絶体絶命日記    2004.7.1−.31

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月7日。

7月3日。

 

NAFL 日本語教師養成通信講座の24回のテストが終わった。

1回のB以外,すべてA.

まぁ,テキスト読めば答えられるものだから自慢することではない。

7月はテキスト再読,他の参考書,置いといた「月間日本語」3月号から8月号を読み,弱点を補強し,8月からは過去問集中。と考えていたが,どうもまだ日本語教師の全体像が見えない。高い金を出して授業ビデオも買った。きっと,一番いいのは,実際の授業の見学なのだろうが,今はそうもいかない。

周りから攻めていくしかないのだ。

24冊の本を読んでもまだぴんとこない。

というところで,いいものを見つけた。放送大学だ。テレビとラジオ。

見てみるとけっこう役に立つ講座がある。さっそく昨日から見,聞いていると。

たとえばラジオでは,

 

 教育の哲学,教育心理学,外国語のとしての日本語,近代の教育思想,国際化と教育,国語学概論,教育評価, 日本語の歴史。

 

テレビでは,

 

学校システム論,社会学入門,生徒指導,教育社会学,教授・学習過程論,教育の方法,教育の社会史,外国語としての日本語,

 

そしてそれ以外に,日本,アジア,アメリカ,ヨーロッパの,文学,歴史,生活,政治講座もある。

 

聞きたいのが,一日,4,5講座はある。どれも日本語を外国人に教えていく際に支えとなる知識だ。

その為にラジオとタイマーも買った。

移動の時間にはラジオを聞く。

仕事中はタイマーで録音する。テレビは録画する。

ところがラジオの録音は難しい。

ラジカセにタイマーをつけるのだが,テープは最長1時間だ。ところが講座は1講座が45分,聴きたい講座があっても2講座を録音することが出来ない。

これはけっこう盲点だった。(盲点といえば,買ったタイマーが最初作動しなかった。電源ONまであと何時間,でセットするやつなのだが,時間がきてもONにならない。その手前で針が止まってしまうのだ。ネット通販はやはりダメか,と思ったが,前日生徒と社会の勉強中に,フォッサマグナともに,東日本と西日本を分けるものに周波数がある。というのを思いだし,器機を良く見ると,確かに50と60を分ける目盛りがある。矢印を50に倒しセットすると,時間通りにONになった。ほっとした。高々2500円ほどのものだが,月14万もない身にとっては大事なのだ。だが)テープが1時間しか録音できなければどうしようない。

3時間,片道90分のテープをヤフーで探したがでてこなかった。

 

これはしかし辛い。

もしかしたら,コンピュータでラジオを出し,そして録音,というのができるのかもしれないが,どうやっていいのかわからない。

こちとらラジカセと,テープの世界なのだ。

 

だが思い切って買ったラジオはよかった。

これまでダイソーの100円ラジオだったのだ。AMはダイソーでも大丈夫。

立派に大丈夫だ。

たいしたもんだと思う。100円でちゃんと聞こえる。ありがたい。感謝感謝だ。

ただFMはやたら音が途切れる。

放送大学はFMなので,これは使えなかった。

そこで思い切って,実に思い切って,4000円出して,ソニーのを買った。

「高感度」という文字を信じた。

ライター型の可愛い奴だ。

スイッチを入れた。

部屋の中でだ。窓際に移動しようとしたが真中でよく聞こえた。実に良く聞こえる。ちょっとダイアルを回すと,いきなりステレオで重低音が響いてきた。

たいしたもんだ。ちょっと感激した。

ここまで聞こえるのだ。

さすがに4000円だけある。100円とは違うのだやっぱ。

貧乏はちょっと悲しい。

 

そんなわけで,ここで一気に勉強が増えた。

だが4,5講座も聞いていると,3,4時間は消える。

それでもいいのだが,10月絶対合格,であれば,そのために毎日,最低3時間は一発合格のために使いたい。聞きすぎてもしょうがないのだ。まぁ講座も聞いていけばつまらんのもあるだろう。淘汰されていくはずだ。

 

勉強だ,勉強。

日本語教えることには,大きな意味がある。

もちろん謙虚にだ。

頭下げる所に神流れる。神が流れてくるのだ。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月10日。

7月6日。

 

◎神のみ業は誰にも理解できない。

◎人は塵から生まれ塵へと帰っていく。

 

◎胎児は全てを知ってでてくる。胎児の五感は母親の胎内で全て完璧に機能している。

 

夏で廃校予定の教室が生き残った。

だがもっと家賃の安いアパートを探せという。

8.8万。床はボヨンボヨン,築40年の木造ぼろぼろ一軒家だ。

探すと近くに5万9千円のがあった。

少なくともここよりはいいだろう。見学に来て珍しそうに眺めて帰っていった子が何人もいたのだ。ここらで替われるなら替わりたい。

 

不動産屋に電話をかけ住所を聞いた。明日見に行く。

もっとも教室が残ったからといって,もうこの教室は来年3月で終わり。

このままでもいいことはいいのだが,

まぁ,最後じたばたしたいのだ。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月14日。

7月10日。

結局管理費やらなんやらを入れると7万5000.変わらない。

であればこのままだ。

このままここで朽ちていく。ということだ。

それに引っ越すと,卒業生が来た時会えない。

たまに来てくれるのだ。それが唯一の救いだ。

 

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月21日。

7月17日。

 

学校と一番よく似ているものは,監獄と病院である。

開かれた学校という幻想。

 

