その日八戒はバスケットを持って慶雲院を訪れた。悟空の家庭教師と監督官への顔見せである。院では表立って歓迎されている訳ではないが、どうやら悟空のお守りとして最近、黙認から容認へと態度が軟化している節が見られる。どちらにせよ最高僧様の一声に結局彼らは従わざるをえないので、今日も八戒は咎められることもなく、寺院の門をくぐった。
 「こんにちは、悟空」
 「おう!八戒今日は何を持ってきたんだ?」
 扉をノックして入った八戒を、バスケットを見た悟空が、盛大な笑顔と期待の眼差しで迎える。金晴眼を丸くして、キラキラと輝かせる悟空に八戒は笑みを深める。
 「今日はミートパイを作ってきたんですよ」
 「みーとぱい?」
 「ひき肉入りの具を包み込んで焼いたパイです」
 「ふ〜ん?」
 悟空はパイが想像出来ず、巨大なパンを想像した。
 「それっておやつなの?」
 「ええ、料理と言ってもいいですけど、悟空にはおやつだと思いますよ。ほら、肉まんだっておやつでしょう?」
 「!!すげーうまそう、八戒」
 今度は頭の中で肉まんに変換されたミートパイに、悟空はよだれを垂らさんばかりだ。
 「はいはい。でもこのおやつは、この前の続きが出来たら食べていいですよ。だから頑張りましょうね」
 途端に怯んだ悟空だが、先程から鼻をくすぐる良い匂いには勝てない。
 「おう!じゃあ俺、本とノート持ってくる」
 「悟空、筆記用具も忘れないで下さいね」
 勢い飛び出して行く悟空を見送って、八戒は机を振り返った。
 「こんにちは、三蔵」
 「あぁ、お前も意外と根気強いな」
 「しつこい性格ですから、僕も。でも悟空は頑張って、本当に少しづつですけど覚えてくれてますよ。それに食べ物を前にして、我慢していられる時間も、徐々に長くなってきてますし」
 八戒は『馬に人参猿にバナナ作戦』(八戒命名)で勉強を教えていた。ノルマをこなすと手作りおやつが待っている、という寸法だ。但し出来ないと絶対に食べさせないので、悟空も必至になり勉強をこなす、という好循環を生み出す事に八戒は成功していた。この作戦成功の秘訣は、八戒が悟空の動きに対応出来る体術と、料理の腕前にあった。
 「これが出来たら又おやつを作ってきますからね」
 という八戒の笑顔と共に繰り出される必殺技に三蔵は、飴と鞭作戦と別名を付けていた。
 「あの猿に待ての芸が仕込めるのはお前くらいだな。替わりに舌が肥えてきてるんじゃねぇか?」
 「ありがとうございます。貴方にそう言って貰えるとは思いませんでしたよ。三蔵も一切れ食べて下さいね。マヨネーズも合うと思いますよ」
 くすくすと笑いながら遠まわしに料理の腕を褒めてくれた三蔵に、八戒はバスケットを開けて、中にあった大きなミートパイを見せた。




 「うめぇーっ!八戒、これすごく美味いよ」
 待ちに待ったおやつタイム。今日頑張ったご褒美のミートパイを、悟空は歓声と共に頬張った。これが出来なかったら食べちゃダメです、という八戒の綺麗でも恐ろしい笑みを見つつ、悪戦苦闘しながらやっつけた勉強の後のおやつはいつも美味しい。
 「ありがとうございます悟空。はい、これもどうぞ。喉に詰まらせないで下さいね」
 八戒がたっぷりのミルクと砂糖が入ったコーヒーを差し出すと、悟空はそれを飲んで満面の笑みを浮かべた。一方三蔵もパイにマヨネーズを付けて食べながら、満更でもない顔でコーヒーを飲む。八戒が来た時にだけ飲めるコーヒーを三蔵も気に入っていた。
 「でも作り手としては嬉しいですよね。悟空みたいに美味しい、て言いながら食べて貰えると作ったかいがありますよ」
 「え?!悟浄っていつもこんなに美味いもの食ってて、何も言わねーの?」
 ぜーたくなヤツと悟空が言えば、三蔵も河童だからな、と自分も言わないくせに呟いた。
 「いえ、全然言わないってわけじゃないんですけど、やっぱり悟空のようにはいかないですよね。だから悟空が食べてるのを見てるの凄く好きですよ。だって本当に美味しそうに食べてくれますから」
 「だって本当に美味いんだもん」
 又一切れパイを頬張りながら悟空が笑うと、八戒も微笑んだ。その笑顔が以前と変わってきたように感じて、三蔵はコーヒーを飲む手を止める。
 「どうしました?三蔵。やっぱりミルクを入れますか?」
 動きの止まった三蔵に八戒が尋ねれば、三蔵はマグを机の上に置いた。
 「いや、いい。お前、ヤツにこのパイを美味いとでも言われたんだろう?」
 「え?」
 翠の目を丸くした八戒に、図星を指した三蔵は、面白くなさそうに再びコーヒーを飲んだ。
 「あー、そうなんだ八戒。良かったな」
 悟空にまで言われて八戒は慌てて言った。
 「別にそんな事言われてませんよ。ただ残さず食べてくれただけです」
 「それだけで十分じゃねぇか」
 「そうだよ。こんなに美味いおやつ、残す方がおかしいよ」
 紫と金の瞳に見つめられて、八戒は困ったように微笑んだ。
 「えーっとそれは朝帰りして、夕方近くまでずーっと寝ていて、何も食べてなかったから、凄くお腹が空いてただけだと思いますよ」
 「ふーん、やっぱ悟浄はずりぃよ。だってすげー腹減ってる時に、こんな美味いもん食べれるんだからさ」
 言いながら又パイを頬張る悟空の隣で、三蔵は眉を顰める。
 空腹時にこんな重たいものを残さず食べる悟浄と、恐らく丸ごと出した八戒の遣り取りが思い浮かんだのだ。大方朝帰りが原因だろう、とまで考えた三蔵は呆れた溜息を吐いた。
 「お前な、犬も食わねぇじゃねーか」
 「そんな事ありませんよ。悟浄がこの前も、面白い事を言ったんですが、欠伸がでるわ、嫌気は差すわ、死にたいくらい、てんで退屈でしたもん。間抜けな事にこの間も、滑って転んでましたよバナナで」
 「ばっかだなー、悟浄。俺も見たかったー」
 「でしょう?」
 同意してくれた悟空に笑みを浮かべる八戒の隣で、三蔵はクレバス並の深い皺を眉間に刻んだ。
 「貴様、ノロケなら他を当たれ」
 「だって、こういうの判ってくれるの貴方だけですから」
 人畜無害な笑みでしれっと言ってのけた八戒に、三蔵はさらに機嫌を降下させる。馬の合わない悟浄の悪口を聞いていたのに、不機嫌な三蔵を悟空は不思議しそうな顔で見つめた。
 「なんだよ三蔵、もっと食いたかったのか?パイもう無いぞ」
 「そうじゃねぇ、バカ猿」
 八つ当たりで三蔵がハリセンを駆使すると、悟空は頭を押さえながら叫んだ。
 「だって食っていい、て言っただろー」
 そんな二人の遣り取りを八戒は笑いながら見つめる。
 その頃悟浄は自宅で、盛大なくしゃみをしていた。
 「ふぇーっくしょん、このやろう。誰か噂してやがんのかぁ?」


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2005/11/10




※八戒曰く「そんな事ありませんよ。悟浄お、あいしてます」