桃色サンダル |
ブツッという音と同時に三蔵の体が前のめりになる。バランスを崩したが転んでしまうほどの衝撃ではなく、踏み止まった三蔵は足元を見て眉間に皺を刻む。足袋が草履から大きくはみ出してしまい、鼻緒が切れてしまっていた。 「だって裸足で歩くわけにはいかないでしょう?」 「だから何だってこんな色なんだ?」 寺院よりも近かった森の一軒家に片足袋を汚して辿り着いた三蔵は、出された桃色のサンダルに固まった。可愛らしい色であるにも拘らず、何故かそれは男物のサイズなのは間違いない。まるで今日を待ってましたとばかりのピカピカの新品に動揺を押し隠し、ちらと目線を上げれば、そびえるのは鉄壁の笑顔である。 「綺麗な色じゃないですか。差別するんですか?」 「…差別じゃねぇ。区別だ」 「今、家にある新品のサンダルはそれだけなんです。色には目を瞑って我慢して下さいよ」 「……裸足でいる」 頑なな態度はまるで聞き分けの無い小さな子供のようで、八戒は怒るというより可愛く見えてきてしまう。そしてそれを察した三蔵がますます意固地になり、機嫌を降下させるという悪循環に陥っていた。 「そもそも何だってこんな色のサンダルがあるんだ」 「くじ引きで当たったんですよ。でも僕も悟浄もすでにサンダルは使ってましたから、今日までそのサンダルは日の目を 見る機会に恵まれなかった訳です。けれど本日(目出度く)三蔵の鼻緒が切れて草履の替わりに華々しくデビュー、の筈なのにいちゃもんをつけられた挙句に使われず、更には音に聞こえたかの最高僧様にお前を履くくらいなら裸足の方がいい、などと言われてこのサンダルきっと泣いてます」 売れ残った商品を景品にして(何しろ男物でこの色だ)、欲しくも無い好みに合わないサンダルを悟浄と八戒が押し付けあった結果、お蔵入りになっていたものをこれ幸いと、勿体無い精神を建前にして自分に履かせようとしている図式が見えて三蔵は青筋を立てる。しかしわざとらしくも眉尻を下げて、目薬を点したような翠の瞳で肩を落とし、哀れっぽくサンダルを見つめる八戒に何も言えず、見えない髪の内に青筋がスススと移動する。演技と判っていても泣かれるのは苦手である。ベッドの上なら別だが、こういう時は対処に困るしまた尾を引いて、後々面倒を引き起こしかねない。危機的状況を前に千思万考、四面楚歌、悪戦苦闘、獅子奮迅の末、決死の覚悟で三蔵は口を開いた。 「そんなに言うならお前が履けばいいだろ」 「いいですよ」 やけにあっさりと言われて三蔵が紫暗の瞳を点にしている前で、八戒は自分の靴を脱いでさくさくと桃色のサンダルを履いた。 「どうです?」 「………あぁ」 桃色のサンダルを履いて微笑む八戒に、未だ呆としている三蔵は働かない頭で曖昧に頷いた。桃色のサンダルは可愛らしいが八戒はどちらかと言えば綺麗である。似合うと言ってしまえばそうかもしれないが、少し強引な気もする。だからと言ってミスマッチと言うほどにはおかしくない。可愛いと綺麗の定義に三蔵が頭を悩ませている間に、八戒は自分の靴を持っていなくなってしまう。怒らせたのだろうか、と三蔵が気を揉む間もなく八戒はすぐに戻ってきた。手には別のサンダルを持って。 「これがダメなら貴方は僕のサンダルで我慢して下さいね」 そう言って目の前に出されたハート柄のサンダルに三蔵は石になる。 「柄物だと三蔵の法衣に合わないかと思ったんですけど、そんなに桃色が嫌いなら仕方ありませんよね」 それなら桃色は似合うと思ってたのか?いや、だからと言ってハート柄の赤はOKなのか?一体お前はどういうセンスなんだ。等々百万語の反論を声を荒げて聞きたかったが、すでに後の祭りである。無地である桃色のサンダルの方が、五十歩百歩程度にましだとは口が裂けても言えない。ハート柄のサンダルを睨んだままピクリとも動かない三蔵に、八戒は微笑む。 「じゃあ三蔵、夕飯は何にしますか?」 「あ?」 「だって鼻緒が切れるって良くない事の前兆って言うじゃないですか」 (それはまさにこの事だな) 視界に入れるのも辛いハート柄のサンダルを前にして、三蔵は眉間にクレバスを作る。そんな三蔵に八戒は笑みを絶やさない。 「だから今日は泊まっていって下さい。好きな物を作りますよ」 ようやく顔を上げた紫暗の丸い瞳に、八戒は事故でもあったら大変でしょうと悪戯を成功させた顔で笑った。 原作設定:旅に出る前の2人 先の読みあいは三八の醍醐味 |
2006/08/14