絶体絶命日記 2005.11.1−30 黄色い宇宙の種の年自己存在の月18日 11月2日 行をするのだ. それしかない. ひふみ祝詞と般若心経を毎日唱える. 走りながら陽気と土気を全身に入れる. 走ることを行にする. 瞑想. 空(から)にする、空(くう)にする. 宇宙のエネルギーを引き入れる. 身魂を磨く。 神の子であることを実感する. そして自分の行に囚われない. 行は子供たちを幸せにすること. 神の子である子供たちに神の子として逢い、敬い、彼らの曇りを磨く. 彼らに神の子であることを実感させ喜びを経験させる. それが教室での行い. 喜びを与える. 苦しみをぬく. 黄色い宇宙の種の年自己存在の月20日 11月6日. 成田でハーフ走ったあと、館山の安房神社にいった。 親父が安房神社に昔海軍にいた時によく参拝したといったからだ. 戦没者が祭られているという. そこで行った。 本当は成田からずっと携帯のメールで途中実況中継しながら(現在君津、もうすぐ館山、今神社到着、これから参拝.)行きたかったが(できるだけ自分で参拝している気分にした方が、いいのではと思ったからだ.)なぜか携帯の充電がいきなり三分の一。 それでそれができなくなった.そこで使いきりカメラを買って神社の全てを移すことにした. ところが雨なのだ.それもかなり強い雨. しかも電車の連絡が悪く館山に着いたのは4時過ぎ.さらにバスは1時間待たなくではならずタクシーで行くことに. ただでさえ金がないのにタクシーだ。 そこでむかついてきたのだが、しかしそこでむかついては何のために来たのかわからない. 少しでも喜んでもらいたいのだ. ありがたいことに神社に着いた時には雨がやんでくれた. いい神社だった. これはかなりいい. 背後にたたずむ森は深く、御神木は太く高く根はごつごつと広がり、境内は隅々まで綺麗に丁寧に掃除も手入れもされている. 全体に敷地は広くはないが、本殿、末社、神池、木々、慰霊の碑、社務所、どれもが慎ましやかに佇んでいる. そして人がいないのだ. 5時近くで雨.誰もいない.玉砂利を踏む音が雨の音に混じり境内に響き渡る.神様に申し訳ない気がした。 病気平癒のお守りを買った. 黄色い宇宙の種の年自己存在の月21日. 11月8日 般若心経とひふみ祝詞. それを毎朝3回ずつ奏上する. 両親のため、教室に来る子供たちのため、今日会う人々のため. 心乱さない. 目の前の人を喜ばす. 自己犠牲もしない. 喜ぶ姿を楽しむ.楽しめるよう自分を高める、広める、大きくする. 磨く. 身魂磨き. 自己犠牲の思い、俺がこんなにしているのだぞ。 小さい小さい. 小さすぎる. 与えただけ戻ってくる.それ以上になって戻ってくる. 戻ってこなくてもいい. 与えることができたことを感謝する. 与えて喜びを経験できたのだ. 無理やり感謝ではない. 神の子なのだ. 神の子はそんなことでウダウダ言わない。 もっともっと大きく大きく. 空即是空. 空即是空. 空即是空. 何もない所が形を生む. 思いが形になる. 思いは形になって帰ってくる. 空即是色だ. 黄色い宇宙の種の年倍音の月2日 11月16日. 毎日の仕事が行. 一つ一つの日常の動作が行. 布団をたたむのも、野菜を切るのも、湯を沸かすのも、歩くのも、テレビのスイッチを入れるのも、ガスの栓をひねるのも、一つ一つが行. 丁寧に、意識し、何気なくをなくす. 息をするのも行. 走るのも行. 吐く息、吸う息. 吐く息を全身から出す. 吸う息を全身に送る. 太陽の光大地の気. 太陽の気を頭頂から入れる. 足から大地へと流す. 大地の気を足から入れる. 頭頂から天に放つ。 吐く息、吸う息、陽気、土気、その4つを意識する. 一度には難しいので、まず吐く息に1km、次の1kmは吸う息、次の1kmは太陽の光、最後は大地の気、4kmで1セット. 10セットやれば40kmだ. それでフルは集中する. 日頃の練習でもそのように呼吸と天と大地の観想を行う. 