塾日記                   2005.7.1−31

 

青い水晶の嵐の年時間をはずした日.

7月25日.

営業が9名入れてくれた.

普通なら30名前後、入れるところなのだが、ここはきついらしい.といって営業は2名しかこなかった.東京中心なのだ.

しかし9名ありがたく戴く.

 

1年生1名.2年生3名.3年生2名.6年生2名.中1、1名.だ.

 

低学年が多い.

元気いっぱいだ.

といって素直素朴な子は1,2名.あとはちらちらこちらを見ながら大声出したり、走り回ったり、しゃべりまくったり、どこでどう怒るのかを計っている.

ここらへんは少し頭に来る所だ.

こずるい.

小賢しい.

 

こちらも大声出して怒鳴ったり、優しく猫なで声出したり、ボケてみたり、おならブホっとしてみせたり、落ちている消しゴムをまたいで無視したのを説教し足り、その時々の彼らの反応の仕方、様子を観察する.

序盤の攻防だ.

 

1年2年3年の低学年が一番、決まりやルールに関してシビア−だ.

教室に来てから出て行くまでの決まりごと、勉強の進め方.その理由.

授業の途中での息抜き、学校で家であった事の雑談、冗談の言い合いっこ、そこからどう勉強へ戻って集中するのか.

けじめのつけ方.

 

彼らは特にルールの理由を知りたがる.

なぜそれはいけないのか.

なぜそれならいいのか.

彼ら低学年はそれを知りたがる.

これまで家では大目に見てもらえたこと.甘やかされて考えなくてよかったこと、それが集団の中に入るとでてくる.

学校では人数が多いから説明は通り一遍になる.疑問は解消されない.

なぜそれが良くてこれはダメなのか.

いちいち理由を全員に向けていう.

 

それが必要だと思うのだ.

小学校の1,2,3年がきっと人生で一番哲学的にものを考える時だと思う.