塾日記 2005.5.1-31

青い水晶の嵐の年スペクトルの月3日。

4月30日。

 

卒業生が来た。

一番よく来てくれるこだ。

小学5年から中3まで教えた。

どうしても計算ができず,公式が覚えられず,遅くまで教室に残し,お互い涙したことが何回もあった。

3の時の勉強合宿の最終日,壇上での生徒達への贈る言葉で,□□!がんばれ!フレーフレー□□!と個人的にエールを贈ったこともあった。

 

私立の補欠で合格し,2年で中退した。

1年間は我慢しろと言っていたので,しょうがないかとも思った。

軽いノリの人懐っこい子で、物おじしない明るい性格が勉強のマイナスを十分補っていた。だから別に人生生きていくには大丈夫だと思っていたが,中退は大丈夫かなと心配もした。その性格から暴走族に知り合いも多く,右翼のおじさんにも知り合いができたと名刺を見せてくれたことも会った。

 

中退後は新聞配達をしていた。

新聞配達も朝刊,夕刊とすると,1日がつぶれる。

聞くと朝は3時から出てチラシを差し込み,4時から配りにでる。6時に戻り家に帰り,食事をして寝て,昼を食うと,また3時に出る。チラシを入れ配りに出る。

 

一日全部がつぶれるのだ。それプラス集金がある。

集金も踏み倒したり,会えなかったりで大変で,これはもういい加減な人間にはできない。いやかなりの忍耐と責任感の持ち主にしかできない。

それを5年間やったのだ。

集金の途中によく教室によったのだが,よくがんばってる。お前は人並み以上の責任感と忍耐の持ち主だ。こんなに真面目な奴だとは先生思わなかった。

偉い。お前は偉い。

と会うたび言っていた。

だが同時にいつまでも新聞配達でもないぞとも言っていた。

 

新聞配達は去年やめた言った。

退職金,200万もらったといった。

もらうこいつももちろん偉かったのだが,出した方も200万は良くだしたと思った。その金で車で日本1周をしたという。

 

そして今資格をとっているという。

クレーンを動かせる。

それからクレーンが鉄板や鉄材を持ち上げる際,その鉄板や鉄材をワイヤーで結ぶ係りの資格。それもとったという。

こういう資格があるとは思わなかった。

確かにこれは重さや形、持ち運ぶ距離や方向がしっかりわかっていないと結べない。言われてみればこれは簡単、いい加減にはできない。資格も要るだろう。それを取っているという。

それと船だ。

港に入る船を誘導する小さなボート。船を突付いて港に収めるボート。何て言ったけ、出てこない。タグボート?

その資格もとっているという。

これなんかかなり高度な仕事だ。

船のどこをどれくらいの力でどれくらい押すのか、それを瞬時に計算できないと仕事にならないという。

 

 

教本も見せてくれた。

「俺理科もっと真面目に聞いてればよかったと思ってますよ。ベクトルとか、釣り合いとかバシバシ出てきますから。俺、今すっごい勉強してますから。」

 

いい所ついている。

資格が取れれば一気に給料も上がる。

まだ22歳だ。

未来がある。

 

「いいよなお前。夢も未来も100%じゃん。先生なんか50越えたぜ。

給料だってお前のほうが全然いいし、いいよな。」

「先生、年関係ないっすよ。自分で言ったじゃないっすか。」

「そうだっけ。」

「そうっすよ。マラソンで3時間切るって言ってた時、夢に年は関係ないっていってたすよ。」

 

 

そうだっけ。

言ってたかもしれない。

 

でも22歳は若い。

22歳はいい。

 

 

自分の22歳は自意識過剰の朝から晩まで眠るまで、自分への悪口ばかりで終わっていて、しかもそれは今も変わっていない。

 

眩しい。確かにそんな若い連中を見ると眩しく、羨ましく、妬ましい。

妬ましいのだ。