青春は繰り返しやってくる。老いることで人生の可能性は消えていくが,その先には成熟という無感覚が待っている。

 

教師のストレスが生徒のストレスを生み,生徒のストレスが教師のストレスを増やす。その悪循環。

 

 

 

勉強だ勉強だ。

みんなもう何かを成し遂げている。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月22日。

7月18日。

 

蛍取りはできるだけ大きな音を立て蛍を追い立てる。

蛍は草むらに身を隠すが,恐怖のあまり身を赤くし,それで容易に捕まえられる。

 

木は自らを枯らし葉を落とすことで自らを肥やす。

 

野焼きの炎の中に1本の木が立ち尽くしている。

1羽のウサギが小黒く小さく転がっている。

火は,走る。

黒い捲れあがった絨毯があとに残る。

そして炎が嘗め尽くしたのあとの草原に,青い芽が顔を出す。

 

後漢の光武帝が紀元57年に「漢委奴国王」と刻んだ金印を送ったことに,既にその時期に日本に漢字が伝わり,漢字を理解していた人々が政権を掌握していたことを表している。

 

 

右から左へ文字を連ねる書き方は,横書きではなく,一行一字の縦書き,縦書きの一形態である。

 

 

天下は天下の天下である。

人はその人により人となる。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月26日。

7月22日。

 

来た。

教室移動の話。

東京に人がいなくなりにっちもさっちも行かなくなってる教室があるらしい。

そこで見渡して,千葉で少ない人数の教室を持っている私が狙われた。

えらく遠い。

8年間持っている今の教室はほかの人に渡し,そこへ行けという事らしい。

今の教室は地元だ。

昔会社が倒産しそうになった夏,その時中3が8人いて,このままでは入試に支障が出る,最悪の時はそこでアパートを借りて生徒を引き受けようと覚悟し、引っ越してきた。

 

そこを退いて,東京に行けという事らしい。

9月。

 

どうすればいい。

人数はきっといるのだろう。給料は増えるのかもしれない。だが今回のことで,既に問題ありの教室なのだ。それに遠い。

 

今の教室で生徒が増えないことが問題なのだ。

増員活動をしていないのが原因だ。

口コミだけを頼りにしている。

だが市進,京葉が強い。

 

ここは真面目に増員活動をしなければならないのだろう。

そして東京行きは断る。

そういうことか。それがベストか。

考えよう。

お山に聞こう。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月5日。

7月30日。

 

「これまで20年間やってこれたのは,自分が持った生徒への責任は最後まで果たさなければならないという思いがあったからでした。生徒の勉強にかかる負担を減らし,ストレスをとり,気持を前向きにし,さらに成績を上げる,そして中学,高校に合格させる。

その責任を果たすことがこの仕事の意味であり目的であり,しなくてはならないことだと考え,続けて来ました。9月に今いる生徒を置いて別の教室に行くことは,その責任を放棄することになる。それはそのままこの20年間やってきたことを捨て去ることにもなる。だから教室の異動を受けるわけには行きません。

 

 

こういうことを言うわけだ。

明日会議。

 

白いスペクトルの魔法使いの年宇宙の月6日,

7月31日。

 

悪い話ではない。

急遽会社の方針が変わったらしい。

 

これまでうちの塾は高かった。

教材費が高すぎた。それをクレジットを使って何とかしていた。それを嫌う親は多く,それをこちらで,週1回の契約内容で2回通塾,2回で3回,週何回でも,あるいは教材をコピーして渡したりということで,金額面での不満を何とかしてきた。

現場での対応で会社の無茶を補ってきたのだ。20年間も。

それが教えるものとしてのプライドでもあった。

だがそれが増員活動でのネックでもあり続けた。

 

今回,教材費が下がった。

クレジットの使用もなくなった。完全月謝制だ。

そこからくる評判の悪さに会社も気付いたのだ。

 

いいと思う。

これで普通の塾と同じになった。

しかも指導は言っちゃぁ悪いがほかよりもいい,はずだ。

これからは気持の重荷なしにビラ配りや,ピンポンができる。

駅に立っての手渡しもできるだろう。

 

だが落ち目になった塾はそのまま落ちていく。

それが宿命だ。

 

だが相変わらず馬鹿高い教材を売らなければならないままの増員活動を続けていかなければならなかった昨日と比べれば,すっきりした。

 

そしてこれからは人のせいにはできなくなったのだ。

まずはあと8ヶ月,4月まで動こう。

そのあと蒔いた種の結果が出るだろう。

そしてその結果を見て再度動こう。

2006年3月。

ダメならここで,終わり。

終わりだ。

 

だが終わりがここで見えた。

今までは見えなかった。

こんな馬鹿高い教材費で誰が入るか,冗談じゃないぜと,うじうじしてるしかなった。

それがほぼなくなった。(もう少し安くならなかったか。)

あとはこちらの問題だ。

ダメならそこまで。

 

転職でも,旅にでも,飛び降りるでも,お好みだ。

終わりが見えた。

ということでスタートが切れた。

 

同時にもちろん日本語教師も続ける。

これはまず塾を続けていく際にも勉強になるし,それにもちろん保険になる。

といって,50歳を越えた実務なしの日本語教師の需要があるのかどうかは不安だが。(あるはずない。)

 

だがこれで,だらだら日本語教師の勉強をすることもなくなる。

増員活動,日本語教師の勉強,どちらも必死にやる。

マラソンもだ。

どれも方向が見えた。

 

最後の聖戦。

 

 

そういうことだ。

 

2006年3月。

 

ここがゴールだ。

良いも悪いも。