パサージュ74 2週間前、ここには大きな桜の木1本が立っていた。 幹がごつごつと太かった。 うっすらと薄いピンクが春には霞のように広がった。 その奥に5,6本の木が並び、微妙に変化する緑色の輪郭を青空にくっきりと示し、中央には日に日に伸びていく雑草が風にゆらゆら揺れていた。 ほぼ100メートル四方の空き地だった。 周りは家に囲まれている。 まず桜の木が真っ二つに切られた。あっけなく無残だった。 次に残りの幹が引き倒された。 太く張り巡らされた根がごろんと空に手を伸ばしていた。 ほかの木もあっというまに倒され半分に切られトラックの荷台に乗せられた。 雑草は5,6人の手で1日で刈り払われた。 ぽっかり空いた広々とした空き地をバックに掲示板が建てられた。 そこに幼稚園児たちの写真が可愛く張られた。春のお絵かき大会、夏のプール、秋の運動会、冬のクリスマス。お正月。 その中に総合グランド建設予定地と書いてあった。 しばらく空き地のままだった。 次に小型のブルト−ザーが2台入り、掘り返し、石や根や、コンクリートの破片や埋もれていたガラクタを丁寧に取り出した。 その上に砂利を敷いた。 そしてタイヤが何本もついている横幅の広い車両が行ったり来たりして地面を平らにし、そのあとスコップを持ったやはり5,6人の男たちがでこぼこを細かく直し、まっ平らにした。 翌日の午後そこを通ると、熱いアスファルトの匂いがむっと広がっていて、濃いい灰色がべったり地面に張り付いていた。 何かいやな張り付き方だった。 べろんと引き剥がしたいような張り付き方だった。 アスファルトはそのままだった。 そのままべったりと張り付いていた。 3週間ほど前には、ここにはピンクの花を咲かし、見てる間に草の青を不気味なほどぐんぐんと伸ばし、昼には鳥の、夜には虫の声を響かせ包む、黒々とした土があったのだ。 明るい緑と濃い緑の人工芝が運びこまれた。 これを敷いて総合グランドになるのだろう。 芝はどこまでも明るい緑と、濃い緑だ。これがぺたんと一面に置かれるのだ。 簡単に芝は敷かれた。 表面には白いラインが引かれている。どうやらサッカーのラインだ。今時なのだろうか。 砂利とアスファルトと人工芝。 ぼくはつるはしを探した。 だがつるはしは売ってなかった。スコップは大きいのから小さいのまで幾つもの店に置いてあったが、つるはしはなかった。 やはりないのだろう。そう言えばつるはしを見たのは昔線路工夫が線路の赤茶けた大きな石を掘り返している時だった。今から40年以上前のことだ。 だが昨日、すぐ近くの農家の納屋のすみっこにつるはしが立てかけられているのを見つけた。柄の木は腐っていて、三日月の鉄の部分はさびつき鋭利さはどこにもなかった。 見回したが誰もいなかった。 盗みにはなるのだろうが、こんな物なくなったところで誰も気付きはしないだろう。 それに時間がないのだ。 一昨日グランド予定地にのっぺりした緑色のフェンスが運び込まれた。ごろんと幾巻きかが地面に転がっていた。 すぐにでもこの緑が空き地を取り囲むのだろう。 月が出ていた。 満月ではない。 夜の2時。でも明るい。 ぼくはつるはしを肩にのせグランドに向かう。 重い。 錆の分だけ重いのだろう。 柄の部分は腐ってボロボロになっているが、残っている部分は固く湿っていて冷たい。 アスファルトに影が映る。 肩につるはしをのせた小さな影だ。 昔何かでこんな影を見た。 そうだ、7人の小人たちの影だ。 カンテラを持ってつるはしを肩にのせ、スキップを踏み口笛を吹き陽気に森の中を進んでいくのだ。 ぼくは口笛を吹こうとしたが、うまく吹けなかった。 スキップを踏もうとしたが、うまく踏めなかった。 それに影はひとつしかない。 ぼくはつるはしを振り上げる。 バランスが取れない。 頭上で一度止める。 深呼吸をする。 腰を落としながらまずは軽く人工芝に当ててみる。 思ったよりも深くつるはしの尖端が人工芝の中に入った。 ゆっくりと持ち上げた。小さな穴があいた。 要領がわかった。 ぼくは今度は勢いよくつるはしを頭上に振り上げると、思い切り地面に突き立てた。 ぐさっと人工芝からアスファルト、砂利の中に錆び付いた先端が食い込んだ。地面が下がったような気がする。 引き上げるとかなり大きな穴が残った。 ぼくは夜明けにまでに、こんな穴を幾つも幾つも開け続けるのだ。 2005.7.15 |