冬木立が覆い尽くす山道をジープで走行中、悟空が唐突に呟いた。
 「何かいい匂いがする」
 「あ〜?猿はもう腹減りかよ。つーか、こんな山ん中に飯店があんのか?」
 「違うってば!何か甘い良い匂いがするんだよ。ていうかこの匂い、前に嗅いだ事ある気がするんだけど」
 「じゃあ菓子屋か?」
 「この山の麓に小さいですけど町があるんですよ。相変わらず悟空の鼻は利きますね」
 運転していた八戒がフォローするが、悟空は一瞬にして通り過ぎた匂いの正体を思い出そうとして、難しい顔をしていた。
 「うーん…菓子じゃなくて、どっちかっていうと果物みたいな」
 「この時期に果物なんてなってる訳ねぇだろ?腹減り過ぎて目ぇ開けたまま、夢でも見たんじゃねぇの?」
 「そうじゃないって!確かに凄ぇいい匂いがしたんだよ」
 「分かった、分かった」
 「何だよ!悟浄だって女の人ならすぐに気が付くじゃん」
 「俺は美人しか目に入れないの」
 「万年エロ河童」
 「何だと〜、じゃお前は万年腹減り猿じゃねぇか」
 そうしていつもの騒ぎが始まり、これまたいつものように三蔵の怒号と銃声が加わり更に喧騒は拡大していく。その内適当なところで八戒の笑み付き毒舌で一応の収まりをみせる、というワンパターンを繰り返しながら、ジープは跳ねるように山道を降りていった。
 

 日の高いうちに町へと辿り着いた一行は、宿に三蔵とジープを残して買出しへと出かけた。
 「ほら悟空、良かったですね。結構お店がありますよ」
 「うん、だけどやっぱさっきの匂いとは違うんだよな〜」
 「お前、焼きそばの屋台前で何言ってんだ?家もないところで焼きそばの匂いがしたら、それこそ変だろうが」
 「悟空、じゃあ焼きそばはいりません?」
 「ううん食うよ!おっちゃーん十皿ね」
 「お前、結局何でもいいんだろ」
 先ずは悟空の小腹を満たしてから、八戒は2人の荷物持ちを大いに活用して買出しを終えた。宿に戻れば珍しくも三蔵は昼寝中だった。2人部屋だったため、否応なく八戒が同室になり、悟浄と悟空は別の部屋で買ってきたおやつの奪いあいを始めた。
 「随分と疲れてたんですね」
 片腕を枕にして、布団も掛けずに寝ている三蔵を八戒は見つめた。顔色はそれほど悪くないと思うが、野宿が続いたせいで熟睡出来なかったのだろう。そう言えば宿に着くまでの間、発砲数がいつもより少なかったように思う。こんな時、やはり三蔵が人間であるという事を再確認する。人間から妖怪へと変化した自分だからこそ分かるが、やはり根本的に体力や治癒力などの違いを感じる。三蔵はかなり強靭だと分かってはいるが、余計な体力は使わせたくなくて、専ら買出しは悟浄と悟空に頼んでしまう。口に出せば三蔵は意地でも付いて来るかもしれないが、今のところ買出しは全て自分に一任されている。良く言えば暗黙の了解だが、実は面倒なだけなのだろうとも思っている。
 八戒は椅子を持ってくると、ベッドの傍らに音を立てずに座った。こうして三蔵の寝顔を見つめるのが好きだった。低血圧で朝に弱い彼は、自分より遅く起きるのが常である。眉間に皺を寄せることなく眠る顔は鋭さが弱まり、きっと小さな頃はさぞ可愛かったのだろうと思わせる。怪我を負って意識がない時とは違い、安らかな寝顔は見ているこちらまで穏やかな気持ちになる。時には切り裂くような苛烈な光を、また時には静穏で心の深遠まで見通すような、神秘的な紫の瞳が見れないのは残念ではあるけれど、起きていれば不良園児な彼が、無防備な姿で昼寝をする姿はなんとなく微笑ましい。八戒は部屋に差し込む日溜りのように微笑むと、金色に輝くさらりとした髪に羽のようなキスをした。それでも起きない三蔵にもう一度笑みを零して、八戒は音を立てないように気を付けながら荷物の整理を始めた。




