絶体絶命日記2002.3.1〜3.31 3月7日.土曜日. 日曜日は東京で研修会. 親会社の社長も参加する.前半はうちらのビルで、後半は親会社のビルで. 支社の代表として決意表明をやることとなった. 昔は売上何億とか叫んだが、そんな事やってからこうなったのだ. もっともっと目の前の生徒に目を向ける. 目を向けられる環境と状況を作る. 身を粉にする先生をきちっと評価し守る環境を作る. 数字は正直だと数字だけで見ることをしない. 現場の厳しさをわかろうとする想像力を持つ. まぁ、傘下になって初めての研修. どんな雰囲気なのか. 興味. 3月9日.土曜日. とりあえず英語続いている. 聞き取りたいのだ.奴らの話していることを、 わからないというのが腹が立つ. 6月まずは2級とって、10月で準1級. 英語の読みの勉強で昔買ったバクワン・シュリ・ラジネーシを読み始める. 25年前だ. カセットも一緒に買った奴だ. 当時はカセットのスイッチを押して聞こえてきたバクワンの声に幻滅して聞くのを即座にやめた. なんとがさつな声だと. 確かものすごく期待していたのだろう. 声を聞くことに期待をしていたのだろう. 声の波動を受けようと身構えていたのだろう. それで最初の声でがっかりしてしまったのだ. 25年ぶりにどきどきしながらスイッチを入れた. またあの声だ.しかしそれはバクワンの声ではなかった. テープの説明者の声だった! そのあとバクワンの声が聞こえてきた. 繊細で丁寧で、少し何かに怯えたような、うつむいた声. しかしその声の底にはすーと大地と空とに繋がっていく広がりがあり、それが聞いている者の止まった心を少しずつ揺らし始める. ヒゲだらけの少し獣を思わせる強い視線とは違う、一言一言が硬い小さなまだ熟していない木の実のようなつぶつぶとこりこりとした感じ. いい声だ. バックに機関車や物売りや、子供の遊ぶ声、鳥の鳴き声が入っている. えらくいい. 落ち着く. それにしても25年前はなんと早とちりの馬鹿をやったのだろう. 3月10日.日曜日. 研修会. いや決起集会だ. 再生、新生を誓い、この1年で黒字転換だ.エイエイオー! 上の人たちは月間何本必達!と相変わらず叫ぶ. 数字しか見ることのできない薄っぺらな物の見かたが、決起集会などしなければならなくなった今の危機を呼び込んだことに気がつかない. しかし上とはみなそんなものだ. だから上に立てる. 実際現場でやっていることは馬鹿みたいに、子供一人一人に身を粉にした、馬鹿正直な指導、指導の連続だ. それはどこの支社のどこの教室もそうだ. ただ個別指導は儲からない.一教室の人数は50人をこえない.ほかの進学一斉指導なら1回1教室の授業に50人を入れられる.そして何教室もある. さらに一人一人を見ていけば、きりがなく、使うエネルギーは果てがない. しかしそれに見合う給料はないから、みんな疲れきる. この時代の虐げられら子供達を何とかしたいという熱意と使命感だけで、自分を支えていく. 上の人にそんな気持ちはわからない. 久しぶりに昔の仲間に会った. 昔ぼくの下にいた2人だ. ぼくは現場にいたかったから、上に上がっても現場に戻してくれといって、戻った. 彼らはそのまま上に行った. そして今回彼らの職位が営業へと変わった. 愚痴を聞いた. 2人とも教室での子供達とのやり取りが大好きで、遠足や合宿、キャンプではいつもリーダーで、というよりガキ大将で走り回っていた. それがオーダー何本の世界に今年から変わってしまったのだ. 愚痴を聞いた. そう言えば、昔二人が下にいた時もこんなふうに愚痴を聞いた. ぼくは上にいても特になんのマネージメントもできなかった. ただ愚痴を聞いていた. そして愚痴を聞いたあと彼らはいつも元気になり、その後良い仕事をしてくれたのでそれはそれでよかったのかなと思ったが、今はそういう人がいないのだという. 自分たちの苦しみを誰もわかってくれないという. 辛すぎると言う. じっと聞いていた. そういえば教室でもこんな感じだ. 家で、学校で、部活で、友だちとの帰り道で、こんなことがあった、むかついた、腹が立った、悔しい、冗談じゃない、そんな話を延々と聞く. 時々自分はごみ箱じゃないかと思う. みんないらない汚いものをぼくに捨てる. そして捨ててすっきりする. ぼくは必死で答えようとするが、答えられない. 考えれば考えるほどわからなくなる.どう答えても答えにならないような気がして、嘘を言っているような気がして、黙ってしまう. 何とか答えようと思っているうちに、なんかみんな、晴れ晴れした顔で帰っていく. だったらいいか、と思う. うん.それでいいんだと思う. それで疲れたのか馬鹿やった. なんか、Hビデオみたいなと思ったのだ. しかし地元ではまずい.