白い入道雲 |
白シャツに砂色のパンツを着て、撫でるように通る風をその身に受ければ、服は風を孕み痩身な姿をより浮かび上がらせる。こげ茶色の真っ直ぐな髪はさらりと音が聞こえそうなほどなびいて艶めき、セピア色にも見える。白い肌は光を吸い込むように透き通り、整った顔を更に引き立たせる。陽炎を纏い歩く姿は普段持つ儚さを一層増して、このまま消えてしまいそうな危うさだ。まるで真夏が見せた幻のような光景は、灼熱の暑さを一瞬忘れさせる。 「三蔵」 だからその姿が徐々に近付き鮮やかさを増して、声を聞いた途端どこかで安心してしまったのは仕方ないように思えた。何となく足元の影を見てしまう。 「こんなに暑いのに帽子も被らないんですか?」 「お前だって被ってないだろう」 「確かにその格好だと麦藁帽子は合わないですね。覆面頭巾とか?」 「余計暑いじゃねぇか」 「深編笠とか」 「…同じだろ」 しかし覆面頭巾や深編笠が出てきて、何故普通の笠や頭巾が出てこないのか。いやその前に、俺に悪代官や虚無僧になれとでもいうのだろうか。どちらも顔まで覆うもので暑苦しさ倍増である。この暑いのに更なる精神的追い討ちをかけられて、三蔵はどっと汗が吹き出た。げんなりとしながら八戒を見れば、先程の消えそうな印象が吹き飛び、口を開けばいつもの八戒で心中はどこか安心している。しかし本当に残念そうな顔でこちらを見ている八戒に、何とも複雑な気持ちになる。奇々怪々という言葉が思い浮かぶと、八戒がまるでそれを聞いたようなタイミングで口を開いた。 「だって以前頭に乗せていた金冠は白い布が垂れていたでしょう。この暑さで金属を頭に乗せるのは熱を吸収して大変危険ですので、せめて顔くらい隠した方がいいかと思いまして」 「俺の事より、お前の方こそ麦藁帽子でも被った方がいいんじゃねぇか?」 そんな事を言うのはもしかして、日射病にでもなりかかっているんじゃないか、と言外に含めて三蔵は言い返す。しかし八戒はのれんに腕押しのような笑みを浮かべて、僕は大丈夫ですよと答えた。 見通しの良い一本道。 二人は出会い三蔵はそのまま、八戒は来た道を戻るように陽炎の立つ乾いた夏の道を歩く。灼熱の陽射しは思考力を低下させ、埋め尽くされた白い光は目を開けるのも辛い。汗は止め処もなく流れ、皮膚はじりじりと焦げ付くように焼ける。けれど視界に入ってくる天然色は鮮やかで、木々や草の緑は深く濃く、くっきりとした青空には大きな真っ白い雲が光を浴びて、むくむくと大きく立ち上がっていく。 「まるで綿菓子みたいですよね」 「猿が移ったか?」 「でも悟空ならソフトクリームって言うかもしれませんよ?この暑さですし」 一座の入道雲を眺めながら二人はどうでも良い話で暑さを紛らわす。もう何をしても暑いのだが、思考が低下していて考える事を放棄している。 「傍から見ると綺麗で美味しそうですけど、上の方は氷晶ですし、底は俄か雨に雷も鳴りますし、あんまり穏やかじゃないですよね」 「雹が降る事もあるな」 三蔵が一人旅をしていた頃の経験をひけらかせば、翠の瞳が丸くなる。 「へぇ、それは知りませんでした。じゃあカキ氷にしましょう」 「お前…、やっぱり腹が減ってるんだろう?」 「そこそこですかね。実はおやつの話をしているんです。貴方と食べるための」 と今度は紫暗の瞳が目を見開く。がすぐに眇めて、相変わらず読めないヤツだと心中で呟く。 それもこれも全て暑さのせいにして。 「そんな事は俺に聞け」 「じゃあ何が良いですか?」 「ビール」 「て返るのが判ってたので、色々と言ったんですよ。確かにそれも悪くないんですけど、それは日が暮れてからでも遅くないかと思うんです。 折角の夏の昼下がりですよ?昼から酔いつぶれてないで、もっとこう満喫しないと」 難しそうな顔になって俯く八戒も、かなり思考が溶けている感じだ。 八戒と居て気付いた事が三蔵にはある。それは、こいつが季節の行事を大事にしているという事。そしてそれに乗じて自分も楽しんでいるという事だ。自然と三蔵の口元が緩む。 「何でも良い」 「それもちょっと…。て言うか三蔵、今笑いませんでした?」 「知るか」 ぶっきらぼうに三蔵が答えると、ゴロゴロゴロという低音が響いてきて二人は同時に足を止める。気付けば辺りは夜でもないのに、かなり暗くなっていた。 「八戒、お前が怒ったからか?」 「三蔵、貴方こそ呼びつけたんじゃありません?」 「何故、俺だ」 「だって入道って仏道に入った人の事でもあるんでしょう?」 「人じゃねぇだろう」 そんな話をしている間にも辺りはどんどん暗くなり、まるで夜のようになる。雷鳴も近付いてきて、遠くに稲妻が走るのまで見えてくる。不穏な空気の中、突然ざぁーっという大きな音がして体に痛みが走った。地面を見れば、豆粒ほどの氷が乾いた土の上に無数に転がり散らばっている。雹だと認識した直後、強い光が縦に走り雷が近くに落ちて、耳をつんざくような轟音が襲い、空気が割れて震えた。無言で顔を見合わせた二人は同時に走り出す。雹を避けるために木の下に入りたい所だが、雷が鳴っていては危険だ。 「家でいいですよね」 「元よりそのつもりだった」 「え、そうなんですか?だったらあれこれおやつのメニューを並べる必要はなかったですね」 どうやらナンパされていたらしい。それなら、と三蔵は隣を走る八戒を見つめた。 「お前こそ何処に行くつもりだったんだ?」 「貴方に会いに行くところでした」 雹が降り雷が鳴る、こんな荒れた天気の中で八戒は嬉しそうに笑った。三蔵はその笑顔を、何故か初めて八戒を見た姿に重ね合わせてしまい手の平を握り締める。また近くに雷が落ちる。今度は十秒ほどの時間差で音がしたが、それでもまだ近い。けれどそれに怯む事も慌てる事なく、二人は雹の上を走る。視界を確保するため片手で顔を防いでいるが、それでも視野は狭い。とモノクルに氷が当たり、その拍子に大粒の氷に足を取られてよろけた八戒の手を三蔵が掴んだ。その手はそのまま離れる事は無く、二人の足は止まらない。八戒は走りながら、前を見続ける三蔵に微笑んだ。 「三蔵、ありがとうございます」 「ふん…、ここでこけたら痛いからな」 「ね、三蔵。カキ氷にしましょう」 「こんなに涼しくなってるのにか?」 「えぇ、だってこんなに痛いばかりじゃ割に合わないじゃないですか」 どうやら食べて氷に復讐する、と燃える八戒に三蔵は溜息を吐いた。 「…判った。好きにしろ」 「ちゃんと貴方のは宇治金時にしますね」 どうやら最初からそのつもりだったらしいと気付いて三蔵は、繋いだ手にもう一度力を込めた。 原作設定:旅に出る前の2人 気温38℃の中を二人は走る |
2006/08/28