日本はどうすればいい?

 

●アメリカ同時多発テロ。

 

みんなもテレビで知ってるはず。

旅客機で世界貿易センタービルに2機,突っ込んだ。

お客さんを乗せたままで,自分達も死んだ。

 

ペンタゴン(アメリカ国防総省 あめりかこくぼう

そうしょう)にも。

 

1機は墜落した。

犯人と乗客の格闘があった末の事らしい。

 

絶対に許されない。

 

飛行機にはこれから,父親や母親に久しぶりに会いに

行く人もいただろう,

恋人に会いに行く人も,家族で旅行に出かけていた人

たちもいただろう,家族の元に帰る人たちもいただろう。

 

多くの人の,それぞれの人生が,そこで生きていた。

 

世界貿易センタービルでも同じだ。

朝の9時。

1日が始まる。

今日の仕事に燃えている人も,疲れている人も,悩んで

いる人も,さまざまな思いのさまざまな人がそこにいた。

 

そうした一つ一つの思いが,突っ込む飛行機とともに

燃え上がり,ビルとともにくずれさり,ビルの瓦礫

(がれき)に押しつぶされた。

 

だれもそんな事は思いもしなかったはずだ。

 

いつもと同じ1日が始まる。

そう思ったはずだ。

 

ぼくたちが朝目が覚めて思うのと同じように。

ぼくたちもたとえば,学校に授業中飛行機が突っ込ん

でくるとは思わない。

彼らもそうだった。

 

1日が始まる。

さあ、今日もがんばるぞ!

そしてそのあと5000人以上の人生が消えた。

 

だから許せない。

そんな事をしていい理由はない。

 

テロ(自分たちの考えを暴力で押し通そうとする

事)は許されない。

 

しかしだからといって,報復(ほうふく)もまして

や戦争も許されないのだ。

 

●テロは絶対にいけない。

しかし報復も戦争もいけない。

 

どちらもたった1度しかないその人の人生を,こな

ごなにしてしまうのだ。

 

その人の悲しみや喜びや苦しみを,なやみも生きて

いくつらさも,ふくんだままあっという間に消し

去ってしまう。

 

それもその人の気持ちと別に,その人の思いをまった

く無視して,とつぜん無理やりうばっていく。

 

 

つらいことやいやな事の毎日だけど,それでも生き

たい,何かを見つけたい,何かを追い求めたい,何か

を伝えたい,自分の事を知ってほしい,自分の事を

覚えてほしい,あの人のことを思いたい,大事にした

,役に立ちたい,助けたい,

 

 

 

そんな思いに小さいも大きいもない。

 

どれもが同じように大切で,重い。

 

それを見も知らぬ人間の発した弾丸やミサイルや,

爆弾で消し去ってはならない。

 

戦争はいけない。

戦争は悲惨で残酷でしかない。

 

 

もしもたがいに憎みあっている二人がいて,

どうしても話し合いがもうできないというのなら,

その二人は命をかけて戦ってもいいだろう。

その結果命を落とす事があっても,しょうがないと先

生は思う。

それがその二人の人生なのだから。

二つの命の望んだことなのだから。

 

 

だが戦争は違う。

戦う全ての人がそれを望んでなどいないのだ。

 

東京大空襲での,広島,長崎での,そのほかの土地で,

国で,また日露戦争で,日清戦争で,そのほかの時代

,江戸時代でも,戦いで死んだ人は,あのロシア人

が憎いから,中国人がにくいからアメリカ人が憎い

から,戦う,などと思わなかった。

 

自分の思いとは別に,国の命令で,死にたくなかっ

たから,他の国の見知らぬ人に銃を向けた。

 

そして引き金を引いた。

 

見知らぬ他の国の人も,同じ事をした。

 

たがいに見知らぬどうしが,殺しあった。

 

おかしな事だ。

 

でもそれが戦争だ。

 

●アメリカは戦争へとまっしぐらだ。

 

