絶体絶命日記 2003.3.1−30 赤い惑星の月の年 銀河の月8月28日. また同僚が2人いなくなる. 寂しい. 教室の数も2つ減った. 最盛期の4分の1だ. ぼくの持つ教室では今日1名増員ができた.もう一つの教室でも下旬に1名入る予定だ. といっても現在中2生がそれぞれ8名と7名で、来年彼らが卒業すれば次の年には僕の教室もやっていけなくなる.これからの1年で最低来年卒業する人数を確保していかなければならないのだ. 「読解・作文教室」のチラシの反応がない. といってまだ300枚ほどしか配ってない. 数がまだ少ないのだ. 少なくとも1000枚は配らなければ. ニーズはあるはずだ. 今年中に8名、7名を増やさなければならない. でないと50になって職を失う事になる. 資格があるわけでもない. あるのはガヤガヤ子供とやり合いながら勉強をした19年の経験だけだ. それを考えると虚しくなるばかりだが、少なくとも今年一年は15人の中3生を必死に教えるという時間を過ごすことはできる.それを思うと気も入り、背筋も伸びる. まずはこの1年に集中する. もちろん増員活動はもっと必死にやる. そして来年のことは考えない. この1年出し惜しみせず、全力を尽す. それしかやはりないわけだ. ないわけだろう. 赤い惑星の月の年 太陽の月9月10日. 疲れた. 合気道やら、ビリヤード. 相変わらず走っている. 受験はうまくいった. 頭を下げられた.感謝された. 1人.独り. 子供は可愛い. 思ったより体が堅くなっている.背骨と腰の骨だ.これを回して柔らかくする.そこに気を通す.首もだ. 今年1年で終わりだ. 来年はない. だから今年の子供達15人の受験に精魂込める. 合気道で気を込める. それで自分を支える. そうすればその後は合気の修行で支えられる. 誰かと出会える. そろそろの時期だ. あと10年. 新しい魂の世紀だ. それに備える. その前に両親を安心させたい. 思いを伝える. メールでも教室でも、言葉足らずでも構わない. どこでも構わない. 伝える. 一言も100言も同じ. 語る. 透明にする. 空にする. 自分を中空の竹にする. そこに神を流す. 酒もタバコもやめる. 濁りを取る. お役に立つ.世のため人のため.それしかない. 小さな一滴が21世紀を決める. 捨石.今は捨石. 赤い惑星の月の年 太陽の月9月19日。 昔の同僚がキムチ鍋パーティーに誘ってくれた。 ありがたい。 友だち付き合いは全く少ないほうだから、うれしい。 みんなリストラや余りに低い給与でやってられなくなりやめていった同僚たちだ。 もともとぼくは話し上手ではないし、気を使いまくるから人付き合いは苦手だし、それ以上に嫌いだ。人に会わなくてすむならそれに越したことはない。 だがこの年になって誘ってくれる人がいるのはありがたいし、そういう時はでる。ぼくのことを覚えていてくれる人がいるというのは正直嬉しいものなのだ。 この年になってしまえば、だ。 ひたすら滅びモードに入っている今日この頃だから、だ。 だが最近はめっきり酒に弱くなり、知らぬ間に寝てしまっている。 今日もそうだった。 食って、ちょっと酒飲んで、それで寝てしまったらしい。 弱くなっている。 2日前に全力出し切ってフル走ったというのはあるにしても、何の記憶もなく寝てしまっているのだ。 無礼でもあるだろう。 だが全くころっと寝てしまう。 年なのだなと思う。しみじみ思う。 なんか、誰かにしみじみ語りたいとも思う。 いつも人の話ばかり聞いてきた。 生徒の話もそうだ。 人の愚痴ばかり聞いてきた。 たまには愚痴を誰かに聞いてほしいとも思うが、その前にもう寝てしまうのだ。 辛いもんだ。 哀しいもんだ。 赤い惑星の月の年 太陽の月9月24日。 3月30日。 古尾谷雅人、だっけ。 死んだ。 45歳。 スクリーンでは気になっていた役者だ。 過剰なエネルギーの持って行き場を無くしているに人間。 そんな感じだった。 だからテレビでは浮いていた。それが良かった。気になっていた。 45歳だ。 自殺の理由はわからないとのことだ。 来たのだ。 急に来たのだ。 グワ〜〜〜ときたのだ。 チガウダロチガウダロチガウダロ、コウジャナイダロ、モウナイモウナイナニモナイ、なんにも無い。 たまたまそこに丈夫で長い紐があったのが不運だった。 あとはその紐に飛びついて一気に輪を作り柱にかけ、そこに首を入れ、ジャンプしたのだろう。 それで終えられる。 おしまいだおしまいだおしまいだ、これで、お、し、ま、い。 グワ〜〜と来たのだ。 こっちも来ていた。 もういいだろう、48だ。 たまたま紐が無かった。 昨日教室に卒業生が来た。 J.H.とW.S. 今日、ダイソーで3年振りに.D.T. 声をかけてくれた. こういうのは何なのだろう. 誰かが呼んでるくれるのか. まあ、だったら、もうちょっと頑張ってみようかということになる. そういうことになるのだ. まあ、もうちょっとということだろうが. |