日本語教師日記2009.5     

スペクトルの月23日

5月24日。

 

まだ日本語教師にはなっていない。

10月に日本語教育能力検定試験を受ける。

それに合格して、10月から実習の勉強をしにいく。

4,50万かかるのだろう。

そしてそれを終え、4月から中国人や韓国人、ベトナム人フィリッピン人に日本語を教える。

彼らの役に立つよう頑張るのだ。

 

というのが夢。

夢といっていいだろう。

 

まったく新しいステージに向かう。

それはそれでいい。

自分のしたいことがわかった。

それがわかったのも、今回のとんでもない不幸があったればこそだ。

であれば今回の事件も良しとすればいい。

しなくてはならない。

でないと生きていけない。

 

追い詰められた。

他にいくところもすることもない。

追い詰められた。

 

勉強はしている。

日本語教育の通信講座を受けている。

中国や韓国、タイやベトナム、イスラム、アジア諸国の文化や地理や歴史、言葉の勉強をしている。

日本語の勉強をしている。漢字の勉強をしている。文法の勉強をしている。言語学、音声学、日本語の歴史を勉強している。

 

 

だから楽しい。充実した時間を経験はしている。

だが、事件のいやな思いは片時も頭を離れない。

そのたびに息苦しくなる。くらくらくる。

そのたびにそれを振り切るために勉強に向かう。

1日、10時間は勉強している。でなければ息苦しくなり、何もかもがいやになる。

 

だから勉強する。本を読む。勉強する。集中する。いやなことを忘れようとする。

集中して集中して死んでしまえれば一番いいと思う。

 

まったくどうなっているんだ。