「八戒ありがと」
 そう言って雀卓に片手を付いた悟空は、八戒の頬にキスをした。
 「てっめぇ何しやがる!?」
 「
――― どういうつもりだ、猿」
 烈火の如く吠える悟浄の怒鳴り声と、絶対零度のブリザードを伴った三蔵の呟きが、悟空に襲いかかる。
しかし言われた本人はケロリと返した。
 「だってこの前、悟浄が女の人にしてたじゃんか!感謝のしるしだって。だから俺の言いたい事ちゃんと判ってくれて、説明してくれた八戒にしたんだ」
 三蔵がジロリと横を睨むと、悟浄はあーあれねと頬を掻く。
 この前の街で一夜を共にした女に、別れ際頬にキスしたのを悟空に見られたのだ。あの女の人が好きなのか?と訊かれてちょっと世話になったから感謝のしるしだ、と悟浄は答えていた。

 「ガチャリ」
 間近で聞いた撃鉄の動く音に、パブロフの犬よろしく悟浄の身体は反応した。直後、銃弾が髪を掠めていく。
 「やっぱりてめえが、余計な事吹き込んでやがったな」
 曲芸のように弾を避けている悟浄だが、照準は合わせられたままだ。
 「待てよ!普通の事だろう!?たいした事じゃねぇだろーが。単なる親愛の行為だぜ」
 「そーだよ、普通の事なんだろ?何で二人とも怒ってんだよ。だったら2人だってすればいいじゃん。今回だって八戒に傷塞いでもらってんだし。あ、八戒いやだった?」
 呆気に取られていた八戒だったが、悟空に見つめられてにこりと笑う。
 「そんな事ないですよ。そうですね、2人に感謝してもらえるなら凄く嬉しいですよ」
 そう言って絶品の笑みを浮かべた八戒を前にして、悟浄と三蔵の背中に冷たいものが走る。
八戒の制止を聞かずに喧嘩した事を、二人は早くも後悔し始めていた。
 「あ、そうだ。さっきは結局俺が勝ったんだから、これでチャラな」
 何も賭けてなかったもんな、と言った悟空の言葉で三蔵のこめかみに青筋が立つ。

 別にするのはやぶさかじゃねーが俺はしたい時にする主義だ。くそっ何だって猿の言いなりにしなきゃならねーんだ。しかもどうして悟浄までするんだ。そこが許せん。大体なんで八戒もそれを許すんだ。もしかしてまだ怒ってるのか。怒ってんだな。これがおまえの報復か。だが俺は絶対に謝らんぞ。………。判った、その替わりしてやるよ。そうだな、どうせなら見せ付けてやるか。いや待てよ、おまえのいい顔をわざわざやつらに見せてやる事もねーな。だとしたらやっぱり悟空の言った通りにしてやるか。

 「ったく、いつから王様ゲームになったんだ」
 顔を上げた三蔵は、言うが早いか慣れた仕草で片手を添えると、八戒の頬に口付けた。
目を閉じて抗わずに受けた八戒の表情に、悟空がニッコリ笑うと悟浄が固まった。

 ちょっ待てよ、アレの後かよ!三蔵のヤツ先手を打ちやがったな。俺はお前らとは違うんだぞ!!大体どーしてこんな事になってんのよ!?猿てめぇ何てこと言いやがるんだ。それとも俺か?俺が悪いのか?!待て馬刀真手マテ落ち着け俺。確かに八戒は美人できれーだとは思うが紛う事なき男よ?それがどーしてあんな表情すんのよ?反則だろ?いや違うって、俺は女が好きなのよ。八戒は親友な訳よ。なのにその瞳はなによ?ご丁寧に斜め45℃の角度から見上げる完璧なおねだり視線はヤメロ。いや、やめて下さい。お願いです八戒サン。それは脅迫でしょ。なんか黒い羽とか尖った尻尾とか見えてんのは俺だけ?だから痛い視線を俺に向ける前に、八戒見ろよ三蔵。後ろだ後ろ…

 と心の中でお経を唱えるがごとく必死に言葉を並べたが、体は蛇に睨まれた蛙のようにまったく動かず、脂汗と冷汗を大量に掻いて愛の水中花となっている悟浄に、八戒はこれ以上ないくらいの微笑を浮かべた。
 
 「悟浄?」 
(※石田声)
 
 八戒の言葉でスイッチオンした悟浄ロボは、音がするくらい極限まで体を緊張させた。そして油の足りないブリキのおもちゃのように、ギシギシと関節を軋ませながら八戒へと近付いていく。もう少しで触れるという所で、伏し目がちな緑の瞳と視線が合い八戒が囁いた。
 「無理しなくても良いんですよ?」
 至近距離でこの瞳に見つめられて、果たして落ちないヤツはいるのか?と目眩を起こしながらも唇を耳元に寄せた。
 「な訳ねーだろ」
 染みついた条件反射で甘く響かせ頬に口付けると、緑の瞳が伏せられる。
 
 ようやく呪縛から解き放たれてよろりらと八戒から離れると、カミサマにやられた傷の痛みよりも、這い回るゾンビを見張っていた完徹よりも、ケタ違いの疲労が悟浄を襲い意識が遠のいてゆく。それに抗う体力はもはや残っておらず、悟浄は半ば気絶して床に転がり、そのままピクリとも動かず眠りについた。
 一人脱落者が出たためそこから眠気の渦が発生し、真っ先に悟空が巻き込まれる。
 元より食事をしていないため、体力ゲージはレッドラインだ。
 「あ
―― …俺ももうダメ…」
 同じように仰向けにひっくり返ると、悟空も垂直落下で眠りに沈んだ。
 足を伸ばしていた八戒の足を枕にしたのは気付かずに。


 自分の足の上で高鼾をかく悟空を見つめて、八戒は微笑む。
 「やっぱり悟空は凄いですねぇ。これでチャラですか」
 「ちっ、おまえが眠れねーだろ。どけろ」
 「構いませんよ、勝者優遇でしょう。頑張りましたからね、悟空は」
 優しい瞳で微笑む八戒を見て、三蔵はフンと鼻を鳴らした。
 それは事実であったし正直助けられたところもある。
がそれを素直に認めるのも癪に障るし、何よりも八戒の足枕で寝られるのは面白くなかった。

 完全に不貞寝を決め込み雀卓に沈むと、自分の上に影が落ちてきた。
 八戒の唇が頬に触れたのに驚いて顔を上げると、そこにはいつもの笑み。
 「残念賞です。あ、早く良くなるおまじないの方が良かったですか?」
 悪戯っぽい瞳を細めて微笑むと、八戒はベッドの脇へと凭れかかる。
 腹の上で手を組むのは、眠る時のこいつの癖
 「なら、よく眠れるまじないをしてやるよ」



  唇に触れるだけの口付けを
  マスターが2階に上がって来るまでもう少し



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2004/03/13