絶対絶命日記 2005.6.1-30 青い水晶の嵐の年スペクトルの月 6月13日。 オヤジの体調が悪い。 オヤジからも色々と考えなきゃだめだぞ。 と言われた。 考えなきゃな。 生きてる間に孫の顔。か。 青い水晶の嵐の年スペクトルの月 6月30日。 手術のあと、肩が痛い、首がいたい、足が痛いと言ったので、肩や首や足をさすった。思ったよりも肌には艶があったし、筋肉も張りがあった。 気持ちよさそうにしていた。 ふとこれから30年後、ぼくの肩や足をさすってくれる人がいるのかと思った。 いないのだ。 奥さんもいなければ子供もいない。 その頃はお袋ももちろんいないし、妹だってばあさんだ。 1人だ。 1人なのだ。 1人で病院のベッドでぼんやりと窓の外を眺めているのだろう。 歯噛みしながら、悔し涙流しながら、唇噛みしめながら。 いやもうそんな力も残っていず、呆然と外を眺めているのだろう。 何でこうなったと呟くこともできずにだ。 まだオヤジは幸せではないか。 人工肛門になったので、前より物が食える。 前はすぐに便秘になり、何も食えなかったのだ。 できるだけ美味いもの持っていこう。金がないから、珍味狙いだ。 親孝行したい時に親はいない。全くその通りだ。 せめて数多く実家には帰ろう。そして親父の若かったころの話を聞こう。 照れることもないだろう。 もう時間はないのだ。 小さな頃の話や、学生の頃の話や、海軍の話や、俺が生まれた頃の話や、会社で働いていた頃の話や、お袋と出会った頃の話やそんな話を聞こう。 聞いたことなどないのだ。 照れることもないだろう。 時間はもうないのだ。 |