海辺のカフカ    「カーネル・サンダ-ズ」と「ジョニ-・ウォーカー

 

●「ジョニ-・ウォーカー」とは何か。

 

まず彼はカフカ少年の父親だ。

これは間違いない。

小さな頃父親は病院で遺伝子チェックまでも受け、二人が親子であることを少年に納得させている。だがそこまでの念の入れように不自然さを感じる。どこか切迫したものを感じさせる。                        (21章)

また彼が、「ジョニ-・ウォーカー」の格好をして街を歩き、猫殺しを重ねているのも事実だ。それは猫たちが目撃しているまちがいのない事実だ。                                  

10章)

彼はだから想像の世界の人物ではない。この世での現実の存在だ。

だがその在り方はもちろん異常といっていい。なんせねこを捕まえ生きたまま切断し、心臓を食らい、猫の魂で笛を作っているのだから。

 

●恐らく、彼の彫刻家としてのテーマ、「潜在意識の具象化」が彼を異常な世界へと追いやったのだろう。

意識化された社会通念や常識、当たり前、普通、自然という感覚。しかしそれらはどれも作られたものであり、しょせんそれは他人事だ。

自分の感覚、自分の感性、自分の感受性、自分のオリジナル、自分の実体、自分の存在、そう考えていった時、手応えのある確かなものは意識化された社会通念や常識とは対極にあるものだろう。

邪悪、憎悪、死、残虐、不安、殺戮、軽蔑、恐怖、怒声……

自らの意識下のドアを叩き、彼は黒々と渦巻く邪の世界をさ迷ったのだろう。そしてその恐怖を彼は石にぶつけ、作品へと転化することで狂うことから免れていたのだと思う。

 

●カフカ少年との親子としてのつながりを強く求めたのも現実の世界からの遊離を恐れたためだと思う。

また「母と交わり、父を殺し、姉と交わる」という息子への呪いの言葉も、去っていった佐伯さんへの息子を通してのつながりを求める彼なりの切ない思いだったのかもしれないし、また息子を損ない続ける自分自身への自己処罰の言葉とも思えるのだ。姉への言及も年上の女性の彼への庇護を願う気持ちの裏返しだったのかもしれない。(実際カフカ少年はさくらさんと大島さんの庇護を受けることになる。)

 

彼の呪いは彼が邪の世界に取り込まれ乗っ取られる境目にいた時の、裏返された息子へのギリギリの愛の叫びだったのかもしれない。

 

しかしやがて彼は邪の世界に囚われてしまう。彼の意識は邪の無意識世界に乗っ取られる。

「猫殺し」が常習化してしまうのだ。そしてその時期がカフカ少年の家出の決意の時期だったのかもしれない。

 

 

●「ジョニ-・ウォーカー」は「猫たちの魂を集めて笛を作った。」

それは「善とか悪とか、情とか憎しみとか、そういう世俗の基準を越えたところにある笛」だ。そしてさらに「ここに集めた笛を使って、もっと大きな笛をひとつこしらえようと思っている。そして私はその笛をこしらえるための場所に行こうとしている。」

その場所が「入り口の石」の向こうに広がる「森」だ。

 

その森に向かう途中、彼はカラスと呼ばれる少年の攻撃を受ける。

カラスと呼ばれる少年はカフカ少年の分身だ。

「ジョニ-・ウォーカー」はすでに自分は死んだ人間で肉体にどれほど攻撃を受けても関係ないと高らかに笑う。そしてカラスと呼ばれる少年に舌を引きずり出される。

それは

 

「ひどく太く、そして長い舌だった。喉の奥から引きずり出されてからも、それはまるで軟体動物のようにずるずると辺りを這いまわり、そこに闇のことばをかたちづくった。」                      (46章と47章の間)

 

この長く太い舌が、星野青年が闘った「入り口の石」から森への突入を図る「邪悪なもの」だ。                              (48章)                                            

 

星野青年は死ぬ気になり、意識を集中し、渾身の力を込め、頭の中を真っ白にし、ナカタさんの資格を受け継ぐため、「入り口の石」を閉める。

行き場を失った「ジョニ-・ウォーカー」、かつてのカフカ少年の父親は、あとはうろうろと部屋の中をさ迷うことしかできず、星野青年に止めを刺されてしまう。

 

哀しい最後だと思う。

最後は「カーネル・サンダ-ズ」だ。

 

2005.1.9