ブッシュ大統領はオサマ・ビンラディン氏をテロ

の首謀者(しゅぼうしゃ)と断定している。

 

しかしその証拠(しょうこ)を出す必要はないと

言っている。

 

また西部開拓時代の,お尋ね者をつかまえるポスタ

ーの言葉を引用(いんよう)し,

 

『生きていようと死んでいようとかまわない。』

 

とも言った。

 

テロにつくか,アメリカにつくかどちらかを選べ

とも世界に言っている。

 

自由社会とテロとの戦いは,善と悪との戦いだと

も言った。

 

やられてだまったままでいるわけにはいかない。

アメリカの力と勇気を見せなくてはならない。                                                                                                                        ………

 

 

やられたらやり返す。

 

アメリカの態度(たいど)にはこれしかない。

 

アメリカは自分が『世界の警察官』だと考えている。

 

世界の秩序を守る警察官がやくざにケンカかを売ら

れけがさせられて,そのままだまっていては,しめし

がつかない。

世界がバラバラになる。

そう考えているようだ。

 

またこの世界は自分が,守る。

自分が,仕切っていくのだと考えている。

世界の正義は自分だけにあると思っているようだ。

 

 

だが暴力に対し,暴力でこたえる事の意味のなさは

これまでの人類の長い歴史ですでに証明されている。

 

今回のテロの原因の1つでもある,イスラエルとパレス

チナの戦いでも,暴力は暴力を,憎しみは憎しみしか生

んでこなかった。

 

やられたらやり返す,やられたからやり返す。またや

られたからやり返す。

どこまでこの輪は続いていくのだ。

 

それを切らなければならない。

 

ブッシュ大統領はこれは新しい戦争だと言った。

 

テロ対民主主義社会の戦争だ。と。

 

けっして,キリスト教・ユダヤ教対イスラム教の

戦いにするべきではない。とは言っている。

 

しかし戦争は戦争だ。

 

戦争では戦争とは関係のない,子供や女の人,非

戦闘員,軍人とは関係のない多くの人が殺されていく。

 

それが戦争だ。

アメリカはそんなに戦争がしたいのだろうか。

 

多発テロがあってしばらくの間,

ジョン・レノンの『イマジン』やサイモンとガーファ

ンクルの『明日にかける橋』が放送禁止になったらしい。

 

戦意が落ちるとの事だ。

 

だがその後のテロ犠牲者への,チャリティーコンサ

ートでは,

『イマジン』も『明日にかける橋』も歌われた。

 

   イマジン                ジョン・レノン

 

天国はない,ただ空があるだけ

国境もない ただ地球があるだけ

 

想像してごらん

簡単なことさ

 

社会主義も資本主義も

えらい人も貧しい人も

みんな同じなら

 

想像してごらん

簡単なことさ

 

夢かもしれない でもその夢を見てるのは

一人だけじゃない 世界中にいるのさ

君一人じゃない

仲間がいるのさ

 

また,コンサートの最初にイスラム教徒である,

元世界ヘビー級ボクサ−,モハメド・アリが出演

,戦争反対を言った。

 

アメリカの市民は戦争に反対している。

全員ではないだろうが,アメリカ中が戦争へ向

かっているわけではないのだ。

 

 

テロの犠牲になった人の家族も,ここで戦争に

なれば,またこの悲しみを今度は別の人々が経験す

る。だからもうこれ以上戦いを続けてはいけない

と泣きながら言っていた。

 

なんて立派な言葉だ。

すごいと思う。

 

 

そしてそうした考えこそが必要なのだ。

 

辛いことだ。

簡単な事ではない。

 

 

●そして日本の『憲法』の『戦争放棄』も実現の難しい

考え方だ。

※日本国憲法  第2章  9条。

 

        『戦争放棄』

 

国際紛争を解決する手段として,戦争を永久に放棄

する。

 

(国と国とのもめごとを解決する方法とし ,

戦争は絶対にしない。)

