S&W 38splの口径が青白く満ちた月に向けられた。
正確に言えば月を背にした人影に向かって、三蔵はピタリと照準を合わせていた。
 「誰だ、貴様」
 「僕を撃てば貴方が困ると思いますよ。玄奘三蔵」
 向けられた銃口を意に介さず、長い青みがかった白髪をさらりと流して振り返った若い男は、紅玉の瞳を細めて微笑んだ。纏った白い長衣の背に、月から降りてきたような白い翼を広げて。
その光景に目を瞠った三蔵だったが、ふと思い付き銃を構えたまま低く呟いた。
 「
―――  おまえ、まさか、ジープか?」
 「はい」
 宿の部屋には大きすぎる翼をたたみながら、ジープと名乗った男は笑みを深めた。
 「一体いつからそんな芸当まで出来るようになったんだ?」
 「僕も初めてですよ。どうしてなのか…」
 言い淀み視線を落とした先には、窓際のベッドに手を組み仰向けで眠る八戒の姿がある。三蔵は銃を下ろすと、隣の空いているベッドに静かに腰を下ろした。

 
 ―― 成る程な
 敵の気配に敏感な八戒が起きないのは眠らされているせいかと思ったが、ジープならば納得がいく。三蔵は袂からマルボロ赤を取り出すと、煙草に火を点けた。ジープも倣うようベッド脇の椅子に座ると、八戒の寝顔を見つめた。
 このところ悪天候が続き、更に野宿までもが重なった強行軍の運転のためか、疲労の影が見える。熟睡しているように見える規則正しい寝息は、夢も見ていないのかもしれない。
 束の間の休息を守るように、ジープは静かに見つめていた。
 「おまえは休まなくても良いのか?」
 三蔵達が強行軍を強いたと言うことは、当然ジープは酷使されたと言うことだ。眠る気配のないジープに声を掛けると、紅い瞳だけが三蔵を向いた。
 「ではこのベッドで休ませてもらいますね」
 その言葉に三蔵が目を眇めると、虹彩の紫暗が濃くなり鋭い眼光を放った。
 「やってみせろよ」
 口元から離れ、指に挟まれた煙草から紫煙が立ち上る。
 「冗談です。随分と怖い顔ですね」
 先に視線を和らげ、揶揄するような笑みを見せたジープに三蔵は舌打ちすると、する気も無ぇ事を最初から言うなと呟いて、煙草の灰を灰皿に落とした。
 「そうですね。でも折角人の姿になれたんです。興奮して眠気は来ないですよ」
 「だから代わりに話してやってるだろうが」
 今度はジープが絶句して三蔵を見つめる番だった。三蔵はそれを気にする風もなく、短くなった煙草を灰皿に潰して新しい煙草を取り出し口に咥える。ライターの火が煙草に移り、朱色の明かりが灯るのを眺めながらジープは溜め息まじりに呟いた。
 「貴方、やっぱり三蔵法師なんですね」
 「ナメてんのか貴様」
 眉間に皺を寄せながら紫煙を吐き出した三蔵だが、いつもより大幅に絞られた音量のため迫力に欠ける。そんな2人の密やかな応酬を知る事もなく、八戒は眠り続ける。
 「で、その姿になった心当たりはあるのか?」
 「あれ、くらいしかないんですが」
  ジープが視線を向けた先には、青白く光る天満月。
 「じゃ何か?これからおまえは満月のたびに人型に変身するのか?」
 「それはどうか判りませんけど、他に思い当たりがないんです。なかなか寝付けなくて、月明かりが眩しいせいかと思って、窓から月を見上げていたらこの姿に……」
 自分自身を見るようジープが視線を落とすと、八戒の寝姿が目に入り強膜まで紅い瞳が柔和になる。
 「そうですね。もっと役に立ちたかったし、何よりもこの手で守りたかった…」
 「フ…ン。望の月、か」
 煙草を咥えたまま静かに立ち上がった三蔵は、その面を見てやろうと窓辺に近付き月を仰いだ。夜空に浮かぶ月を見つめて三蔵は違和感を憶える。
 「何だ?」
 三蔵の声にジープも月を見上げて凝視する。と2人が見つめる中、月が欠け始めていた。それに呼応するように、ジープの体が光を放ちはじめる。
 
 多分このまま元の姿に戻るのだろう。光に包まれていく中、確信に近い予感に目の前で眠る人の姿を心に焼き付ける。

 
  ―― いつでも貴方の傍に ―――

 ジープは何とか形を保っている手をリネンの上に置くと、組んだ八戒の手に口付けて、強い発光に目を閉じた。




 「 ――― あ…れ?」
 光が消え失せ月が完全に欠けた時、八戒が目を覚ました。自分を見下ろす三蔵をみとめて体を起こそうとすると、ジープが自分の手の上に頭を乗せて眠っている事に気付く。起こさないように頭をそっと膝の上に移して、八戒は上半身を起こした。
 「眠れなかったんですか?三蔵」
 「……まぁな」
 どこか不機嫌そうに煙草を口にする三蔵を見て、夢見が悪かったのかと八戒は思う。がふと三蔵の視線の先が気になり見遣ると、血のような赤銅色に色を替えた月がこちらを見ていた。
 「ジープの目のようですね…」
 八戒は、自分の膝の上で眠るジープの頭をそっと撫でて微笑む。
その言葉に三蔵は無言で答えていた。



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2003/06/25
2004/02/02改訂