【三崎その3 〜海南神社〜】   

三浦一族歴史めぐり
 海南神社
   当社の祭神、藤原資盈(ふじわら
  すけみつ)公は、藤原鎌足の後裔、
  九州太宰少貳廣嗣の孫に当たりま
  すが、56代清和天皇の皇位継承
  の争いに関係した伴大納言善男と
  不和になり、故あって九州博多を
  出航、貞観6年(864年)11月1日
  当地に着岸されました。その後資
  盈公は土地の者に推載され、付近
  の海賊を平定したり、里人を教化し
  て文化の基いを築きました。よって
  里人の尊崇の念篤く、治績わずか
  2年ではあったが公の没するやそ
  のなきがらを海に沈め、祠を花暮
  に建立してこれを祀りました。
   後、天元5年(972年)に現地に
  社殿を造営し、三浦一群の総鎮守
  として崇められ明治6年6月、郷社
  にしてされました。

      平成6年1月 三浦市より
  三浦大介義明が源頼朝挙兵のとき
 源平の争覇を当社に占った際、白と
 赤の狐が闘って白い狐が勝ったので
 源氏方に荷担したと伝えられます。
 境内には頼朝公手植と伝えられる
 大銀杏があります。
  また御手洗池(みたらいいけ)に架
 かる新橋の擬賓珠(ぎぼしゅ)は、
 三崎御船奉行向井左近将監忠勝が
 寛永17年(1640年)に奉納された
 ものであります。
  また毎年正月15日に当社に奉納
 する歌舞「ちゃっきらこ」は、資盈公
 の妃、盈渡姫(みつわたりひめ)が
 土地の娘に教えたとの口碑があり、
 また歌舞島に遊んだ源頼朝公の旅
 の慰めにと、里女の歌に合わせて、
 童女達が即興的に小竹を叩いて踊
 ったとも伝えられており、昭和45年
 5月、神奈川県無形文化財に指定
 されました。

       平成6年1月 三浦市より
   
 御神木
  この大公孫樹は鎌倉時代(1192
  年)に源頼朝 当社に敬神の念篤
  く祈願成就の記念として寄進せし
  と伝えられる手植の銀杏にて樹齢
  約800年なり
           社務所の立板より