日本の取るべき道は? (2) ユダヤ教の経典(きょうてん)の1つ,旧約聖書(きゅうやくせいしょ)に,ユダヤ人の先祖(せんぞ)のアブラハムが,神から 「ここがおまえたちの住む国」と預言(よげん)を与えられていた。 その場所がパレスチナだったのだ。 だがその場所は問題の場所だった。 第2次世界大戦の前,第1次世界大戦,その場所はオスマントルコという国が支配(しはい)していた。 オスマントルコはドイツと一緒(いっしょ)にイギリスと戦っていた。 イギリスはこの地方がほしかった。 アラブ人に言った。いっしょに戦って勝ったらこの土地をあげると。 同時にユダヤ人にも言った。 勝ったらこの土地を上げると。君たちの国ができるのだと。 そしてフランスには勝ったら二人でこの土地を分けようと言った。 ひどい話だ。 無茶苦茶だ。 大うそつきだ。 だがヨーロッパは植民地獲得(しょくみんちかくとく)のために侵略(しんりゃく)をする時にはこれぐらいの嘘(うそ)は平気でついてきた。 ヨーロッパのアフリカやアジアへの侵略は,ハンパじゃなかったのだ。 戦争に勝った。 その土地はイギリスとフランスが分け合った。怒ったアラブ人は戦ったがフランスに押さえつけられ,イギリスに支配(しはい)される事になった。 ただ小さな地方を与えられた。 そこがパレスチナだった。 イギリスの支配のもと,アラブ人達がパレスチナに住むことになった。 第2次世界大戦が終わった。 アラブ人たちはもう一度約束を守るようにイギリスに言った。 ユダヤ人も言った。 当然だ。 そして第2次世界大戦で虐殺という大きな不幸をおったユダヤ人の,自分たちの国を作るという願いをかなえようという意見も多くなった。 そして大嘘をついたイギリスにはもう自分で解決(かいけつ)をする力はなかった。 そこで解決の方法を国際連合(こくさいれんごう)に任(まか)すことにしたのだ。 そして国連(こくれん)はこう決めた。 パレスチナの56%の土地はユダヤ国家。 43%の土地はアラブ国家。 残りの1%はエルサレムという場所だ。 エルサレムは不思議な土地だ。 ユダヤ教,イスラム教,さらにはキリスト教全部の聖地なのだ。 そしてエルサレムはどちらのものでもない,「国際管理地区」(こくさいかんりちく)となった。 だがアラブ人達はそれを認めなかった。 その土地は自分達が住んでいたし,イギリスとも戦った。 なぜユダヤ人がくるのだ。 アラブ人は国連(こくれん)の「パレスチナ分割(ぶんかつ)」を認(みと)めなかった。 そしてユダヤ人はこの土地,パレスチナにようやく自分たちの国を作ることができた。 イスラエルだ。 かつての栄光(えいこう)の王国の名が復活したのだ。 イスラエルとはヘブライ語で「神の戦士」を意味する。 そしてイスラエル建国(けんこく)の翌日,アラブからミサイルが飛んだ。 中東戦争(ちゅうとうせんそう)が始まったのだ。 イスラエルがパレスチナの土地にできた翌日, アラブの国からミサイルがとんだ。 国連の「パレスチナ分割案」を拒否し,イスラエルという国を認めない,アラブの国々からのミサイルだった。 中東戦争が始まったのだ。 この戦争でイスラエルは勝ち,最初,56%だった領土を77%に増やしてしまった。 第2次中東戦争。 スエズ運河をめぐって,イギリス,フランスがイスラエルを応援し,またイスラエルが勝った。 第3次中東戦争。 たった6日でイスラエル勝った。 「6日戦争」と呼ばれている。 ここまででイスラエルは,最初国連が決めた55%の領土を100%まで増やしてしまった。 そしてそこを自分たちの国とした。 さらにエルサレムをイスラエルの首都とした。 エルサレムはどこの首都でもない,国連が管理すると決めてあったのにだ。 そして戦争で侵略していった土地に,住宅をどんどん建て始めていった。 自分たちの国。 ユダヤ人にとってその思いが強すぎた。 さらに第4次中東戦争。 これらの戦争で230万のパレスチナに住む人が国を追い出された。 パレスチナから追い出されたアラブ人は,今度は彼らが「さまよえる民」,となった。 彼らは自分たちの国を持たない人々となり,やはりかつてのユダヤ人と同じように,自分たちの国を作ろうと戦いをはじめた。 こうしてイスラエルとパレスチナは戦いを始めた。 もちろん平和への努力もあった。 第4次中東戦争後,アラブ側のエジプトのサダト大統領が,イスラエルという国を認める発言(はつげん)をした。 そしてイスラエルは占領(せんりょう)していた土地の一部を返した。 平和への努力が実現(じつげん)したのだ。 (^○^) だがサダト大統領はイスラエルと戦うことを主張(しゅちょう)する自国の軍人に殺された。 (T_T) そしてイスラエル支配下のパレスチナで,子供たちの「投石革命」(とうせきかくめい)がまた始まった。 「インティファーダ」だ。 (T_T) 完全武装で銃を持つイスラエル兵士に向かい子供たちが石を投げて抵抗(ていこう)する。 子供たちに銃を向ける事はさすがにイスラエル兵もできず,実弾(じつだん)を使わず,ゴム弾,プラスチック弾を使った。 だが当たれば子供たちは死んだ。 そして1990年。 湾岸戦争(わんがんせんそう)。 イラクがクウェートに侵攻(しんこう)した。 アメリカ,イギリス,フランス,ロシア,ドイツ,中国,日本,計28ヵ国からなる多国籍軍(たこくせきぐん)がイラクと戦い,勝った。 パレスチナは負けたイラクについた。 パレスチナはアラブの国から非難(ひなん)された。 またこれまで資金援助(しきんえんじょ)を受けていたクウェートからは当然資金援助を打ち切られた。 パレスチナは孤立(こりつ)した。 イスラエルも「インティファーダ」を押さえる事ができなかった。 その時,もうこれ以上戦いを止めるようにと,ノルウェーがパレスチナとイスラエルの間に立った。 そしてノルウェーの首都(しゅと)「オスロ」で話し合いが続けられた。 パレスチナのアラファト議長(ぎちょう)とイスラエルのラビン首相。 二人が握手(あくしゅ)をしたのだ。 そしてその後ろにはアメリカの大統領クリントンがいた。 クリントン大統領はイスラエルとパレスチナの戦いに平和を望んだ。 その結果,イスラエルは占領しているパレスチナから少しずつ兵を引く,パレスチナ人がパレスチニナに住む事を認めるという画期的(かっきてき)なものだった。 「オスロ合意(ごうい)」という。 平和が見えたのだ。 しかし,ラビン首相も暗殺(あんさつ)された。 (@_@) その後平和を望む首相,消極的(しょうきょくてき)な首相と続く中,イスラエルの占領(せんりょう)は続き,パレスチナ人は自分たちの国へ帰ることを望んだ。 2000年9月。 エルサレムにあるイスラムの聖地に,イスラエルの政治家が,そこがイスラエルの地である事を示そうと訪問(ほうもん)した。 パレスチナ人は怒り,事件が起こった。 パレスチナ人は石は投げた。 インティファーダだ。 イスラエル兵は銃を撃った。 ミサイルでピンポイントでインティファーダの指導者を建物ごと撃った。 パレスチナ人は爆弾を抱いた。 イスラエルの後ろにいるアメリカは,今度は何もしなかった。 ブッシュ大統領だ。
自爆テロが始まった。
つづく。 2001.10.1 |