マラソン日記2006.9.1−9.30 赤い磁気の月の年月の月13日 9月4日 8月27日、8月最後の日曜日。 去年までは50kmを走っていたが、今回は100kmにした。去年の9月からレースで自己新連発、さらに11年かけてのサブ3達成。そこで今回は100kmへと倍増したのだ。 当初は10時間で、100km、すんなり行くと思ったが、やはり迷子。 さらに財布を落とし満足なエネルギー補給ができず、後半失速、完璧ヘロヘロ走になってしまった。 結局、朝6時半に千葉を出、横浜に着いたのは夜の8時半。 アンガールズが武道館に後1,3kmというところだった。 14時間かかってしまった。 6時半出発。 大網街道、千葉街道、と進み、船橋。 ここでうんこがしたくなりあたりを見回すが、公園もコンビニも,ビルもない。 ぐるぐる回ってようやくラブホテルの駐車場の裏に茂みがあり、そこでする。 まだ若いカップルが手をつないで出てきた。 こっちは野糞だ。 ここでぐるぐる回ったのが原因で方向感覚が狂い、迷子になった。 この後江戸川を渡るのだが、江戸川大橋を渡るつもりが、2kmほど下流の市川大橋を渡ってしまった。 この後、本来のコースから外れたまま、1時間ほどあせりと苛立ちの中走り続けることになった。京葉線に沿った国道を走り続けた。何で海が見えるんだろ、そう思いながら走った。 予想はできた。 だから今回は地図を見、赤線を引き、それを何枚にも分け、コピーしてもって走ったのだが、だめだった。 ようやく本来のコースに戻り、新しい教室の近くも通り、さてこれからと思った時, 財布を落としているのに気がついた。12時前。 さっと血の気が引き、うそだろ、そんなことないよな、と思いながらとりあえず、5分ほどバックするが、見つかるはずもないと思い直し、走り続けることに決める。 100円玉が2枚ポケットにあるだけだ。 これをどう使うかが問題になった。 昼食は3回に分けて取るつもりだった。 6時半に出発、10時にウイダーインゼリ−を3個。 12時にまた3個。 2時にまた3個。 そして4時半にゴール。 12時前に落とした。 したがって、予定の3分の1しか補給ができなくなったのだ。 10時の3個だけで最後まで行かなくてはならなくなった。 新大橋通り、日本橋、銀座。 200円でどうするか。 水は公園やコンビニのトイレで補給ができる。 200円は食べ物で。 ゼリー1個かパンかおにぎり。 だがそれで持つのか。 空腹は致命的だ。 水で満腹にしても、空腹感は消えない。 目を回してダウンだ。 新橋、第一京浜。 品川、川崎、大森。 こうなったらコンビニで万引きしてでも。と思う。 いよいよとなったら、それも辞さない。 それほどの覚悟を持っての今回の100kmなのだ。 などと思ってもみる。 だがしかし、実際あとパン一つ買って食べても、まだこの時点で、まだ残り50kmあった。 電車賃にもならない。 そりゃタクシー捕まえて自宅まで行ってしまうこともできたが、それはしない。 行き倒れか這ってでも行き着くかのどちらかしか選択肢はないのだ。 できるだけ大きなパンを買った。ふわふわではなく密度の高い堅いパン。 お腹を一杯にするのだ。 そして半分を残して、袋に入れ腰にぶら下げた。 かっこ悪いがそれしかない。 3時。 いよいよ最後のパンを食べようと思った。 この後は水で、何とか持たしていくのだ。 這ってでも、夜中になっても、歩いていけば、着く。 明日になってもいい。 そう思っていたとき、会社の人を見つけた。 えっと思い、一度通り過ぎたあと確認した。 確かにそうだ。入社して22年、初めて会社の人と偶然町で出会う。 それもこんなとき声を平気でかけることのできる数少ない会社の同僚だ。 昔は部下で今は上司の同僚だ。 1000円借りることができた。 これで、パンと水を確保できた。 実にこんな幸運がこんな時にこんな場所で訪れてくれるのだ。 だがかなりのダメージをすでに負っていた。 横浜からの15kmに2時間半かかってしまった。 1km10分だ。 ほとんど歩き。 実はメールで1時間毎実家のお袋に写メ―ルで状況を伝えていた。 実家の玄関でうろうろしているお袋を見てほっとした。 もう少し100km、すんなり行くと思ったが、やはり甘くはない。 これは涼しくなってからのリベンジが必要になった。 |