【No.18 岩野泡鳴文学碑(横須賀中央公園内)】

岩野泡鳴の文学碑
  岩野泡鳴は、明治6年1月20日、兵庫県淡路島の洲本町(現在は市)
 に、旧阿波藩士の父直夫と母さとの長男として生まれた。
  本名は美衛(よしえ)。筆名の泡鳴は、生地阿波(=泡)の鳴門をもじっ
 たものである。島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥と並ぶ自然主
 義文学の5大作家の1人。
  明治23年、国木田独歩らと「文壇」を創刊、これに新体詩を発表したり
 与謝野鉄幹らと「明星」に参加して詩作と詩論に積極的な活動をする
 など詩人としてスタ−トしたが、明治39年処女小説『芸者小竹』を発表
 してから次第に小説の数が多くなる。
  泡鳴は生涯に5冊の詩集を出したが、「田戸の海ぬし」が収録されて
 いる『悲恋悲歌』は、明治38年に刊行されたもので、その第3詩集に当
 たる。「田戸の海ぬし」は、田戸の海坊主といわれる老爺の猪之助という
 漁師とそれをとりまく情景を、俗謡風の語を用いて、七七調でうたった
 ものである。
  また同年泡鳴は、この辺りを題材とした瞑想詩劇『海堡技師』を発表
 しており、この地とは文学的かかわりが深い。
  代表作としては、小説に『耽溺』、『発展』、『毒薬を飲む女』、『放浪』、
 『断橋』、評論に『神秘的半獣主義』、詩集に『闇の盃盤』などがある。
 大正9年5月9日、腸の穿孔と腹膜炎のため逝去、享年48歳。死の直
 前医師に、「これからいいものを書くぞ」と語気強く語ったという。

                                横須賀市説明板から