絶体絶命日記2006.7.1−31 黄色い宇宙の種の年宇宙の月 7月7日 人生、これまでと展開が変わってきた。 3月に親父が死んだ。 人生、生きるということ、死ぬということをしっかりと見せてくれた。 あれほどの苦しみを苦しみぬいて、教えてくれた。 死ぬのにあれだけの苦しみを受けなければならないのなら、生きる喜びや楽しみにもっと貪欲にならなければ元が取れない。 4月11年かけて、フルマラソンで3時間をきることができた。 これはこれで大変なことなのだ。11年かけたのだ。 めげずに走り続けた。 PCを98からXPに変えた。 電話もひかりに変えた。 めがねも黒縁に変えた。 タバコもやめた。 部屋のレイアウトを大幅に変えた。 これまで奥にしまっていた昔の生徒たちの写真、昔とったビデオ、思い出の品を新しく本棚を買って全部表に出した。 神棚の横にずらりと生徒たち撮った写真を並べた。 そして11年見てきた教室を去り、この7月、新規の教室に変わった。 今営業が生徒集めに周っているが、2週間で20名、大変な勢いで生徒が入ってきている。 それもほとんどが小学生だ。 それもみんな良い子たち。 すれていない。 20年前を思い出し、彼らにとっていいことをどんどん、どんどん進めていく。 もちろん彼らにとってだ。 彼らが主役だ。 でもたとえば、教室新聞は作っていいだろう。 彼らの言いたいことを載せる。言いたいことに気づかせる。彼らの思いの発信基地に教室をする。 イラストや写真や小説や工作物を展示する。 生きていること、毎日を過ごすこと、友達や親や先生と毎日を過ごすことが楽しく大切であるということを実感させる場所に教室をする。 リラックスし、のびのびと自分を表現する場所にする。 読解作文講座も作る。 すべてをオープンにする。 心を開く。 心を開けば子供たちも開いてくれる。 開き合った心からは、新しい時間と空間が生まれてくる。 新しいものが、思いもかけず、次々と生まれてくるのだ。 新しい展開が生まれてくる。 明日は、今日より新しく、力に満ちている。 もちろんこれまで見てきた生徒たち、これからも会社に黙って自宅で見ることになるのだが、彼らにもこれまで以上の気で、臨む。 互いに新しい局面に繰り出すのだ。 黄色い宇宙の種の年宇宙の月 7月19日 教室どんどん入会してくる。 それで当初60名でとめる予定が、120名教室に変更。 もう一人先生を入れるわけだ。 二人でやるのは好きではない。気を使うし、かわいい女の先生でもあれば良いが、頑固な親父でも来た日には、最悪だ。 どんな先生が来るのがしかし楽しみだ。 だが大体くるのか、新しい先生。 人がいないから僕がこの教室に選ばれたのだろう。 それに2,3人やめるという話も聞いている。 それにほかの塾と違って、教え込むことの好きな人はここには違和感を覚えるだろう。 ここでは教える人は、サポーターであり、援助者であり、ナビゲーターであり、インストラクターなのだ。 自分で学べるようその道を用意してやり、背中を押すのがここでの先生の仕事だ。 教室でわからなく困っている子を教え、子供も喜び、こちらも喜ぶ子の顔を見て喜ぶ。 そういう場所ではない。 その子が一人になっても自分で学べ、進んでいける力をつける場所。 それがここなのだ。 だから微妙に力点が違う。 ともに歩んでいくのではない。 距離を置き、一人で進んで行けるように、後ろから見ていてやるのだ。 微妙に違う。 そこがわからないとここでは務まらない。 それに大体会議では売り上げと、増員の話しか出ない。 嫌がる人は嫌がるだろう。 いいところで人数はとまってほしい。 一番良いのは60名を一人教室で教える形だ。 超えるならお嫁さんにでもなるような素敵は人が先生としてくる。 そして二人で教室を盛り上げる。 良いね、これ。 あ〜〜あ。 |