 目が覚めると辺りは暗くなっており、三蔵は何度か瞬きをしてからゆっくりと体を起こした。部屋の明りは点いておらず、誰もいない。また今にもくっつきそうな瞼を何とかこじ開けて頭を掻くと、扉が開いた。
 「あ、三蔵起きました?」
 声と共に八戒は部屋へと入り、電気を点ける。急な明りに三蔵は顰め面になったが、無理やり瞼を開けた。
 「随分と疲れてたんですね、よく眠ってましたよ。お腹空きませんか?夕飯取っておいて貰ったんですよ」
 そう言って八戒はおにぎりとおかずの乗った皿をサイドテーブルの上に置く。と
 「出掛けるぞ」
 「はい?」
 三蔵の掠れた低い声に、八戒は寝言かと思い聞き返す。
 「もう出発するんですか?」
 「違う、お前と俺だけで出掛けるんだ」
 「えっと、何処にですか?」
 「付いてくれば判る」
 「はぁ」
 まだ完全に目覚めていない三蔵は、据わった瞳で煙草を咥える。その姿を半ば半信半疑という顔で見つめた八戒は、諦めたように溜息を吐いた。
 「この夕飯はどうします?」
 「持っていけばいい」
 「バナナはおやつに入りますか?」
 「…お前が食べたければ持っていけばいい」
 「三蔵は食べます?」
 「俺はこれがあるからな」
 そう言って三蔵は、窓際とベッドの間から酒瓶を取り出して唇の端を上げる。
 「随分と準備がいいですねぇ。でしたらデザートよりもおつまみですね」
 夜のピクニックのため八戒はお弁当箱を取り出すと、三蔵の夕飯とつまみを入れて準備を急いだ。




 月はない。けれど夜空には満天の星が光り輝き、青みがかった明るい夜だった。星明りを頼りに三蔵は迷いなく道を進み、八戒は白い背中を見つめて歩く。どうやら折角降りた山道を再び昇っていくようで、黒影の山が大きく近付いている。人家の明りが徐々に遠ざかり、道も細くなって草も踏みながら山間へと入っていく。とふわりと甘い香りに包まれる。が足を止めずに更に歩いていくと最初はぽつりぽつりと、やがて地上に白い星屑が群れとなって現れた。
 「三蔵……これは…」
 「昼間、猿が騒いでいた正体だ」
 咲いていたのは白梅。山間にひしめくような梅林が、むせ返るほどの甘い香気を漂わせている。
 「三蔵、この土地初めてじゃないんですか?」
 「いや、初めてだ。お前らが騒いでいた時、ここがちらと見えたんでな。訊いたら宿の主人がここまでの道まで教えてくれただけだ。昼はまだいいが、夜はこのご時世で危なくて来れないだと」
 いつの間にか居待ち月が山影から覗いて、白く可憐な花を浮かび上がらせる。酔うほどの香りと、美しい光景に見惚れて立ち尽くしている八戒に、三蔵の声が届いた。
 「やらんか?」
 振り返ると、人一倍大きな古木の根元に腰を下ろした三蔵が酒瓶を掲げていた。
 「三蔵、胃が空っぽですと酔いが早く回りますよ」
 「先ずは一献だろう」
 シートを敷いて三蔵のための夕食とつまみを並べた八戒だが、目の前に盃を突き出されて苦笑する。けれど断ることも出来ず、盃をもらい喉を潤す。辺りを漂う梅に負けない香気が鼻を通り、舌の上を芳醇な味が転がる。けれども強い癖はなく、微かな甘味を残してすっきりと通り、まるで極上な水のようだった。
 「美味しいですね。このお酒どうされたんですか?」
 「この梅を使った地酒だそうだ。手間が大変らしくて外には出回らんらしい」
 「梅酒、にしてはそれほど甘くないですよね」
 「作業工程が違うんだろ。だから数は多く作れないと言ってたぞ」
 「でも良かったんですか?三蔵、あの2人を呼ばなくて」
 「数が少ないと言ったろ?1本しかねぇんだ」
 ヤツラに飲ますのは勿体無ぇ、と聞こえて八戒は瞳を丸くしてから困ったように微笑んだ。
 (だからあんなに昼寝をしてたんですね)
 2人だけの計画的酒宴に成功した三蔵は、すまし顔で杯を重ねている。そう言えば、こうして2人きりで過すのが久し振りだと八戒は気付いた。野宿と敵の来襲が続き、言うなれば今日は久々の休日みたいなものだ。幸い今は妖気を感じないし、風もなくこの時期にしては随分と温かい夜である。三蔵の手が酒瓶に再び伸びる前に、八戒はすっと箸を差し出した。
 「ちゃんと肴も食べて下さいね。味の割には結構きついですよ、このお酒」



