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パサージュ−10 ぼくの頭上、2,3mの所を、夏の子供たちが白いスイミングキャップをかぶり水しぶきをあげている。 目を大きく見開きぱちぱち瞬きを繰り返す子、体を左右に大きくひねる子、腕だけが体の横でくるくる回る子、子供たちと子供たちの間のゆらゆら揺れる水面の向こうに、夏の太陽が上下左右に溶けながら透けて見える。 下から見上げる子供達の腹は、妙に白い。 宙空に浮く透明の巨大なプールを見上げながら、ぼくはプールの底を歩いていたならずいぶんと歩きづらく、その外でよかったなとほっとしている。 しかしプールの外は暑く、しかも見回しても道もその左右も上下も真っ白に輝くばかりで、それを考えればまだ浮き上がらないよう、子供達に気付かれないよう、プールの底の片隅にじっと息苦しさに耐えながらいるほうが、どんなにか楽かとも思った。 暑い。 床屋に行けばよかった。坊主頭ならそっとなでれば汗が細かい飛沫になって一瞬で飛び散る。長くなった髪の毛の間をツーと汗が一筋、二筋と流れていく。 小さな虫が無数の足を全力で動かし、2匹、3匹、疾走していく。 ハンカチは汗をふきつづけていたために黒く汚れ、30分ほど前、道に捨てた。 振り返るとそれは白く輝く道で、ぼっとにじんだ汚点として、もうずいぶん歩いたのだが同じ大きさで見え、つまり成長していた。 やがてそれは巨大化し、背後から襲ってくるのだろう。
宙に浮く透明なプール船の側面にカマキリがとまっている。 頭上を通過する少女の必死で真っ黒な2つの眼球の下、15センチほどの緑色ににじむカマキリは、黒い無表情の目をどこに向けるともなく、ゆっくり瞬きした。 カマキリは飛ぶのだ。 パサパサと音を立てて。薄い茶色に透ける羽を突如取り出して、後ろ向きに突然飛びかかってくるのだ。その鋭いカマは子供の指なら簡単に切り落とせる。 動きはしないが何かを考えている。それは背後の捨てたハンカチと連絡を取っているのかもしれないし、プールの子供たちを扇動しようとしているのかもしれない。 子供たちが泳ぐのをやめ、ほっぺたを膨らませながら底に降りてくる。充血した目を並べ、両手をプールの内側に壁に当て体を支える。一人が水面に顔を出しに戻り、またどぼんとぼくの顔の正面まで降りてくる。 子供たちの数は増え、内側の壁に手を押し付けプールの底に器用に必死に立つ。 立てばぼくよりみんな背は低いので、それにすぐみんな息苦しくなり水面に上がっていくので怖くはないが、カマきりが呼んだ子供たちだ。いつこの壁を突き破ってでてくるかわからない。だがそうすれば水の勢いでカマキリも死に、ぼくはこの暑さから逃れられる。 透明の壁の向こうから既にずらりと7,80人の少年少女たちが、ぼくからメッセ−ジを受け取ろうと目を向けている。ぼくはその真剣さが意外で、いや、本当は理解者などではないこと、死ぬなんてこともできないことを思わず言い出しそうになる。 ぼくたちは見つめ合った。ぼくはこの時初めて子供たちの目を見たことに気付いた。目は思ったよりもずっと美しく、ぼくはその中に映るぼくを探そうとした。 カマキリが滑り落ちた。 ぼくはジャンプし右足でカマキリを踏みつけ、足裏からのカマの逆襲を避けるため、道に靴をこすりつけた。背後にぬっとする気配を感じ振り向くと、鉄板の輝きを持つ強固で頑固な下あごを持つ子牛ほどもあるバッタが、ゆっくり目の前3メートルを横切ろうとしている。 このままにしておけばいいのか。それとも戦うのか。逃げるのか。その背に乗り、この白くまぶしい道を駆け抜けていくのか。子供たちは永遠にここで泳ぎ続けなくてはならないのか。 ぼくはこのバッタに聞くのが一番だと思った。 こいつに食われてもカマキリを殺したのだからしょうがない。 それにしてもこのバッタは大きい。ススキのような触手だ。 |