紫色の星空U


 待望の蚊遣りブタからは蚊取り線香の煙が立ち上り、白い蝋燭の炎が何故か燭台の上で揺らめき、そして時折吹く夜風が風鈴の音を気まぐれに鳴らす。竹で出来た縁台も用意され、完璧なセッティングの下花火は始まった。
 「綺麗ですねぇ」
 「お前、それ手持ちじゃねぇんじゃねぇか?」
 「いやですねぇ、細かい事気にするとハゲますよ?三蔵」
 「こんな事でハゲるか」
 しかし否定はしなかったな、と思いながら三蔵は八戒の上げる花火を見る。
 細長い筒に点火した八戒は夜空に向かって腕を伸ばす。とヒューという甲高い音がしてから、パンッという軽い音と共に頭上に花火が咲く。一発二発と次々上がっていく。赤から緑に変わっていく光は、しかし先日見上げた打ち上げ花火に比べれば随分とささやかな花だった。
 「ちいせぇな」
 「あはは、確かに。でもあれとは火薬の量も作りも違いますし。三尺玉だと直径一メートルくらいでしたっけ?それに許可も必要かと…って貴方がいれば問題なしですか」
 「俺は何でも屋じゃねぇぞ」
 「まぁまぁ、小さくても結構綺麗じゃありません?」
 眉間に皺を寄せた三蔵に、八戒は新たな花火を置いて微笑む。地面に置いた花火に点火すると、シューッという音と同時に光の噴水が吹き上がる。金色の光は2メートル位まで上がり、周りをパチバチと音を立てながらピンクに緑や紫色の星達が彩る。俄かに辺りが明るくなり、傍らにいる2人の姿が照らし出される。八戒の薄茶色の浴衣は闇に映え、いつもの柔らかい雰囲気に着物独特の色香が加わり、濃紺の独鈷の帯は細腰を露わにさせている。そのせいか、整った顔立ちは更に中性的に見えた。一方三蔵の深緑のかすれ縞は闇に溶け込んで、逆に金色の髪と整った容貌を引き立たせる。そして白の献上帯が引き締め役となって、玲瓏さを増して見せる。いつもと違うお互いの姿と雰囲気に、何となく目が行き顔が合ってしまう。しかし、そこで花火が消えて辺りは闇に戻った。
 「え…と。三蔵、次はこれなんかどうですか?」
 何となく見惚れていたのを八戒は誤魔化すように手持ち花火を手渡した。
 「……お前、わざとか?」
 「何がです?どんな花火か見てみたくありません?」
 三蔵が持たされた花火はまるで釣竿のように棒が伸びて、その先に糸で繋がった細長い火薬が点いていた。火薬の先に点火するとシュワッという音と同時に勢いよく金色の光を放つ。その後金の光を撒き散らしながら、糸の先で縦横無尽に暴れまわる。綺麗なのだがその激しい動きは、火花に気をつけねばならない程だ。花火の名を暴れんぼうという。
 「うわぁ、凄いですねぇ」
 「お前な…」
 余りの暴れっぷりに三蔵は腕を伸ばし、眉間に皺を寄せる。しかしそんな花火と、それを持つ仏頂面の三蔵の図が妙に嵌っていて、八戒は感嘆の声を上げてしまった。まるで三蔵のために作られた花火ですねぇと心の中で言ったのだが、三蔵は聞き取ったように八戒を睨め付けた。
 「三蔵、手持ち花火は気に入りませんでした?じゃあ次はこれなんかどうです?」
 「嫌がらせか?」
 「そんな事ある訳ないじゃないですか。たまたま一番手前にあったのがそれで…」
 「もういい、かせ」
 三蔵は最早やけっぱちな気持ちになって、八戒から花火を奪い取ると地面に立てた。大体先程貰ってきた花火も結構な量だったが、それ以上の量の花火が家には用意されていたのだ。合わせた花火の数はなんとダンボールに入っている。その中から迷わずこの花火を取り出してくる八戒は相当な兵だ。いや、そんな事は前から判っていたが…、と三蔵は燻った気持ちで点火して、すぐに離れる。その花火は先程の噴水とは違い、赤と緑の光が噴出すと同時に生きている様に光が飛び回る。高さと言い、飛び交う光の洪水と言い、派手に噴出する花火の名はあばれ蛍という。三蔵は複雑な何とも言えない気持ちになったが、花火は勢いにのって益々暴れまくる。しかし予測不可能な光と光跡は複雑で美しい。
 「綺麗ですねぇ」
 再び明りに照らし出された八戒は、どこか遠い目をして呟いた。花火に纏わる思い出でもあるのだろうかと三蔵は思う。はしゃぐような弾んだ空気が変わっていく。しなやかな笑みを浮かべた八戒はどこか遠くに見える。ふとした時、この表情を瞳にだけ乗せる事もあるが、今は全身にその雰囲気を纏っている。今目の前にある花火のように美しく、けれど触れれば火傷を負ってしまうくらいの熱を内に秘め、そしてあっという間に消えてしまうような希薄な気配に、嫌でも不安を掻き立てられる。今目の前に確かに存在する筈なのに、このまま硝煙の中に掻き消えてしまいそうな危うさ。
 そして花火は消えて辺りは暗闇に戻る。ぼうっとしたまま立ち尽くしている八戒に、三蔵は新たな花火を手渡した。
 「まだあるぞ」
 「そう、ですね。花火は一気にやっちゃいませんと」
 「とっととやらねぇと、いつまで経っても終わらんぞ」
 「はい」
 自分を見つめて微笑む八戒を見つめてから、三蔵は自分用の花火をダンボールから取り出した。


