絶体絶命日記 2002.8.1-31

8月4日。日曜日。

 

高校のときの友達3人がきた。

みんな白髪と出っ腹、体調不良。

たしかにもうすぐ50だから当然だが、走り込んでいる分こっちの勝ち。

だがみんな子供もいて、いい金もらっていて、それはこっちの負け。

 

5月の同窓会の写真を持ってきた。

やはりみんな見事にオヤジ化、オバサン化で変わり果てている。

しかしヒゲを生やしたり、派手な化粧したり、長髪やちょん髷の奴もいて、ただのオジサンオバサンではない。けっこうがんばっているようだ。

 

同窓会には行かない。

だいたい会いたいと思う友だちがいない。

孤独に過ごしていたのだ。

文学青年を気取っていたからいつも一人だった。

みんなも覚えていないだろうし、こっちもほとんど忘れている。

会って向こうが覚えていてこっちが思い出せない状況を考えるとびびってしまい、行く気が起きなくなる。

 

会って思い出す事も多々あるだろうし、それに興味もあるが、会って盛り上がる思い出が思いつかないのだ。

自分の中にこもって外には出なかったから、しょうがない。

1つ人生の楽しみを無くしたような気がする。

 

8月4日。火曜日。

英語やってない。全然この1週間聞いていない。

富士山でだいぶ気を使っていた。

それでちょっと気の抜けた状態。

しかし7月は99時間聞いた。6月は96時間。

少しぐらい休んでもいいだろう。耳にも休憩がいる。

 

それにしても聞き取れないものだ。

やめちまおうか。

 

と思う事も最近増えた。

別に誰がどう文句つける訳でもない。

生徒たちだって先生もがんばってるぞと言い過ぎたか、もう興味など持っていない。やめてしまっても誰も文句は言わない。

 

と思ってやめると、どして先生やめたの〜〜〜と非難の大合唱。

それも目に見えてるのだ。実は。

 

ぼちぼちまた始めよう。

1日3時間はさすがに疲れる。

 

エアコン壊れてるから暑いぜ。

体がカッカしている。

シャワー浴びて何とか体温落とさないと。

8月10日。土曜日。

 

上司が死んだ。

直接の上司ではないし半年に1度ぐらいにしか会ってないが、この4月には集中研修を受けた。大した研修ではなかったがそこそこ世話にはなった。

明日告別式に出るかどうか迷ったが、行くことにする。

 

今思い出すと元気な顔と訛りのある声が懐かしい。

知らなかったが僕よりも若かった。

午前中に早めに会社に来て、倒れ、後から来た社員が救急車を呼んだが、お昼過ぎに息を引き取った。

あっという間だったらしい。

家族も死に目には会えなかった。心不全。

 

倒れた時何を思ったろう。

自分が死ぬと思っただろうか。

苦しかっただろうか。

死ぬ恐怖に震えただろうか。

無念だったか。

悲しかったか。

最後死ぬ事に納得したのか。

 

やはり人は死ぬのだ。

考えてみるとこれまで葬式に出た相手はみな老人で特に感慨もなかった。

順番だったからだ。十分に生きた者が死んだ。

今回はぼくよりも若い。

しかもあっという間だ。

元気な顔しか思い出せない。

最後の挨拶はしに行かねばと思う。

 

8月11日。日曜日。

安らかな死に顔だった。

それは本当にホッとした。

たった2時間の間で死んだのだ。

無念の死だったはずだ。言い残したいこともあったはずだ。恨み言もあったはずだ。

だが微笑んでいた。

生きていたのだろう。

「良し」

と自分に言ったのだろう。

 

奥さんは号泣した。中3の息子は歯を食いしばっていた。立派だった。

死んで3日経っていない。

納棺で死んだ夫の顔を、父親の顔を見るのは初めてで最後の経験だ。

なんだこれ?

どして父さんここに寝てるの?

どしてこんなに強張っているの?

どして呼んでも返事してくれないの?

