パサージュ−24

12時からバイトは始まる。

営業が終わった後の掃除が仕事だ。いす、テーブル、床を磨き、ガラスを磨き、生ごみを捨てる。うまくいけば4時頃には終わる。

持ってきたスピッツのテープをかけ、大声で歌いながらモップをかける。のどが渇いたら、勝手に飲み物を作る。さほどの量ではないので、チェックされても分からない。

水を撒き、洗剤を撒き、モップでこする。床を力を込め、往復する。真夜中でもヒーターは切られてなく、上半身裸、短パンにサンダルでモップに力を込める。

 

僕はいいかげんな事はしない。ちょっとでも汚れがあれば、それが取れるまで、続ける。泡立つタイルに水をかけ、汚れが消えない限り先へは進まない。そう決めたのだ。

 

隣は雑貨屋で薄い壁で仕切られている。

2度ほど、防犯ベルが鳴った。一度は天上近くの窓ガラスを拭いていた時にかぶっていた帽子が隣の雑貨屋に落ち、それがセンサーに引っかかったらしい。眠そうな小柄な警備員がやって来て、これおたくの?と聞いて帽子をぼくに渡すとすぐに戻っていった。

もう一度はなぜか分からず、やってきた警備員も、ま、いっかと言って帰っていった。

 

 僕はいつも早めに仕事を終え、店の前の冷たいコンクリートの通りに頬を当てて寝るのが好きだった。

地下街にある店の前の通りは真っ直ぐに左右200メートル程伸び、どちらを見ても誰もいず、しかし明々と昼間と同じように真っ白に照らされ、その誰もいない明るい通りを低い視線で見ながらうとうとし、やがて浅い眠りの中を行ったり来たりするのが好きだった。

昼間大勢の人々が行き交う通りに死体のように横たわり寝るのが好きだった。

 

窓ガラスが終わった。床も半分ほど乾いている。

一瞬ベルが鳴った。

すぐ止まった。

警備員は来るだろうか。あいつはいつもぼんやりしている。リンとしか鳴らなかったベルはほっとくだろう。

 

僕はテーブルにいすを置き、隣の雑貨屋をのぞいた。天井の近く30cmは開いていて、隣の店と続いている。

薄暗い中、オリジナルの文具、本棚や小物入れ,ブローチやピアスの奥に、くまや猫や犬のぬいぐるみが幾つもあった。その中の50cmほどの熊のぬいぐるみが動いていた。

よくある座ったままの姿勢で、体を左右にひねっていた。表情は無邪気に笑ったまま、体は左右に大きく何回も揺れていた。出たいのだ。中に入っている何かが外に出たがっている。それは必死の思いで出たがっている。ぼくはすぐにそう思った。小さなぬいぐるみが一つ落ちた。また一つ落ちた。しかしくまのぬいぐるみは単調な動きをやめない。

 

 いつものように僕はひんやりとしたコンクリートに頬を当て、6時まで眠った。

7時にチェックを受け、僕は店を出た。隣りの雑貨店は開店が10時だったので、近くの公園のベンチで眠った。小鳥の声がうるさく、僕は何度も寝返りを打った。

 

開店と同時に僕はあのくまのぬいぐるみを買った。

5000円もしたのには驚いたし、入れる袋がなくそのまま抱いてアパートまで帰らなければならなかったのは辛かった。

ちょうど出かける時の隣の部屋の大学生に会い、プレゼント?、そっ、くま年なんだ、と馬鹿な事を言った。

 

僕は部屋の真ん中のテーブルの上にぬいぐるみを置いた。

それは昨晩と同じように無邪気な笑い顔をしていた。僕は10分、20分と眺めていた。

 

僕はそのぬいぐるみを抱いた。

そっと抱いた。

そのまましばらく抱き続けた。

耳のワイヤーが硬かった。

 

出てきたいのなら引き出してやろう。出られないのなら出してやろう。

 

僕は台所に行き、包丁を持ち戻ると、左手で体を支え、ぬいぐるみの胸を真っ直ぐに刺した

 

                                                                   2001.5.3.