塾日記 10月15日 HP何とかなるか。とりあえず、入れ物はできた。後は上げることがうまくできるかだ。 来週の会議、PCをいかに子供達の授業に取り入れるか。 メールの交換、特打大会、テーマを与えて誰が一番早くに調べられるか大会。MMの送信。メール伝言大会。自分の街、県、学校、自分自身の研究。 HPの作成もか。 もう少し考えよう。 あいつらの学力が上がるための方法。どうにもならない連中のための、学力を上げるための方法。あいつら勉強できなくてもそれなりに生きては行けるだろうけど、とはいえ、このままじゃ、どうしようもない。考えよう。 10月16日 中間テストが終わり、昨日は憧れの高校の演奏をみたということもあり、えらくリラックスしたきらきらした顔。 こんな顔を勉強にも向けさせたい。 たかが、一次関数ができない、2次方程式が解けない、というだけで、人間縮こまってしまうのはオカシイ。負担を取り除いてやる。そして自分の好きなことへのエネルギーを全開にさせたい。 10月17日 火曜日 ようやくまともな視線になってきた。 以前はボ〜とやる気なく、言われたことをとりあえずやるだけ。投げやり、いいかげんな性格。情けない奴、と思われがちで、思いがちな子だった。 しかしそこで決め付けてはいけない。 要するに自信がないのだ。だから不安。と言ってそれを自覚する勇気はない。できるだけじぶんから目をそらす。できないのはやらないから。流れに身を任す。それが習慣になってる。それで、今は生きてはいけるし、心配し、うるさく言う親や先生がいるから、それに逆らうことに目を向けていれば、時間は過ぎていく。 しかしそれで毎日が楽しいわけはない。できればわかりたい。わかって前へ進みたい。その確かさを実感したい。それを人にも示し、自分を認めさせたい。認めて欲しい。 それは誰にもある。だからよけいに何も動こうとしない自分にイジケ、自虐的になり、後ろ向きの袋小路に突っ込んでいく。 それは止めてやらなくてはならない。でないと、マイナスの加速度は際限がない。 まず自信をつける。その為にはリラックスさせる。その為にこちらがあせらない。 こちらが場所のしっかりした地面に垂直に浮く、大きな輪になる。くり抜きの輪になる。そしてその中を行ったり来たり、飛ばせてやる。潜り抜けさせてやる。 壁になるのではなく、ただ今あるべき場所を示し、何の抵抗もなく、行ったり来たりできる環境となる。ピョンピョン跳ねて遊べる輪となる。透明な空間となる。 そしてその輪ごと進むべき方向へ移動し高度を上げていく。 輪はきれいに円を描いていなくてはならない。 上下左右に揺れ動いてはいけない。 大きくなくてはならない。 やっぱ人間修行だわ。教育は。 明日こそは、怒るまい。 10月18日 小学3年生。 新聞は大人と同じように読め、計算もできる。頭の回転も速い。もちろん学年相応に、忘れ物はする、机の周りは未整理、キャッキャキャッキャと騒ぐ。ただ同学年とは合わない部分はあるだろう。インターネットで世の中のことはよく知っていて、大人びた考えをする。だがそれと子供の鋭い感性、優しい心、高い理解力とが心のバランスを不安定にする。つらい部分があるはずだ。 今日はこのHP製作を手伝ってもらった。 さすがにPCの事はよく知っていて、リンクは代わりに張って貰った。 彼の心のバランスをとる。その為のポイントは共同作業と思ったからだ。 今度遠足がある。ぜひ他の子と一緒に連れて行きたい。 10月19日木曜日 「10年後の私」を中3に書かせる。 人の笑いにはよく反応するが、自分から攻め込んで笑わせるタイプではないと思ってた男の子が、10年後は宴会仕切り係、で会社で活躍。 陸上一筋の女の子が、美容師で3年間付き合っていた彼と結婚。ディズニーランドでプロポーズ、二人で店を出し双子の赤ちゃん。おとなしくで色々と考えてしまう男の子。25で結婚して赤ちゃんができるから、いやな上司にも我慢して昇進して、一家を支える。