 夜の静けさに月は上り、時折音もなく雪のように花弁が落ちる。甘やかな香りが満ちる中、八戒は落ちてきた白い花弁を見つめた。
 「虫の声もしませんし、静かですよね」
 「馬鹿共がいちゃこうはならんな」
 「…確かにそうですけど」
 八戒はマヨネーズで炒めた海老を箸で摘み、手を添えた。それを見つめるいつもの不機嫌な顔をした三蔵は、海老が近付くと口を開けてぱくりと喰らいつく。そして仏頂面のまま無言で咀嚼する。
 (明らかに酔ってますよねぇ)
 「八戒、次はこれだ」
 「はい、この青菜炒めですね」
 指差されたおかずを八戒は再び箸で摘み、三蔵の口元へと持っていく。そうされて当然といった三蔵は堂々と食べる。見つめてくる紫の瞳が据わっているのを見て、八戒は判らないように溜息を吐く。と目の前に盃を突き出された。注げと目で言われて、今度はあからさまに溜息を吐いた。
 「三蔵、飲み過ぎは体によくないですよ?」
 「そうだな、肴が足りねぇな」
 珍しくもすんなりと認めた三蔵は、言うなり八戒の手を取り抱き寄せる。そして戯れのように髪や頬にキスをし始めて、八戒はもがき始める。
 「え、ちょっと三蔵。僕おつまみですか?」
 「美味い酒には美味い肴が必要だろ?」
 「食事ならちゃんと胃を満たして下さい」
 「そんなのは猿にでもやらせとけ。折角の酒宴だ。興も必要だろうが」
 「お・た・わ・む・れ・を!酔っ払いの戯言には付き合いきれません」
 三蔵が更に抱き締めようとするのを、八戒は腕を使って邪魔をする。正体がなくなるほどに酔った三蔵は、傍若無人に拍車がかかるのを、八戒は身をもって経験しているため必死である。遂に最終手段として八戒は、手の平を三蔵の顔に押し付けて力一杯腕を伸ばした。のけぞらされた三蔵は、手の平を引き剥がすと凶悪な瞳で八戒を睨みつける。が、楽しげに目を細めて八戒が訝しむよりも早く、酒瓶を掴むと八戒に向かって酒を浴びせた。
 「何するんですか!三蔵」
 「お前も酔え、それなら問題ないだろう」
 八戒が呆気に取られている隙に三蔵は、今度こそ八戒を抱き締めるのに成功する。そして八戒に掛かった酒を舐めながら、目元に頬に鼻先へと唇で触れる。
 「こうすりゃ酒も肴も両方味わえる」
 焦らすように何度も唇を舐められて、八戒も観念したように唇を開いた。入ってくる舌を拒めず絡めて撫であう。こうしていられる2人だけの時間。久し振りに三蔵と触れ合っていると気付いてしまえば、八戒の抵抗も法衣の袖を掴んだままになってしまう。見つめてくる紫の瞳は確信犯だと、八戒は心の中で狡いと呟く。
 「美味しい…ですか?」
 「あぁ」
 「なら残さないで下さい」
 「言われるまでもねぇ、食い尽くしてやるよ」
 再び唇が重なりキスが深まっていくと、三蔵の手が紐釦を外し八戒の服の下に入り込む。そして八戒の手は三蔵の背中へと伸ばされた。




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2007/02/14