パサージュ57

 

雨が降っているのだろう。

雨粒が屋根に跳ね返る音がする。それほど強い雨ではないはずだ。

いつも駐輪場の細長い屋根は、実際の音以上に雨の音を大きく響かせていた。

その雨音の間から低い男の声と、小さなすすり泣く女の子の声がいつからかずっと聞こえてくる。

隣の部屋からではない。

外からだ。雨の降る駐車場からの声だ。

 

時どき何かくぐもった声で、女の子が訴え、低い大人の声がそれを押しとどめる。行こう。行こうよ。無理だ無理。行く、行くの。無理だ。

そんな感じだ。それが何回も繰り返される。声の大きさもトーンも、同じだ。

二人とも抜け出られない。繰り返すばかりだ。きっとそうすることだけが二人にとってお互いを確かめ合うたった一つの方法なのだろう。もしかしたら雨に濡れながら、少女はしゃがみ込み、男は顔を上げ、落ちてくる雨を見上げているのかもしれない。

 

僕はもう一度体を起こそうとした。

わずかに動いた手や足の部分にフローリングの床の冷たさが新たに感じられ、心地良い。

 

天井はどんなに見つめてみても同じ色と広がりで、そのうちそれが何なのかが分からなくなり、スーと意識が弱まっていく。

別の物が目に入ればいいのだが、仰向けになったまま体を横にする事も、首を傾ける事もできない。

夜は夜で真っ暗な闇の中で、目を開けているのか閉じてしまったのかが分からなくなり、まだ起きているのに気付いた時、起きながら寝ているのと同じ状態にいる自分自身に、何を感じていいのか分からず、何度か強く息を吸ってみた。

 

息はそれでも吸えた。

そして吐けた。

そんな時ほんの少し体の中の温度が上がり、筋肉が柔くなり、自分の体の表面積が、広がったような気がしたが、その後その分、体は張りをなくし、厚みをなくし、体内の血や水が澱み腐り、床から土へと、堅いコンクリートへと落ちていくような気がした。

そしてその後には床にべたっとたるんだ皮膚だけが、脱ぎ捨てられた人間の着ぐるみのように床に張り付いて残るのだろうと思った。

少し傾いた角度のまま、そのたるんだ皮膚は乾燥し、固くなり、しかし密閉された部屋の中ではぱさぱさになりながらもその形を失うことなく、頑なにいつまでも少し傾いた角度を取り続けるのだ。

 

 

どこに力を入れていいのかがわからない。

雨は続いている。

少女は泣いている。

男は途方にくれている。

                                   003.9.21