真っ赤なスイカ


 「ちったく、何でこんな時にいやがらねぇ」
 傍若無人が法衣を着ているかの最高僧玄奘三蔵様は、普段ならハリセンで叩きまくっている悟空をこんな時に必要としていた。が必要なものほど必要な時になかったりするのが世の常である。悪態を吐きながら歩く三蔵様の姿は道行く人々の好奇の目に晒されて、不機嫌は悪化の一途を辿る。
 「こんなのは俺の仕事じゃねぇ」
 そうは思っても光明三蔵に育てられた江流こと玄奘三蔵に、途中放棄はあり得ない。筈なのだが、いい加減嫌になってきた三蔵様は一休み一休みと心の中で呟きつつ、木陰に入って一服休憩。すると突然閃きが沸いた。この時、木魚と金の音がBGMに流れていたのは言うまでも無い。早速三蔵様は吸い終えた煙草を草履で踏み消し残る気力と体力を振絞り、時の運も大事だなと思いながら再び歩き始めた。こんな事になったのも折角木陰に入ったのに、脳を揺さぶるような蝉の大合唱を聞いたせいかもしれなかった。



 扉の向こうから激しくも荒い息遣いが聞こえてくれば、軽く三枚に下ろして、お引取り願うために八戒が身構えているのも当然の事と言えよう。しかしノックの後に聞こえてきた小さな声に、八戒は翠の目を丸くすると急いで扉を開けた。
 「三蔵!どうしたんですか」
 「と、に角………休ませ…ろ……」
 虫の息で言葉を発した三蔵は、金髪からも汗を滴らせ肩で息をし、法衣を着ていなければ変質者と間違われてもおかしくない不機嫌絶好調な顔で憔悴している。呆気に取られて言葉も出ない八戒の横を、俺は苦行をしてきたんだ文句はねぇなと顔に書いて通り過ぎ、勝手に家へと入り込む。しかしその動きは疲労困憊半死半生熱中症一歩手前、なくせに法衣をきっちりと着込んでいるため、見ているこっちが倒れそうになる。このまま放置すれば家の中で変死体、という言葉が浮かんだ八戒は直ちに三蔵蘇生のために動き始めようとしたその時、玄関に置かれたそれは大きな西瓜に気付いた。



 カラカランと涼しげな音を立てて氷の入った透明なグラスに麦茶が注がれる。そしてテーブルの上には小皿に梅干が乗っている。
 「はい、どうぞ」
 まるで我が家のようにゆったりとソファに寛ぐ三蔵に、八戒が水滴の付いたコップを手渡す。受け取った三蔵は、命の水のようにあっという間に麦茶を飲み干してしまい、八戒は笑いながらお替りを注ぐ。
 「三蔵、梅干も食べて下さいね」
 「どういう取り合わせだ」
 「だって汗は一緒に塩分も外に出してしまいますから、一緒に塩分も取らないと熱痙攣を起こしちゃいますよ」
 「…………」
 冷水シャワーを浴びた三蔵は生き返り、あやうく目前の梅干のようにならずに済んだ訳だが、はちみつ漬が好きな三蔵は渋い顔になる。けれど八戒の無言の圧力に勝てるはずもなく、薬でも飲むように口に入れた。
 そんな三蔵の身を包むのは八戒が用意した浴衣だ。綺麗に畳まれていたこの着替えに軽く眉を跳ね上げたのだが、結局無言で袖を通す。脱衣所の扉を開けて待っていたのは嬉しそうな八戒の笑顔だった。
 「良かった、似合いますね」
 口直しに麦茶を三杯飲み終えた三蔵は翠の瞳をじっと見つめる。と八戒は苦笑にも似た笑みを浮かべて隣に座った。
 「どうしたんだ?これは」
 「だってこんなに暑いのにきっちりと法衣を着込んでいたでしょう?余程着物が好きなのかと思って用意したんですよ」
 深緑のかすれ縞に白の献上帯を締めた三蔵は、堂に入った着こなしをしている。
 「貴方はいつも白ですから、たまには白以外も良いでしょう?夏はやっぱり浴衣ですよね」
 どうやら自分の見立てに満足しているらしい八戒の頭を引き寄せると、三蔵は自分の肩に乗せた。
 「お前のはどうした?」
 「僕のですか?ありませんよ。だってこの浴衣を見たら、どうしても貴方に着てもらいたくなって買ったものなんですから」
 素直に頭を凭れている八戒は翠の瞳をうっすらと細める。するとこげ茶色の髪を梳くようにして撫でていた三蔵は、面白くなさそうに手を止めた。
 「なら俺が買うから着ろ」
 「え、いいですよ」
 「お前が夏は浴衣と言ったんだろうが」
 「でも帯の締めた方とか今ひとつ判りませんし」
 「俺が教えてやる」
 「それとこの手とどういう関係があるんですか?」
 いつの間にやら腰を抱かれ、更にはシャツの下に入り込もうとしていた三蔵の手をピシャリと八戒は叩く。
 「服を脱がなきゃ浴衣が着れんだろうが」
 「だから僕のは無いんです、てさっき言ったのちゃんと聞いてました?三蔵」
 「帯だけなら俺のがあるだろうが」
 「あんな汗がしたたるような帯は洗濯行きに決まってるでしょう。しかも帯だけ締めてたら変でしょう?」
 「………そうでもねぇぞ」
 紫暗の瞳が不穏に光ったと思う間もなく、八戒は噛み付くように口付けられる。抱き込まれてソファに押し倒され、勢いに驚いて開いた唇を待ってましたと舌が入り込む。
 「…ん…ぅん……」
 袖で包まれるように抱き込まれ、貪るように動く舌にやがて八戒は翻弄されていく。もともとキスが好きな八戒を三蔵は良く知っていた。腕の中にある身体から力が抜け落ちるまで三蔵はキスを止めなかった。
 やがて唇を解けば翠の瞳はとろりと溶けて、三蔵は満足そうに見下ろす。そして片手で自分の帯を解くと、ぼんやりしている八戒の手を取り両手首を縛り上げる。そこまでされれば流石に八戒も正気づく。
 「ちょっと、何するんですか」
 「帯だけでもおかしくねぇのを教えてやる」
 「この締め方だと浴衣は着れないと思うんですけど?」
 「今は無いと言ってたのはお前だろうが。ちゃんと聞いてたぞ」
 言いながら三蔵の手は休む事なく動き、八戒の服を脱がせていく。シャツが捲られ素肌の上を手の平が滑れば、八戒の身体が小さく跳ねる。唇を落とし跡をつけ撫で上げていく電光石火の早業に、どうも納得のいかない八戒は口を開く。
 「さっきまで熱中症になりかけて、息も絶え絶えだった人とは思えない動きですね」
 「だから栄養補給をするんだろうが」
 「だったら先程持って来た西瓜を食べればいいんです。塩もかければ丁度良いじゃないですか」
 「あんなでかい西瓜、冷えるまで時間が掛かるだろうが」
 とそこで言葉を切った三蔵は、顔を上げて唇の端を吊り上げた。
 「持って帰るのはごめんだからな。良く冷えた西瓜を食って帰るぞ」
 西瓜が冷えるまで付き合えと言われて八戒は、縛られた自分の手首を見てから嘘でしょう、と呟いた。


 浴槽で水風呂に浸かる大きな西瓜が、真っ赤な果実を晒したのは随分と後の事
 その後、八戒宛てに大量の浴衣と帯が届いたのはまた別の話




原作設定:旅に出る前の2人
塩分摂取目安は0.1〜0.2%の塩分量。麦茶0.5〜1リットルに対して梅干一個

2006/08/05