10年前は人に頼ってばかりいたから家族のためにがんばっている、と書く。 自分の中の新しい可能性をふくらました子、自分の中になかった可能性を膨らませた子、自分の中の可能性を膨らませた子、これまでも作文練習はしていたが、思った以上にリラックスして、自分達の思いがでていた。 しかし元来「10年後の私」は、扱いづらいテーマだ。自分が見えない。それが基本の世の中だからだ。 他の中3はどう書くか。 10月22日日曜日 バスケ一筋、元気一杯突貫少女は保母さん。小説好きな子はコピーライター、陸上一筋無口な子は料理人、吹奏楽の女の子は漫画家ではなく好きな漫画化のアシスタント。 みんな2年3年、5年6年通っている子達で、そういえば最近聞いていなかったなと反省。 未来への夢があれば今を我慢することもできる。 10月25日水曜日 無口でまじめ、勉強は最悪の子は、高速道路警察隊?ようやく成績の上がり始めた、彼女といつも一緒の子はボクサー、かなリ真面目に書いた。大蔵省印刷局、高専合格のあとをリアルに書いた。10年前の、つまり今の勉強の辛さも客観的に書き、28で結婚、二人で暮らして、自信ができたら子供を作るだと。人生スケジュール立てて考えてる。大したもんだ。 そう言えば私はどうだったろう。 中学の時、将来のことを考えただろうか。 全くなし。 まだ野球の選手になりたいなど考えていた。 まだ世の中に共同の幻想があった。 高度経済成長時代。 勉強して、いい高校、大学、会社に入って、昇進して、いい車、いい家、いいお嫁さん、社会に共通の目標、があった。値段の高い物、を持っている者、が偉かった。 だから反発するのもしやすかった。 だが石油ショック以後「物から心」へと元旦の各紙新聞の社説欄に一斉に書かれてから、時代は物へと急傾斜していった。心は金にならないからだ。物への崇拝は新しい物への需要を産み、物が作り出され、それが売られる。経済は活性化される。精神や心の大切さを言うことが、物への崇拝の言い訳に使われた。 さらにそのやましさは物への純粋な思いから、物を物と見ることをせず、その物が別の何かを表す象徴となった。物への具体的な愛着は消え、物は他人に自分を示す為の道具となった。物で心を示そうとし、物を見る目と心を見る目を失った。そして物と心を失った。 子供達は物を欲しがらない。あるからだ。 そして既にある物は自分の何かを表現することはない。 だからいらない。 親の姿と時代を見ているから、心への目を自分の中に育てることができていない。 物と心を失い、生まれた。 そして大人は自分を棚に上げ、心の大切を言い、当然だが、反発を生む。 心のない大人が何を言っている! 未来と夢を奪っておいて、今の子供には夢と希望がないと言う大人にむかつく。 大人が自分自身夢と希望を持たないと子供も夢と希望を語れない。 大人が変わらないと子供も変われないのだ。 今ぼくは何を夢見、希望しているだろう。 それが問われている。僕自身にだ。 10月28日土曜日 自分で始める.自分で動く.自分の意志を持つ.それが無い。だから、 教える.教わる。その場をしのぐ.忘れる.また教える.教わる。忘れる. これがパターン. それを断つためには、やる気を持たせること. そのためには、目的を持たせる事.しかしそれはなかなか難しい.この世の中で目的や夢を持つのはとても困難だ. 自分の人生を考えるように仕向ける.社会に目を向け、自分の位置を確認し、自分の方向性を考え、そこへと向かう. それはとても難しい. そんな力を持っている子は少ない.残念だが. だからこちらを信用してもらう. こちらを信頼してもらう. そしてこちらの願いを聞いてもらうようにする. つまり勉強してくれと頼む.学校の授業を聞いてくれと頼む. そこから始める. |
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