『海辺のカフカ』  カフカ少年について-1

 

●実はカフカ少年については、ナカタさんや星野さんほど書く気が起きない。

強いのだ彼は.

「世界で一番タフな15歳」にならなければならないといっているが、すでに十分タフな少年なのだ.だからあまり共感というか感情移入ができなかった.

 

●彼は父親から「母と交わり父を殺し、姉とも交わる」という呪いを受ける.

これが何を意味しているのかぼくにはよくわからない.

彼にだけある特殊な環境と遺伝子や育ちが彼に特別な人生を与えた、ということになるのだろうか.

たぶんそうではないのだと思う.彼が特別と考えると話は見えなくなる.

実は今の15歳の日本人の男の子は彼ほどに特殊な人生を負わされていると考えるべきだと思うのだ.

 

父親は5*歳とある.恐らく団塊の世代と呼ばれる人だ.既存の価値を相対化し続け、新たな価値を作り上げることなく、再び既存の価値の影に隠れていった人たちの1人だ.

だが、と同時に彼は、他の人々とは違う人生を歩んだ.彫刻家という人生だ.

しかも彼のテーマは「人間の潜在意識の具象化」であり、既存の価値を破壊した独自のスタイルを打ち立て、その作品は大島さんをして、「オリジナルで、挑戦的で、おもねるところがなく、力強い.彼の作っているものは間違いなく本物だった.」と言わせている.

また大島さんはこうも言う.

「善とか悪とかという峻別を超えた力の源泉と結びついていたと思う。」

 

●もう長い間日本では父親不在という価値不在の中での子供の成長が当たり前になっている.

行動の指針が示されていないまま、子供たちは行動を強制されている.

どうしていいかわからない。

そこで自分の周囲の正しいとされている物事の雰囲気の中に自分を浸しておく.溶かしておく.ぼんやり溶けている.

そこに自分の負う責任はないから楽だ.非難される事はない.

だがその事で自分を確認する事はできず、溶けていく自分を眺めていく事しかできない.それが一般的に日本の15歳の男の子がいる環境だ.

 

カフカ少年には強烈な価値観を持った父親がいた.いや彼に価値観などというものはない、人間の意識に意味はない.言葉にも価値はない.意識化された行動にも意味はない.

価値や意味は意識下にある、意識されていない所にある.

カフカ少年の父親は価値の相対化をさらに一歩進め価値の無意味をいい真の価値は意識内世界にはないとした.真の価値はその奥にある.その下にある.それを引き出せ.

「潜在意識の具象化」だ.

それに対しカフカ少年は言う.

 

「そういうものを引っ張り出してきたあとの残りかすを、毒のようなものを、父はまわりにまきちらし、ぶっつけなくちゃならなかったんだ.父は自分の周りにいる全ての人間を汚して、損なっていた.」

 

育っていく中でカフカ少年は何が正しいのかを言われず、しかも言葉以前の混沌、エネルギー、「力の源泉」を経験する事ではなく、その「残りかす」がまき散らされた中で育ってきたのだ.

しかしこれも今の日本の15歳の環境にとっては同じことが言えると思う.

 

情報化社会というものがそうだと思う.

「事件」は混沌としたエネルギー、「力の源泉」に満ちているがその報道にはそれがない.整理され一定の価値観により並べ変えられている.

ゲームや娯楽もそれらが作製されていく途中には多くの人の才能やエネルギーがそこで爆発していくが、それを消費していく、つまりそれを見て遊んでいくところに炸裂するパワーはない.

 

今のこの世界で普通に生きていくということは、少数の誰かが充実した時と共に必死で作り上げたシステムの中で、与えられ整理された時間と空間の中、自分自身を「損なって」いく事なのだ.

 

●価値の相対化とは子供たちにとってとても大きなマイナス現象だ。

子供は「正しさ」を大人の何倍ものエネルギーを使って確認しようとする.

小学校に入り集団生活を始める時から、つまり小学1年生の時から子供は何がしていいことで、何がしてはいけないことなのかを求める.それはとても激しく求める。殆どの子供は教室でのルールを理解するとそれを遵守する.それが楽だからだ.

だが少数の自分の感じ方や、感覚を(まだ考え方はない.感じ方だ.)を持っている子供は、窮屈な思いをする.混乱する.いらいらする.それは不快だ.子供にとって不快である事は一番の苦痛だ.

子供にとって学ぶべき価値、真似るべき具体的な行動指針は絶対に必要なものなのだ.

だから大人が必要になる.それも正しい大人がだ.

 

●カフカ少年の特異な環境は、決して特異なものではない.

これだけ性と暴力が溢れ返っている世界に子供たちは毎日接しなければならないのだ.

しかも正しい価値観、価値基準、行動指針が示されていないままに.

そんな世代はこれまでなかったはずだ.

戦争中は楽だ.

敵はいる.しなければならない事、してはいけない事ははっきりしている.

宗教がしっかり根付いている国も楽だ.

バイブルでもコーランでも読めばいい.

従うにも反抗するにもちゃんとその基となるものがあるのだから楽だ.

 

従うべき宗教も、政治思想も、哲学もないままに、テレビやネットでは人の首が切られ、自爆テロは当たり前になり、親が子供を殺し、子供が子供を殺し、性の快楽は野放しになっている.

 

カフカ少年が架せられた呪いは今の日本の子供たちが架せられている呪いと同じものなのだと僕は思うのだ.                

続く

2005.1.6