朝鮮半島にあった高麗時代の石塔

    朝鮮半島中西部京畿道利川(イチョン)市の利川郷校付近の小高い丘に立っていたとされる双塔のうちの1基が、1910年代に朝鮮から日本へ移送された。高さ6.48mの五重石塔で、利川五重石塔と呼ばれ、高麗時代初期のものとされている。

 この五重石塔は、20世紀初頭に、植民地政府であった朝鮮総督府から、私設博物館の大倉集古館に下付(下げ渡す)された。現在、東京虎ノ門ホテル・オークラの前にある大倉集古館の敷地内に置かれている。

移送の経緯

 日本の移送先は、東京虎ノ門のホテル・オークラの前にある大倉集古館であった。大倉集古館とは、大倉財閥の創始者である大倉喜八郎が創設した私設博物館で、1917年に財団法人大倉集古館が設立され、財団に喜八郎の古美術コレクションが寄付されて、翌年開館となった。

 朝鮮王宮の景福宮にあった李朝王室皇太子の使用していた資善堂が、1914年に解体されて大倉邸に移された。さらに1917年に集古館へ移築されて「朝鮮館」となった。この資善堂に相応する朝鮮の名塔を入手しようと、集古館は朝鮮総督府に働きかけ、交渉の結果、利川五重石塔を取得したのである。
(移送経緯の資料)

返還運動

 その約100年後の21世紀になって、韓国の地元利川の市民が中心となって返還運動が起きた。

 まず2003年12月に利川文化院発行の『雪峰文化』誌に五重石塔の収奪経緯が紹介された。2006年5月に石塔がテレビで放映され、2007年10月には石塔返還のための第一回市民討論会が開かれた。2008年8 月には22団体が参加して汎市民運動推進委員会が創立された。

 2009年8月から翌年5月まで署名運動が実施され、約10万筆の署名が集まった。利川市の人口が約20万人というから、その半数に匹敵するほどの署名が集まったことになる。

 汎市民運動推進委員会には、利川文化院、利川YMCA、地域元老会議、女性団体協議会、在郷軍人会、大韓赤十字社利川地区協議会、利川市教員総連合会、利川市仏教連合会、韓国小企業小商売人連合会利川市支会、利川市庁、利川市議会、利川市公務員労働組合など、教育・宗教・経営・労働の各界さまざまな団体が33も結集して、全市あげての返還組織となった。

 2010年8月27日に第一回文化財返還問題・日韓共同シンポジウムが、韓国の利川市市庁ホールで開催された。また同年11月20日に東京水道橋のYMCAホール で開催された第二回文化財返還問題・日韓共同シンポジウムにも、多数の利川市民が駆けつけた。利川市民たちは、返還後の石塔設置場所まで準備して、返還に期待した。

 2008年から利川市側の代表団がたびたび大倉集古館を訪ね、運営する大倉文化財団に返還を申し入れたが、財団はまったく要望に応じなかった。永久貸出を提案しても、同レベルの文化財(国宝級以上)との交換を求められ、事実上財団は返還を拒否している。

 石塔の返還がなかなか実現しないなか、利川市では市民の募金による複製(レプリカ)を建立することになり、2019年から募金がはじまった。市民131人と9団体から計1億5,100万ウォン(約1,386万円)の寄付が集まり、翌年10月に複製の除幕式が催行された。石塔は、元慰安婦で人権活動家の金福童(キム ボクトン)さんの像のそばに建立された。


国宝級石塔の模型 日本からの返還願い慰安婦被害者像横に設置=韓国
聯合ニュース (2020/10/16)

日本に返還要求の「利川五層石塔」 市民の募金で模型建立へ=韓国
聯合ニュース (2019/09/23)

韓国自治体、日本に「利川五層石塔」の返還を要求
聯合ニュース (2011/06/17)

「利川五層石塔」の破損深刻、還収委が懸念
聯合ニュース (2011/05/27)

文化財返還に関する韓日シンポジウム、20日に開催
聯合ニュース (2010/11/18)