そこで1つ前の駅で降りた.確か走っていた時に見つけた店があったのだ. レンタル屋だとメンバーにならなければならないので身分証明書がいる.しかし今はもっていない.となれば販売も行っている店. 覚えていたのだ. 入った。 ところが販売のビデオが少ない。 小さなダンボールが1個。そのなかに20本もない。 「すいません、買えるのってこれだけ?」 「そうだね。」 奥から60過ぎのおばあちゃんがでてきた。 「ここにあるのがそうだけど、でもここら辺のも別に売っていいんだけどね、この列のこの辺ね。それとこの列のこの辺。」 とあちこち示してくれる。 「お客さんの好みわかんないからね。あとこの辺のもまぁいいかね。」 ぼくはとりあえずその中から選ぶことにした。 しかし要するにレンタルにならないビデオなのだ。 良くない。 「これ、買える?」 僕は5本ほど選んだのを聞いてみることにした。 「それ?それはけっこう借りてくのよ。」 「これは?」 「これも、でるね。」 「じゃあこれは?」 「それもちょっとね。お客さん目が高いね。」 誉められてしまった。 残りの2本ではおばあちゃんかなりウンウン呟いていたが、じゃあこの2本ね。と言ってくれた。 「いくら?」 「そうね。」 ダンボールの中は500円から2000円までの値段があった。 残った2本は良く出て行くというシリーズの中のもので、2000円と言われてもしょうがないかなと思ったが、2本だと4000円、これは大きい。 貧乏生活者にはちょっと大きすぎる。 しかしおばあちゃんはいい人だった。 きっとこんなやり取りの好きな人なのだろう。 寂しい独り者をかまうのが好きなのだ。 「3000円かな。」 「ウ〜ん、2500円。」 思わず値切ってしまった。 「まぁいいかね。」 「ありがとう。今度会員になるからね。」 まぁそんなわけでいい買い物をした。 そして実際いい買い物だったのだ。 3月15日。土曜日。 鈴木議員。 典型的な日本の政治家。 これまでに必要だった政治家、そして日本人が望んだ政治家。 だが彼に日本という国家をどうするかというビジョンは無い。 地元にどうやってお金を持ってくるかが彼にとっての政治家としての仕事。 彼はそれを真剣に真摯に行った。だから悪い事をしたという意識は無い。 それを切られたのだから悔しかったはずだ。 彼は心から泣いた。悔しくて泣いた。 そこを理解し、彼のこれまでの労をきっちりねぎらい、そして手厚く葬る。 21世紀の日本の新しい政治家を期待したいのだ。 いや政治家などいらないのかもしれない。 NGOの大西とかいう人。 政府とは無関係に現地に入り、できる事を直接民間の立場で行う。 国家という枠を越える事がこれから必要なのだろう。 国や党の中で改革改革と言っている暇などないのかもしれない。 小泉さんも、改革を叫ぶ自民党のそれなりに知識もパワーも常識もありそうな若手議員も、結局は日本の古い政治の体質を延命させていく為のカードでしかないのかもしれないのだ。 もう政治にも、政治家にも期待しないで、それ以外の道を考える時期にきているのだ。 3月16日。日曜日。 相変わらず英検、文検、漢検、P検目指して勉強の日々。 特に英語は気合入っている。 1日3時間は使っている。 1日中勉強してる。 気が張っていて気持ちがいい しかしそのせいか首が痛い。 交差点では右左が見れない。 体ごと回す。 館山マラソンの後からだが、練習疲れと、勉強疲れで来てるのか。 こんな事は初めてなので、ちょっと心配。ただ純然たる筋肉痛なのでそのうちなれるはずと思っている。しかし1ヶ月以上になるのでやや辛い。 今も痛い。 朝起きるときが怖い。 首が回らないのだ。 3月28日。木曜日。 田中真紀子、辻元清美。 自爆。 変えようとするシステムと同じシステムの中にいながら変えようとすれば、自爆しかない。 そして2人ともそれにふさわしいキャラをもつ。 感覚と感情が論理を超えている。 だから自爆ができる。 問題は2番手だ。 自爆した1番手の開けた風穴をしっかりと押し広げる。 それをしなけば自爆した者が浮かばれない。 少しずつ動きだしているのだこの国も。 3月30日。土曜日。 飲み会。 何かやったらしい。 2次会のカラオケでの記憶が全くない。 そこでなんかやったらしい。 「主任だから言えたのだ」 「みんなの代表という感じだった。」 「そこまで言うかと思った。」 何を言ったのだ? 課長に何か言ったらしい。 色々あっての飲み会。 半分の先生は営業に移る。 しょうがないのだ。 それは分かる。 だが辛い。 というような気持ちから何か言ったのか。 カラオケの後は意識が戻り課長とも和やかに話したがその前のことだ。 何を言ったのだ。 怖い。 |