 

不思議だろう。

納得できないだろう。

どんな気持ちになればいいのか、どんな顔をしていいのかわからないだろう。

ただ棺に横たわり動かない姿は圧倒的だ。硬く動かない姿は圧倒的だ。

意味もなく圧倒的だ。圧しかかってくる。容赦がない。決定的で徹底的だ。

 

 

帰り、元支社長、元営業本部長と一緒になった。

もともとパワフル、エネルギッシュのオバサン2人。

涙を流したあとは社員の現況、噂話、よもやま話。

そして

「あんた結構いい男だし年より10歳は若く見えるんだから、可愛い子見つけたら押して押して押し倒すの。のっかうちゃうの。マンション持ってるんでしょ。それ強みよ。俺の嫁さんになれって一気にもってっちゃうのよ。

あんたもうすぐ50なのよ。

のんきにマラソンなんかやってる場合じゃないのよ。」

 

言われまくった。

でもまさかここで会うとは思わなかった2人だったので、懐かしく嬉しかった。

しかしのっかうちゃうのか。

 

 

だがそれにしても、人は死ぬのだ。

押して押して押し倒して乗っかるのも正しい事なのかもしれない。

 

8月14日。水曜日。

実家に帰る。墓参りだ。

 

帰ったからといって、特に盛り上がる事もない。

まだ2人とも元気だし、できれば恋人と燃える夏の海とか、二人だけの花火大会とか、そんな夏であればいいと思っている身であれば、4日前に同い年の上司が死んでしまったり、2週間前に高校の友達と会って、みんないい給料もらっていて、良いお父さんになっていたりという状況であってみれば、実家に帰ったからといってさして楽しくもないということなのだ。

もちろんあえて率直に言ってみればの話だが。

 

二人とも元気でいることにまず感謝しなければならない。

それは分かる。ちゃんとした親孝行ができる可能性があるということだからだ。親孝行したい時には、親はいないのだ。

だが、まぁ、何かこうパ〜〜〜〜〜〜と派手に楽しい事あればなぁと思っている不謹慎な中年男にとって見れば、つまんなかったということさ。

 

カラオケに行った。

これまでも3回ほど両親といった事がある。

歌が合わないからつまんない。

当然の話だ。

親父さんは演歌。

お袋さんは歌わない。

こっちはスピッツばかりだ。

 

本を見ている時お袋が沢田研二とタイガースは別にあるんだと言った。

いつもは本を見たりはしないので、沢田研二の「勝手にしやがれ」「時の過ぎ行くままに」を歌った。

知っていた。そうだ知っているはずだ。

お袋もタイガースや、テンプターズは知っている。

 

お袋はこれまで歌った事がない。

何だろう。歌える曲は。

考えた。

「歌えるの何か知ってる?」

「赤青黄色。」

 

赤青黄色?

なんだそれ?

「結婚式でよく聞くでしょ。」

チェリッシュか?

 

そうだった。

定番だもんな。

歌った。

マイクの使い方が分かない、自分の声が聞こえないので歌いづらいとかあったが初めて歌った。いっしょに歌った。

それから「或る日突然」「恋の季節」「今夜は踊ろう」「ブルーライト横浜」「ウナセラディ東京」「5番街のマリー」「明日があるさ」「恋のフーガ」

と歌った。

 

一緒に歌うというのはきっと子供の頃、いや幼児の頃以来の事だ。

最後に「いつでも夢」を歌った。

 

なんかうまく歌えた。

本当にお袋と一緒に歌を歌うなどいうのは、40年振りの出来事とっていいのだ。

いい親孝行をしたと思いたい。

淡々とお袋歌ってたけど、まぁ、40年振りって結構長くない?

 

それなりにさぁ、息子と歌えたんだから、少しは嬉しくはなかったかな。

 

こんな事でしか親孝行できないんだよ。俺は。

分かってほしいよな。ダメかやっぱ。

 

8月15日。木曜日。

遠くから花火の音。

一人で行ってもつまらない。

誰かと会うのも煩わしい。

だからこうして書いている。

 

いつも通りの何もない夏。

一体なんだ。この何も無さは。

8月15日は敗戦記念日だぜ。

関係ないね。

 

もっと世界に。

もっと子供たちに。

もっとしっかりとした視線を。

 

自分の器だ。

自分の器でしか何もできない。

自分の器を決め付けてないけない。

しかしこの年だ、器の大きさはおおよそ分かる。

その中でできることをできる限りやる。

じゃあそのできる事とは。

やっぱ子供たちに教えること。

人間の弱さを教えること。

人間の強さを教えること。

ってか?

