「経営問題」としてのY2K


投稿者 KawKaw 日時 1999 年 1 月 12 日 18:38:57:

 2000年問題は「経営問題」であると巷間喧伝されてはいますが、理解している経営者が多いとはとても思えない、又、社会的認知も不徹底と思われるので、敢えて私見をまとめてみます。

(1)Before 2000
 当面の「経営問題」としてのY2Kは信用問題だと考えています。

 つまり、「Y2Kへの対応の遅れが外部に明らかになる → 社会、マーケットの信用を失墜する → 商品が売れなくなる、資金調達不能になる」 ということです。

 ここで恐ろしいのは、マーケットの信用です。

 事実無根の風評・風説や悪意のデマで株価が暴落するといった事態も予想できますから、そういう事態を防ぐためにも適切な情報開示が求められています。

 実際、各社ともホームページに掲示をしていますが、その多くは、内容的に御座なりだったり(他社と全く同内容等)、全然更新されていなかったり(「98年12月末完了予定」について、99年1月になってもフォローがない等)というのが現状です。
 情報開示の目的は、経営としての現状把握・対策状況・対応姿勢を明らかにすることによって社会的な信頼を獲得することだと私は考えています。そのためには、実状を正確に反映した誠実なものでなければならないはずですが、今のままでは効果が期待できないか、却って逆効果と思わざるを得ません。(認識不足を宣伝しているようなもの。)

 もし、(意図的な隠蔽、或いは単なる認識不足で)事実に反する情報開示をしてしまったとして、内部事情を知り得る立場の人間が見れば一目瞭然ですから、どこからどういう形で実状が外部に漏れるか予測不能です。この場合、漏れた途端に信用失墜でしょう。このようなことを言うと日本の組織はすぐに箝口令を敷いたりしますが、今の世の中で情報統制は不可能と考えておくべきです。(情報統制しようとしたことが漏れると、更に、恥の上塗りになる。)

 また、国内外における「温度差」ということも言われています。妥当性はともかく、外国(特にアメリカ)に危機意識が高いのは事実ですから、「そのうち何とかなる」というような姿勢は外国人投資家や格付会社には通用しません。そういった素振りが少し見えただけで、即、投資不的格とされるのは確実です。


(2)After 2000
 西暦2000年以降に向けた「経営問題」は係争対策だと思っています。

 事前にどんな準備をしたところで、2000年1月1日以降何が起こるか分かりませんから、最悪、大問題が生じてその結果損害賠償を請求される、株主代表訴訟を起こされるなど、裁判沙汰になる可能性も想定しておくべきです。又、裁判にならなくても、社会的・道義的責任が問われる場合もあるでしょう。

 その場合、争点は、「最善の努力をしたか」ということになると思います。

 Y2K問題では、なすべきことは事前に明らかになっています。
 「システム資産の調査・要修正システムの洗い出し」、「システム修正」、「模擬テスト」といった「なすべきこと」の認識と、対応スケジュールを、どの企業も情報開示の中で明言しています。しかも、総てやり切ると断言している。

 と言って、限られた資源(既存のヒト、モノ。今カネを積んでもヒト・モノの手配が間に合わない。)と限られた時間しかありませんから、現実問題として積み残しが生じてしまう場合もあるかも知れない。そしてそのまま2000年1月1日を迎えてしまい、何かあったら、(事前に分かっていながら)最善の努力を怠っていたということにしかなりません。

 では、どうすべきか。

 まずは、タイムリーかつ正確に状況を把握することです。そして現状に対して常に最適な対策・施策を実施する。「最適」と言うのは、要するに、システム修正・模擬テスト事案に優先順位付けを行い、限られた資源を最も効果的に配分することです。
 Y2K問題がマネージメントの問題と言われる所以はここにあります。適切なマネージメントを行わないと、優先順位の高いシステムほど対応を積み残すことになります。(そういったシステム程、日常的に繁忙で、問題箇所も多いため。又、模擬テストの実施も困難な場合が多い。)

 最後は、システム上の最終防衛線を明らかにし、最悪そこだけは死守するということになるかも知れません。現実的に出来もしないことを「出来る」と言ってしまうのは、誠実な態度とは言えない。その場凌ぎにいい加減なことを言うと、後々の禍根になります。

 そして、システム対応に不足が生じる場合はコンティジェンシープランを充実することで補完し、すべての対策内容を正直かつ誠実に開示する。重要なのは、企業として考え得る「最善の努力」の具体的内容をその都度リアルタイムに公開(無理ならせめて記録)することです。問題が起こって、あとから「一生懸命やっていました」と言っても全く無意味です。そのためには公開に耐え得る「最善の努力」を策定する必要がありますが。

 重ねて強調しますが、「最善の努力」とは出来もしないことを全部やり切るなどと非現実的な宣言をすることではありません。正確な現状把握とそれに基づいた最適な判断・マネージメントを行うことです。これは間違いなく企業経営者の仕事です。

「担当部門に任せていたのに、きちんとやっていなかった。」
「実はよく分かっていなかった。」
 2000年になって問題を起こし、責任を追求される局面になって、このようなことを言う企業経営者が出てくるものと、私は予想しています。

 それが通用しないと言うことを、今のうちから認識しておく必要があります。


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