塾日記 2002.9.1−30 9月4日.水曜日. この夏何人か入るかと期待したが、ゼロ. 増えない. このままだと来年、さ来年はあってもその次はない. そういえば読解作文教室、立ち上げるとか前言っていたがいつのまにか日々の多忙に紛れて頭から消えてなくなった. とにかくそれを動かしてみよう. デナイトもうないぞ. 50になって失業は辛いぞ. その前に読解作文教室動かす. 赤い惑星の月の年 月の月2月25日. 9月16日. 実に久しぶりに昔の写真を見た. 15年以上前からの写真.以前持っていた教室の生徒たち. テスト風景、授業風景、上野動物園、東武動物公園、横浜港祭り、相模湖ピクニックランド、筑波科学館、お正月羽子板コマ回し大会、東京タワー、ボーリング大会、花火大会、葛西臨海公園、カラオケ大会、アンデルセン公園、マザー牧場、運動会、文化祭、館山勉強合宿、白子勉強合宿、富津潮干狩り、NHK、オリエンテーリング、…… 笑顔だらけだ. こんだけもらってるんだから、ああだこうだと不満は言えまい. 全く楽しく、生き生きとした、軽やかで、豊かで、大きく流れる、透明でホッとする、感謝感謝の時間を彼らはくれたのだ. 何度も思い出し感謝しなければとマジ思う. マジマジ それにしてももう18年だ. 最初に持った時の中3は、33歳? みんな大きくなっていくのだ. 俺だけが取り残されている? 何で48歳なんだ. 同じだな、17の時と考えている事、感じていること. 年の取り方を間違えたのか. でも17の時の宣言が、今思っている事考えてる事、50になっても考え.思い続けること. だったのだから、それはそこそこがんばっているわけだ. 純粋と誠実とについて考え行うこと. だったよな. 腹の中は黒いが、それなりに狂わず、狂わせず、やってきたつもりだが. 赤い惑星の月の年 月の月2月26日. 9月17日. 小4、先週算数の授業であまりにできなくて怒った子、来ない. 怒られたので行きたくないとの事. 長方形、正方形の面積の求め方、かけ算の仕方を忘れたのだ. 少しきつく叱った. いやこんなのも覚えてないのかと、怒りに引きずられたかもしれない. 心の中でこのアホがと思ったかもしれない. それで来なくなった. 怒りに引き回された以上こちらが悪い. 悪いのだ. 赤い惑星の月の年 電気の月 3月2日. 9月21日. 虫の好きな子なので、カマキリ、チョウ、とんぼの写真をネットで集め、ポストに入れた. きっと気に入ってくれるだろう. 待ってるからね.と手紙を同封した. 赤い惑星の月の年 電気の月 3月5日. 9月24日. 母親から我がまま言って申し訳ないけど、今日も休ませてほしいと電話. 本人気が重いとの事. 去年までは肩車して塾の廊下を行ったり来たり、した. 相撲もした. 体がでかくて同学年の子とは遊べないのだ. それで幼稚園の頃から、本人の気持ちとは全く別に乱暴者と言われ続け、辛い目を見続けてきた. チョウやカマキリやカブト虫やセミやコウロギをいつも教室にもって来てくれる優しい子だ. だが勉強は嫌いで、算数は苦手だ. しかしここまではわかってほしいというレベルがあり、そこを強く言い、本人は自分はそんなレベルもできないダメな子だと思った. 言い方が悪かったのだろう. もう1度、虫の写真を持っていく. 赤い惑星の月の年 電気の月 3月8日. 9月27日. 来た.来てくれた. ホッとした. でもお互い言葉がスムーズに出ない. こっちは怒った. その為に子供は自信を無くした. 怒らない、ゆっくりやるからおいでといった. 怒られたショックは消え去ってはいない.だから授業中もこっちをうかがう. できるだけリラックスできるように、こちらは気を使う. だがこの子もしたたかなのだ. ごね得を狙っている. また難しいところが出てきて、やりたくなくなったら、もうできないと泣きを入れればいいと. ここが難しい. 駄々をこねれば楽ができる. だがこちらが感情に引きずられて怒ったのは事実だ. その時子供が不必要にいやな思いをしたのも事実だ. ここれは引くしかない.と思う. そして楽しく算数ができるよう工夫する. 知らぬ間にいやだった算数も進んでできるように仕向ける. そう努力すべきなのだ. |