 

一人は辛い。

そろそろその辛さが現実味を帯びてきた。

もう50だぜ。

50で、打ち切りだな。

あとは四国の巡礼だ。88ヶ所を走る。

 

しかしその前に言いたい事は言っときたい。

このクズの日本。腐れ日本。

 

闘う事も耐える事も忘れた日本。

偉そうに中国や朝鮮に日本の主権を主張するのではなく、また日本の神話や伝統を否定するのでもなく、日本の独自性を他の国の独自性を尊ぶのと同じ様に尊び表現する。

 

それができないのか。

 

アメリカの占領下にあった以上、日本がアメリカの都合のいい、つまりアメリカの従順な家来としてふさわしい日本としてマインドコントロールされてきたのはしょうがない。

しかしだからといって、突然反アメリカでは14の女の子のプチ家出と同じで、気持ちは分かるが日本は国家なのだ。もっともっと広い視野を持たなければならない。911があった後であればなおのことだ。

 

つまり扶桑社の教科書だ。

 

内容に問題はない。

構わない。あれで社会の授業があってもいい。

だが問題はそれを作っている人々だ。

人々に問題がある。

彼らの「日本国家の主権」にこだわるこだわり方に問題がある。

狭い。

日本人の恥を濯ぐ。そこに集中しすぎている。

 

だが同時に彼らを批判する人々にも問題がある。

侵略戦争を美化している。彼らはそう批判する。

だが彼らには日本人として戦争の責任を取るという覚悟がない。

自分が日本人だという事実を忘れ抽象的な正義に自分を置いて批判に走る。

 

その真ん中に自分を置けないか。

日本人としての恥に耐え、戦争の責任を負い、そこから世界の平和を構築する為の理論と実戦を考え、発信する。

 

できないか。

我々はアメリカの広島、長崎の核による大虐殺を許している。

その寛大さを世界に明らかにしたい。

20万人に及ぶ民間人の大虐殺、それを我々は許している。

 

許すということ。

許すということ。

 

自らが死んでも相手を許す。

それこそが唐突だが、疲れてるので、いきなり言うが、武士道だろうが。

 

8月17日。土曜日。

まずい。

英語全くやっていない。

8月入ってトータルで5,6時間だ。聞こうという気が起きない。

 

まあ、2月から一月100時間近く勉強していたから、この辺りでちょっと休憩という感じなのだと思う。

そうそう続けて入られない。だが、来週から元に戻さないと、耳も戻ってしまう。

マラソンと同じだ。サボった時間の3倍かけないと、元には戻らなくなる。

 

眠れない。

怖くて眠れない。こんな事は初めてだ。

目を閉じるとその瞬間誰かが部屋を通りすぎる気がする。

その後姿を見るのが怖い。

だから目を閉じない。

本を読んでいる。

どうしても目が重くなりころんとなるまで、読み続けている。

 

そうでない時は、右手に突っ張り棒の太い奴を握りながら目を閉じる。

以前は耳栓をしていたが、側までやって来られたら恐ろしいので、はずした。

 

来た。

 

意味も無くそう思うとじっとしてられなくなり、棒を持って部屋中をチェックに回る。

5時を過ぎて明るくなる頃、安心し、眠る。

このところ3,4時間しか寝ていない。

 

これってまずい。

 

前までは横になればすぐに寝た。

以前気にならなかった部屋の中の空間が気になる。

空間の広がりが増しているのだ。

寝てられない。

 

 

8月22日。木曜日。

全く英語やってない。

そんな時もあるさと、とりあえず居直っとく。

8月はオヤスミだぁ!

 

8月29日.木曜日.

 

全く英語やって無い.

と言うか、TOEIC2回目、550点.

30点下がった!

リスニングが5点上がってリーディングが35点下がった!

時間内に終わったが、その分いい加減にすっ飛ばしたのだろう.

リスニングはもっと簡単なものを繰り返し聞くこと.

ヒアリングマラソンのは難しすぎる.

もっとわかったという小さな達成感を数多く経験すること.

子供の授業と同じだ.

 

9月から、9月から再開する.