 

 

 

日本は憲法で戦争を禁じている。

もちろん自衛のための戦争はやむをえない。

 

攻められて殺されそうになっている人を守る事は

必要だ。

黙って見ていてはいけない。

 

だが話し合いで解決しないから,話し合いができな

いから戦争をするということを,憲法では禁じている。

 

 

今回,日本は世界貿易センタービルで自国民を殺

された。

 

日本という国として,意志をはっきりと示さなけれ

ばならない。

 

だがやられたからやり返す,だろうか。

 

それが日本のとる立場だろうか。

それは正しいだろうか。

 

 

本土を攻撃され,敵が向かってきているのなら,

我々も武器をとり戦わなくてはならない。

 

だが戦争はテロと違い,急には始まらない。

その前に政治の場で,交渉(こうしょう),話し合い

が続けられる。

 

そこでお互いの主義,主張,考えを述べ合い,たが

いに折れる所は折れ,引くところ引き,一致点をさがす。

 

どうしてもその一致する所が無い時,戦争という

手段がとられた。

これまでは,だ。

 

これまで戦争は政治の一手段だったのだ。

 

そしてそれをやめようというのが日本の憲法なのだ。

 

 

 

これ以上は話し合いの余地(よち)はない,話し合って

もしょうがない。

武力(ぶりょく)しかない。

 

 

しかしにもかかわらず,もう一度話そう,話し合おう,と

いうのが日本の憲法なのだ。

 

 

この意味は大きい。

とても大きい。

その事を考えなくてはならない。

 

  (日本国憲法はアメリカが日本から

    軍事力を奪うために作ったもの。       

     ということはしばらく置く。)

 

 

日本の憲法は,人類の歴史の流れの中で必要なものとし

て生まれた意味ある,重要なものなのだろう。

 

もうこれ以上がまんできない,もう話し合う事はできない。

 

といった時に,でもなぐりかからない,もう一度語りかける。

もう一度語りかける。

相手を信じて,語りかける。

 

それが日本国憲法だ。

 

 

だが今回のは戦争ではなくテロだ。と言うだろう。

 

とつぜん攻めてきた。

何の予告(よこく)もなく,前触れ(まえぶれ)

もなく突然(とつぜん)に。

 

だからこちらもすぐさま反撃(はんげき)する。

話し合いなど必要ない。

 

 

テロリストは悪魔だ,オサマ・ビンラディンは,

イスラム原理主義者は悪魔だ。

 

 

悪魔と話し合いはできない。

悪魔を殺す事は正義だ。

正しい事だ。

殺す事で平和が訪(おとず)れる。

大事なものは,必要なものは戦う勇気だ。

 

 

そしていつも戦争はそうやって起こり,続い

てきた。

 

今回もまったくこれまでと同じだ。

 

そしてそれに対しても,話し合おう,武力を用

(もち)いないというのが日本国憲法なのだ。

 

●では日本はどうすればいいのか。

もちろん先生にそんな事,えらそうに言うことはできない。

 

しかし考えていかなくてはならない事だ。

それはみんなもいっしょ。

 

どうすればいい?

 

 

まず日本は他の国と政治的(せいじてき)

にゴタゴタがあった時に,武力(ぶりょく)を用

(もち)いない,戦争という手段(しゅだん)を

とらないと『憲法』で決めた。

 

 

そこが基本(きほん)だ。

 

しかしここがむずかしいのだが,日本はアメリカ

と同盟を結んでいる。

 

『日米安全保障条約』という。

 

この決まりによって,日本にアメリカの軍事基地がある。

 

アメリカは日本のどこにでも基地を作ることができるのだ。

 

 

これは考えてみれば,すこしおかしい。

 

人の庭にかってに入って,自分の家を建 ていいと

言っているのだ。

 

日本は独立国(どくりつこく)なのに。

 

 

だがこれを日本はアメリカにゆるしている。

 

