八戒が怪我をした。 ただの裂傷ならともかく、大事な目を傷つけられた。しかも両目だ。 瞼を手で覆い跪いた八戒に気付いて、敵を瞬殺すると急いで駆け寄る。と既に八戒は淡い光を放ち自らを気孔で治療していたが、大量の敵を倒した直後のためか、眼という部位のせいか上手くいかないと苦笑を洩らした。 三蔵が当て布をし、悟空が手を引き、悟浄がジープを運転して近くにあった町へと急いだ。運良く医者がいて診てもらうと、完治すると告げられて悟空などはほっとしたあまりその場にへたり込んでしまった。左眼は一日もすれば治るという事だが、右眼は特殊な義眼のため薬を取り寄せるのに時間が掛かると言われ、必然的に町に数日滞在する事となった。 「すみませんでした」 宿の2人部屋で三蔵と二人きりになると八戒は、何度となく言った言葉をもう一度繰り返した。 ベッドの上で上体を起こした八戒は、両眼に膏薬が入り布を当てられ(右眼は取り敢えずの薬らしい)、その上に包帯を巻かれて完全に視界を塞がれていた。見えない替わりに音や気配はいつにも増して敏感になったが、敵の細かな動きを察知するのは恐らく無理だろう。それ以前に皆の身の回りの世話も出来ず、逆に世話をして貰う立場になってしまっていた。戦力半減以下となってしまった状態で出来る事と言えば、早期回復に努めるしかなく、八戒はベッドの上で項垂れていた。 「飛ばされたモノクルも直さなきゃならんし、ここんとこ野宿も続いていたからな。丁度いいだろ。又おまえに倒れられでもしたら適わなんからな」 「あ、それってもしかして嫌味ですか?」 「おまえは言語理解力があるんだろ?ならとっとと休む事だな」 軽く煙草の箱を叩いてから、ライターのやすりが擦れる音がする。広がる煙草の匂いを嗅ぎながら、三蔵の機嫌もあまりよくないのが判った。当然だろう。皆の足を引っ張っている上に自分のせいで先へ進めないのだ。いつもならこんな時に出来る事があるのにそれすら出来ず、手持ち無沙汰と歯痒さに八戒はシーツを握り締めた。 「ですね。こんな時、貴方にコーヒーを淹れる事すら出来ないんですから」 「 ――― 飲むか?」 「え?」 「なら、俺が淹れてきてやる」 予想外の言葉に驚いて、顔を上げた八戒は思わず見えない三蔵を見た。先程まであった不機嫌なオーラが薄れている気がする。 「えっと、……はい。じゃあお願いします」 「判った」 椅子から立ち上がり扉が開閉する音と共に三蔵の気配が消えると、八戒は一人部屋に取り残される。 こんな時こそ三蔵の顔が見たいと思ってしまう そう言えば移動の時も食事の時も悟空と悟浄が競い合うようにして、大騒ぎしながら自分の世話をしてくれた事を思い出す。もしかして三蔵の不機嫌な理由が1つだけではなかったとしたら、と思い至る。 ――― 自惚れても良いのかな ――― そんな風に思っているとブーツの靴音が近付いて来て、扉が開くと同時にコーヒーの香りと三蔵が入ってきた。 「何、笑ってやがる」 少しぶっきらぼうに話す三蔵の声が照れを隠すように聞こえて、笑みが零れるのを抑えられない。 「だって三蔵にコーヒーを淹れてもらえるなんて、初めてですからね。嬉しいのは仕方ないでしょう」 「そういう事は飲んでみてから言うんだな」 と三蔵は更に近付いてカバーの上に置かれていた八戒の手を取った。 「え……」 手袋の柔らかい感触とリングの金属、そして少し骨ばった指からは温もりが八戒の手に伝わる。それらが八戒の指にマグの把手を取らせると、そっと離れていった。 「あ、ありがとうございます」 たったそれだけの事なのに、八戒の鼓動は早くなり自分自身に動揺してしまう。普段あれだけ接触を嫌う人が、2人だけになるとそうでもない事を知ってそれなりに経つというのに未だ戸惑う時がある。伝わる温もりが普通に在ることが嬉しくて、幸福をゆっくりと呑みこんでから、八戒はマグに口を付けた。まだ熱い液体を少しだけ含んで味わうと、ほどよい苦味が口中に広がる。 「美味しいです、三蔵」 「おまえが淹れるほどじゃねぇよ」 素っ気ない口調とは裏腹に、三蔵の機嫌が上昇しているのが判って八戒は微笑んだ。 「いえ、本当に美味しいですよ」 芳ばしい香りを楽しみながらもう一度熱い液体を呑み込むと、舌に残る苦さの中に深みも感じて本当に美味しいと思う。 「貴方にこんなに美味しいコーヒーを淹れてもらえるなら、怪我をするのも悪くありませんね。今度からたまにお願いしてもいいですか?」 「いいのか?高くつくぞ?」 言葉と同時に三蔵が間近に迫ったのに気付いて、問いかけの言葉を紡ごうとした唇が塞がれた。コーヒーの香りを押しのけて、染み付いたマルボロの匂いに包まれる。いつもと同じように目を閉じて口付けているにも関わらず、三蔵をより近くに感じる。開いた口に舌がすんなりと入り、絡めて撫であえば熱がじわりと生まれる。互いに残るコーヒーの苦味が甘いものへと変わるように感じるのは、目が見えないせいなのか。歯の裏側をなぞられ口腔を舐められると、八戒の躯がぞくりと震えた。 「…はっ……三…ぞ…」 いつもより熱が高まるのが早く、舌を吸われて息苦しくなり思わず三蔵を押しのけようとした手が止まる。右手にあるコーヒーの存在を思い出したのだ。三蔵の手に頬を包まれてキスの角度が変わる。 「……んん ―――っ」 抗議の言葉も喘ぐ息も呑み込まれて、熱だけが三蔵から与えられる。骨ばった指が頬から項へと回り、髪を乱すように下から上へと撫であげられてより深く口付けられる。意識が霞み始め唇の端から雫が伝い落ちる頃、八戒の右手からマグが消えてようやく唇が離れた。 「……はっ……は…ぁ…」 浅い呼吸を繰り返す八戒を手放さず、三蔵はベッドの上に座り肩へと凭れさせた。抱き締めて髪を梳くようにして撫でてやれば、そろりと手が上がり袖を掴まれた。 「………っさ…んぞ…」 熱い息の下から名を呼ぶ声には艶がかかり、思わず三蔵は口角を上げる。 「こんなお前が見られるなら、確かに怪我も悪くないかもな」 短時間のキスで溶けた八戒の躯を確かめるように、三蔵が耳の後ろに唇を寄せて吸い上げれば、それだけで過剰な反応が返る。抵抗のない躯を抱き締めたまま仰向けに寝かせると、少し上体を浮かせいつものように瞳を合わせた。 巻かれた白い包帯を見て、こんな時に翠の瞳が見れないのを残念に思う 人を引き込むような深い瞳は、時にその唇よりも雄弁に語る 前髪を掻き上げ露わになった額にキスを落とせば、三蔵を探すように八戒の手が上げられた。 「お代を貰うぞ」 宣告して三蔵は八戒の掌に口付ける。そのまま自分の頬に宛がうと、八戒から返答のキスを受け取る。 見えない瞳の替わりに饒舌となった八戒の躯は、三蔵を引き込み溺れさせ シーツの海で、2人はコーヒーよりも熱い時を過ごした。 |
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2004/07/20