パサージュ−73

 

娘の運動会は雨で今日に延期になった.

実際は昨日雨は降らなかったし、隣の小学校は運動会を行った.

だが朝の天気予報が雨のち曇りだったので、それでいち早く翌日に延期になったのだった.

 

だが今日になってよかった.

土曜は仕事で休めなかったのだ.

それを言った時娘は悲しそうな顔をした.

6年にもなれば父親が運動会に来れないといっても別にどうということもないと思っていたが、意外にも娘はうつむいて唇を少し噛み、上げた顔は唇をとがらせ、目は怒っていた.えっと思った。

月曜のことだ.

 

 

娘は5年の春までは体も小さく、にこにことしていたがあまり口数も多くなく、すぐうつむいてしまう大人しい子だった.それはそれで可愛く、いつも高い高いをしていた.ずいぶん重くはなっていたし、娘も恥ずかしがっていたが、それでもいやがりはしなかった.

 

5年の春を過ぎる頃から背が伸びだし、すぐに平均に追いつき、6年になるとクラスでも後ろから数えるほうが早くなり、まっすぐ前を見て話す子になった.

親ながら黒々とした目は美しいと話している時はいつも誇らしい気持ちになった.

 

5年の時からリレーの選手になり、去年は娘が最後の1周で6位から2位に押し上げた.もしここで1位になっていたら白組大逆転だったのだがそれができず、ゴール後10人ほどの少年少女たちがグランドで肩を抱き合って泣き崩れるのを、驚いて見たものだった。その真中に娘がいた。

 

ほかの学校は知らないが、娘の行くこの学校は結構こういうことには盛り上がるようだ。

午前の部のラストの綱引きはPTAも参加する.

結局親の数が多いほうが勝つのだが、それで仕事で参加できない私に娘が怒ったわけでもない.なぜかこの地域では殆どの親が参加し、だいたい持つ綱がなくなってしまい応援に回る親が何人も出てしまうほどなのだ.

6月に運動会、そして10月には文化祭もある.

 

といっていじめは相変わらずあるし、万引きで捕まる子も、けんかもある.一昨年は放火もあった.

だが私も参加しているのでよくわかるのだが、父母会では色々な問題が起きても、そんな事もあるでしょう、あまり神経質になるのもどうかと思う.善いも悪いもある.悪いことにはふたをせずしっかりと見つめ、しかし善いことは2倍くらいに膨らまし、楽しく、あまり考え過ぎずにやっていきましょう.大丈夫ですよ.そうだそうだ.

とそんな雰囲気が大勢を占め、それでけっこう起きた問題はそのうち収まり、それなりに地域はまとまっていた.

私もそんな雰囲気は良いと思っている.

多くの問題は問題にした時から問題になっていく.

ほっとけばいい事だってあるのだ.

 

午前の部の最終、綱引きは我々赤組が勝った。

娘も昼食の時はにこにこと嬉しそうだった。

 

昼食も色々と問題があった。

最初は子供は教室、両親兄弟は外で、だった。

次に希望者は両親や兄弟と外で。

今は全員が外で食べる。

親のいない子は先生たちと食べる。

 

色々と難しいのだ。

だが自分の現実はしっかりと引き受けるしかない。

今のやり方も父母会で決まったものだ。

 

 

 

今わかった。

どうにもこのグランドに来た時から気になっていたのだが、それが何か今やっとわかった。

カラスだ。

カラスがそういえばずっと鳴いている。

それも気がつけば、ずっと鳴き続けているのだ。

まるで口を閉じられた犬のように鳴いている。

アンアンアンアンとくぐもった声を連発しているのだ。

妙な泣き声だった。

気がつかなければ気がつかないまま過ぎてしまうが、気がつくと、えらく気になる不吉が声だった。

一羽だけではない。

声のするほうに顔を上げると、運動場を囲む10mほどの木々の梢近くの木の枝にぐるりと黒々としたカラスが見回すと30羽近く同じ高さに並んでいるのだ。それもかなり大きなカラスだ。みんな平然と運動場を見下ろしている。

それが同じ調子で鳴いている。大きな黒い体が同じリズムで収縮を繰り返す。

泣き止まないのだ。

くぐもった声。

 

視界の端に黒い影が流れる。

見ると別のカラスが近くの枝に舞い降りていく。

それも同じ間隔で増えていく。

枝がカラスたちで埋まっていく。

 

私はこれはただ事ではないと思い始めた。

ぼくたちはカラスに囲まれ始めているのだ。

 

何か互いに連絡を取り合いながら集まり始めている。

そんな気がする。

 

わたしは立ち上がりカラスたちのほうへ向かった。

黒々とした羽と鋭いくちばし、目が、ゆっくりとグランドを見回している。

 

 

 

 

ふっと透明な輝く小さな何かが勢いよく宙に舞った。

続いて、次々と今度は小さな同じ何かがくるくると回りながら空へと直進した。

見るとそれはシャボン玉だった。

シャボン玉がくるくると回りながら、虹色に回転しながら、ふっと空へと直進していく。

それは低く勢いよく地面に平行に5,6m飛ぶと、今度は一気に空へと飛び立っていった。そして10m近く飛ぶと今度はそこでゆっくりと漂い始める。

それは空へと飛ぶかと思うとまた下がり、左右に揺れ、上がるかと思うとまた下がり、小さな虹をきらめかせている。

 

見ると、誰かの妹なのだろう。3つか4つの女の子だ。

校庭に出ている幾つかの店の中で売られているシャボン玉セットを買ってもらい、昼休み、お昼を食べた後、シャボン玉を吹いているのだ。

 

そんな所で売られているシャボン玉だ、大したものではないはずなのに、少女の吹くシャボン玉は最初からとても大きく、数も一気に多く吹き出され、それが5,6m地面に平行に飛ぶと、今度は空へと飛び立っていく。

 

背の高い女の子が、少女の吹き出すシャボン玉を飛べ、飛べ、飛べと言いながら、両手を大きく広げ、踊るようにくるくる回りながら空へと押しやっている。

シャボン玉はその手のひらにあおられ空へと飛びだって行く。

 

周りの子供たちも真似をし始め、吹き出されるシャボン玉を空へと飛び出たせる。

シャボン玉は一気に空へと飛びだっていき、そして10mほどで止まり、ゆらゆらと漂う。

 

 

そしてゆらゆらと揺れるシャボン玉がはじけると同時に、一番近くにいるカラスが一羽ずつ飛びだって行くのだ。

シャボン玉がはじけた後、カラスは何かを考えたのか、それとも何かそれ以上そこにいることができなくなったのか、少し間をおいて飛び立って行った。

 

 

最後の一羽が飛び去った時、私は娘を呼んだ。

振り向いた娘の大きな目は黒々と澄み輝き、力に満ちていた。

 

2005..14