実はこの条約を結んだ時に,アメリカは朝鮮で戦争

をしていた。

そのための基地がほしかったのだ。

 

そしてその時日本は独立したばかりで,断る事は

できなかった。

 

 

それからアメリカが他国と戦争をする時には,

日本からアメリカの爆撃

機や空母が戦争に出て行く。

 

 

 

 

その条約の中に,日本が攻撃を受けたらアメリカ

は日本を助ける,とある。

 

だが,アメリカが攻撃を受けても日本はアメリカ

を助けなければならない,とはない。

 

 

日本は日本が攻撃を受けた時は,日本を守るため

に反撃できる。

自衛隊という軍隊は,日本を守るために,戦える。 

 

個別的自衛権( こべつてきじえいけん)はある。

 

 

だが日本は直接攻撃されていないが,同盟国の

アメリカは攻撃された。

その時日本は,アメリカといっしょに攻撃できる

のか。しなければならないのか。

  

 

集団的自衛権 (しゅうだんてきじえいけん)

はあるのか。

 

 

ない。

と先生は思う。

アメリカといっしょに出て行ってはいけないと思う。

 

 

日本が武力を使えるのは,『憲法』で許されている,

日本が日本の領土を攻撃された時だけだ。

 

 

そして今回のケース。

 

仲の良い友だちが顔を押さえてやってくる。

目の周りが青くはれ上がっている。

 

なぐられたと言う。

突然だから相手はわからない。

でも前から俺にガン飛ばしてるやつを知っている。

きっとあいつだ。

あいつに決まってる。

 

ものすごく,おこっている。

しかえしに行くから手伝ってくれと言われた。

 

ぼくはなぐったやつのことは知らない。

 

でもよしわかった,行こう。

と言っていっしょに仕返しに行くことにする。

 

友達だからそうしたい。

それが友情の証(あかし)だ。とも思う。

 

 

だが相手は,だれだ?

なぜ突然,なぐったのだ?

なぜ友だちは,なぐられたのだ?

原因は何だ?

 

 

もしかしたら友だちがその子をいつもいじめて

いて,大人しいその子もがまんできずに,とうとう

なぐりかかってきたのかもしれない。

 

 

 

けんかの相手も,原因もわからないまま,その友だち

に言われたから,いっしょに仕返しに行いく。

それでいいのか?

 

 

よくない。

 

それをしないで,しかえしに行ったら,今度は向こう

の仲間がやってくるかもしれない。

 

そしたらこっちもまた仲間を集めなくてはならない。

 

それを見て向こうはさらに友達を集めるだろうから,

こっちも集めなくてはならない。

 

同じ事がずっと続く。

続いていくだけだ。

 

今回のケースはこれに当たる。

 

だれが世界貿易センタービルに突っ込んだのだ?

 

オサマ・ビンラディン氏が本当にやったのか。

証拠はあるのか?

 

あったとして,ではなぜあんな事をしたのか?

 

アメリカにはぜんぜん責任はなかったのか?

 

 

それらをまずはっきりとさせるべきだ。

 

 

 

もし相手がわかり,理由がわかり,アメリカにも

責任があったと,もしわかれば,今度こそ話し合いを始める。

 

今後このような事をなくすためにはどうすればいい

のかを話し合う。

根気よく,あきらめずに話し合う。

 

違う神様,ちがう目の色,ちがう言葉,違う土地,

違う歴史,違う食べ物,違う着物,ちがう家。

 

何もかもちがう人と人とが話し合う。

 

分かり合うのはむずかしい。

 

分かり合えない。

宗教も政治も経済も文化も歴史も違う。

話してわかる相手ではない。

 

これまで人類はそんな時,戦争をしてきた。

 

 

それを日本はやめたのだ。

 

それが『憲法』の『戦争放棄』だ。

 

もう話し合う余地はない,という所から話し合う。

それが日本の立場だ。

 

じゃあどうする。

                                                    (2)へ。

 

         2001.9.13