 「やはり最後はこれですよね」
 「順番があるのか?」
 「そうですよ。食後にデザートを食べるのと同じ事です」
 ゆらりと揺らめく蝋燭の炎の下、浴衣姿の2人は小さく蹲り線香花火を手に持って先端に火を点ける。シュバッと勢いよく点火し、長いこよりが揺れる。徐々に火の玉が大きくなっていく途中で揺れが制御出来ず、三蔵の火の玉がぽとりと落ちる。
 「あ」
 「………」
 「三蔵。45度くらいの傾斜をつけると、垂直よりも火の玉が落ちにくいんですよ」
 明らかに不機嫌になった三蔵だが、すぐに線香花火を手に持ち再チャレンジする。慎重に火を点けて火花を睨む姿は真剣そのもので、殺気すら感じられる。そして八戒の助言に従い、斜めに構える。そんな三蔵に笑みを零しつつ、八戒は手元の花火を見つめた。順調に大きくなった火の玉はやがてパチパチという音と共に、繊細な星のような火花を見せ始める。1つ2つと増えていき止めどなく現れ、複雑で可憐な星はやがて小さくなっていく。光はただの流線となり萎んだ火の玉の周りに淋しく、けれど最後の力で命を燃やし、オレンジ色した火の玉は精一杯の役目を終えて地上へと落ちた。その横で今度は三蔵の線香花火がたくさんの星を咲かせ始める。花火を見つめる紫の瞳は穏やかに変わり星を眺めている。八戒はその星が終わる前に再び線香花火を手に持ち火を点けた。コツを掴んだ三蔵は途中で火の玉を落とす事もない。競い合うよう追いかけるように、小さな星達は絶え間なく咲き続ける。それにもやがて終わりは来て、最後の火の玉が小さく震えて地面へと消え落ちた。
 再び静かな暗闇に戻り、八戒は小さく溜息を吐いてから立ち上がり、縮こまっていた体を伸ばした。
 「火花ばかり見ていたせいか、なんだか色が違って見えますね」
 伸びをした序でに八戒は夜空を見上げて呟く。三蔵も倣うように立ち上がり夜空を見上げた。沈む月は雲に隠されて雪洞のように淡い明りを放っている。しかし雲はそう多くなく、薄墨に紫がかった夜空には星も瞬いて見えた。徐々に目が闇に慣れてくると、雲は流れて黒い夜空に満天の星は降るように瞬く。
 「花火の星もいいですけど夜空の星も綺麗ですね。花火は終わると、夏が終わる気がして淋しい感じがしませんか?」
 八戒は先程花火を見た時と同じ遠い瞳で夜空を見上げる。今何を見ているのか三蔵は知らない。知ろうとも思わない。けれど
 「星だって季節で変わるだろう」
 吸い込まれそうな夜空を眺める八戒の邪魔をするように、煙草を取り出し紫煙の薄雲を吐き出した。視界を遮られた八戒は何度か瞬きをして三蔵を振り返る。
 「変わらない星もありますけどね」
 煙草を吸う度に、先端の赤い火口が息づくように瞬く。地上の小さくて赤い星を見つめて八戒は微笑む。


 夜空が雲に覆われても
 暗闇で迷ったとしても
 この星があれば歩いていけるから





原作設定:旅に出る前の2人
八戒も三蔵の事を見てます

2006/09/19