立派な行になる. 黄色い宇宙の種の年倍音の月6日 11月20日. 親父が元気がない. 体が動かなくなったのだ. 惨めだという. 何とかしたい. どうすればいい. 黄色い宇宙の種の年倍音の月9日 11月23日. 親父の左足を1時間揉む. パンパンに腫れ上がっている. それを揉み解す. あせが出てくる. 極楽極楽と言ってくれる. 嬉しい. 一体これから30年後、誰がぼくの足を揉んでくれるのだろう. 親もいない、子もいない. 悲しいもんだ. 黄色い宇宙の種の年倍音の月15日 11月29日 耐震強度の偽装計算. 姉歯設計士. 小嶋不動産. 民間調査機関. 建築屋. どいつもこいつもいかにも今の日本なのだ. 腹が立つ.むかつく.むかつきまくる 姉歯にはたかが自分が関与しているのは細かな数字であり、それをどういじろうが実際の仕事にさしさわりなど無いという想像力を完璧に欠いた、いい加減で、適当な態度が見える. 自分の建てたマンションで震度5以上の地震が起き、それで家屋が倒壊し人が死ぬ、というようなことを考える頭がそもそもないのだ. だから不動産屋から安く上がるようにしてくれといわれれば、いいことでもしたつもりになって数字を変える.それが自分の仕事であり責任であるとでも思う.悪い事をしたとは思えない. 自分の仕事への想像力と責任を自覚することのできる設計士の自殺を見てようやく自分のしたことに気付く.そして怖いから外に出られないなどという. これまでの何十年かの人生で、一度も自分の責任ということを考えたことのない人間の情けない顔. 見ていて虚脱感以外の何も感じることができない. 小嶋がまた一昔前の拝金主義の不動産屋の顔そのままだ. 目の前に積まれていく自分の金、それだけが彼のリアリティだ. 積まれていく金が増えていくことが彼にとっての善であり、それを阻止するものと戦うことが彼の正義だ. 彼のその正義感は立派で、国会の場でさえ恫喝を繰り返しこれまでの彼を支え作り上げてきた態度を隠そうとはしない.あるいはできない. 他人の生活や人生への想像力はやはり全く無く、自分の持つ権利と金を守り増やすことへの意志が彼の全てだ. 実際テレビカメラを前にして、また国会という場であることも忘れ、大声で恫喝を繰り返せる神経は既に常人のものではない. また建築物の是非を最終チェックする機関に仕事を持つものは、我々は性善説に従い仕事を行うという.専門家が作ったものだから問題は無いという立場でチェックするという. 又そうでないと、短い時間で設計図をチェックすることは実際上無理だという. 一体彼らは仕事を何だと思っているのだろう. 彼らは社会人なのだろうか. その前に大人なのだろうか. 彼らの仕事であれば、小学生でも、国語辞書がちゃんと使え文書を読むことができるのであれば、小学生でもできる.確実にできる. 小嶋に脅されたと被害者面をしているが、正しさへの責任を自己の仕事とできていない点で、小嶋より劣る.小嶋は自分の金を増やすことを自己の仕事としている点で仕事への自覚はあるのだ. 実際に建物を建てた建築屋. 彼らは現場で実際の形あるものを作る職人ではないのか. 鉄筋の数が少ない. これじゃちょっと大きな地震でも来たらまずいんじゃないか. 現場の人間の何人かは思ったはずだ. まずそう信じたい.それが見抜けるくらいの力はまず持っていてほしいと願う. そしてそのあと、でも地震が来てこのマンションが倒れるってことはないだろうと思って、そのままに現場を立ち去った建築屋たちには、実際に現場で物を作る職人の誇りは無い. 作ってしまえば、建ててしまえば、仕事が終ってしまえば、関係ないのだ. どいつもこいつも自分の仕事への自覚と責任.それがかけらも無い. どうなってんだ. どうなってんだよ. 若いのから、年取ってるのまで. 疲れるよな. こちとら真面目にやってて、年収250万だよ. やんなっちゃうよな. 2005.11.30 |