、頻繁に相談者を激怒させる程度のサポートしか提供できないでいる現状。iMacのトラブルは、昨日や今日始まったことではないのに、マイナーチェンジの新製品が出るたびに、同じことが繰り返されている。デザイン重視の製品の、一番目立つところにひび(クラック)をもってきながら、「仕様です」と冷たく言いはなったりする。
かつてのアップルには、KnowledgeNavigatorをはじめとする、将来に向けてのビジョンがあり、商品のコンセプトがあった。つかいやすいコンピュータを、さらにつかいやすくするための目標があり、そこに向かって努力する姿勢があった。
それが、今のアップルには感じ取れない。とにかく耳目を引き付けるデザインさえあればいい、とでも言わんばかりだ。こういう、変質したアップル、ならびにアップルの製品を、私は今までのようには手放しで支持できなくなった。
繰り返すが、ウインドウズPCに比べれば、MacOSの方がつかいやすいのかもしれない。だが、「AよりはBの方がつかいやすいから」というだけの理由でBを信仰する必要なんてない。よりよいBを作ろう、と努力するならまだしも。
そういう努力、というか歩み寄りをする風潮が、以前のMacユーザとアップルの間には確かにあったと思う。だがそれは、いつのまにかなくなってしまった。そういう雰囲気の担い手達は、技術者もユーザも、みな別のプラットホームへと離れていってしまったようだ。それがLinuxだったりするのかもしれない。
MaxOS Runtime for Java(MRJ)2.2.3の日本語版が出たそうなので、iBookのソフトウエアアップデートを起動した。
ついでに表示されていたiBook Firmware Update2.4もダウンロードした。
前者は、Internet Explorerのセキュリティバグをある程度解決してくれるらしいが、IE4.5なら大丈夫なものの、5.0だとうまく使えるかどうか分からない、という代物ではある。
このIEのJavaにかんする問題は、AppleJapanはあまりまじめに対応していないので、情報も明確なところが伝わってこない。AppleJapanは相変わらずというか、いつまで立っても体質が変わらないなあ。
このJava問題だけではなく、CUBEのひび問題や電源問題などについても、メディアに圧力をかけるわ、自社サーバの掲示板では都合の悪い投稿を削除するわで、本当に呆れてしまう。
もっともこれはAppleJapanだけではなく、たぶんApple全体の体質に問題があるんじゃないかと思う。CUBEの売行きが悪いのも、株価が暴落したのも、今の路線に不満を持っているひとが少なからずいる、ということの証しだろう。OSXにしても、今の所全然興味が持てないしなあ。
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