―― Vacation ――




 ――どうやら、一度寝たらちょっとやそっとじゃ起きないらしい。

 真っ白なシーツの上に散る黒髪を掬い、明智はくすりと笑みを零す。
「……今なら、きっと何をしても分からないんでしょうね」
 指に絡ませた髪に口付けて、そのままそっと額にも触れさせる。
 起きている間は、絶対にさせてくれないようなコトをしてしまおう――。
 そうは思うが、こうも無防備な寝顔を見ていると、『昨夜の仕返しを』という考えすらも消え失せてしまう。
 隣に寝ながら、普段は滅多に見られぬ表情を、ゆっくりと堪能出来るだけでも良いのかも知れないが。
「って言うか、黙って見ていると色々辛い」
 幸せそうに眠っている高遠を睨みつけて、明智は振り切るようにベッドから下りる。
 ぬくもりを探すように、こてんと寝返りを打つ姿に、またもや理不尽な怒りを覚えた。
「私の休みを狙ってフラフラ来られても、コッチは困るんですからね」
 カーテンと窓を少しだけ開けて、外の空気を部屋に入れる。
 夏の朝特有の、目に眩しいような青空と、ひんやりとした風に、明智は気持ちよさそうに瞳を細めた。



「良い天気ですねぇ〜」
 ふにゃふにゃした声が背後から聞こえ、思わずがくりと肩を落とす。
 きっと、この段階では、まだまともな会話は無理だろう。
「お早うございます、高遠さん」
「おはよう、健悟」
 ベッドに寝そべったまま、高遠は「おいで」と明智を手招きする。
「はいはい。今日はやけに起きるのがゆっくりなんですね。 お疲れですか?」
「遅い?」
 ベッドの端に腰掛ける明智をぎゅっと抱き締めて、高遠は小首を傾げる。
 貸したシャツが大きかったのか、その瞬間白い首筋が露わになった。
 寝癖のついた髪を梳きながら、その高遠の様に、明智はとうとう笑ってしまう。
「別に、遅くはありませんが。――今日は、戻らなくて良いのですか?」
「僕も今日は一日お休みなんです。ねぇ、どっかお出かけしましょう?」
「無理ですよ、整理しなきゃならない書類もあるので、外には出られません」
「嫌だ」 
「『嫌だ』じゃありません、まったく」
 一体何処の世界に、殺人犯と仲良くデートする刑事が居るだろうか。
「ケチ」
 ぷくっとふくれる頬を引っ張って、明智は『失敗したな』と激しく後悔していた。
 この光景をビデオに収めて本人に見せるだけでも、かなり楽しいことになりそうな気がする。
 さらに、実際に売る気などないが、一部のマニアには、驚くような価格で取引されることにもなるであろう。
 ――ホント、私が悪徳警官じゃなくて良かったですねぇ。
 ポンと頭も撫でてやりながら、明智は自分の思考に思わず呆れてしまった。
「とにかく、先に朝食にしましょう?」
 いつもこんな状態で起きるのかは分からなかったが、少なくとも、この家での高遠は、笑えるぐらいに『寝ぼけ』の時間が長かった。
 先日など、「甘くないと嫌だ」と駄々をこねておきながら、砂糖とミルクを足したコーヒーを差し出すと、済ました顔で「砂糖、入れすぎじゃないですか?」とカップを返されて仰天した。
 コーヒーを飲んだ瞬間に、きちんと目が覚めたらしい。
 ……事件の渦中に居る時など、どうやって『普通』に起きているのだろうか?

「食べたらお出かけ出来ますか?」
「出来ません」
「そんなぁ」
 言いながら、ふてくされたようにまた寝っ転がる。
 ぷいっと顔を背けて、本格的にいじけ始めた。
「……ひどい。コッチはたまにしか会えないと思ってウキウキで来るのに」
「ウキウキって、あの……家の中でなら、いくらでも構ってあげますから」
「外に出たい」
 半泣きな顔に、明智は額を抑えて項垂れる。
 負けたらダメだと分かってはいても、口が勝手に『少しだけなら良いですよ』と言いそうになっていて非常に怖い。
 ……って、いつから自分は、子供の面倒を見る保育士になったんだ……。
「ね、ちょっとで良いから。一緒に、夕焼けが見たいの」
 何が『見たいの』だ、と怒る内心を余所に、口はしっかりと『分かりました』とえらく簡単に請け負ってしまっていた。
「ありがとう」
 ニッコリと笑ってお礼を言い、高遠はさらに言葉を続ける。
「――なら、今日は一日中デートが出来ますね。散歩して、お食事してホテルに行って……」
「――高遠さん」
 じろりと高遠を睨み、明智は腕を掴んで顔を近付ける。
「一体、ドコから起きてたんです?」
「え? ああ、『お疲れですか?』って所から。疲れてるのは貴方でしょうに、と思ったら自然と目が覚めました」
「……だいぶ前じゃないですか」
 整った顔をしかめて、明智はそう不機嫌に詰る。
 全く気付けなかったことが、心底悔しい。
「怒らない怒らない。体は平気? 歩けそう?」
「――平気です」
 怒ったように言って、明智は唐突に高遠を抱き締める。
「ちょ、ちょっと何です?」
「お仕置き。――まったく、あの無意味なやりとりがなきゃ、もっと早くに外へ出られたものを」
「『早く』って、遠出をするつもりだったんですか?」
「違います。あんな遙一を見なければ、私も『やってから出掛けよう』なんて思わなかったのに、って」

「え、ちょ、ちょっと待って」
 腕の中で暴れる高遠を封じて、明智はにやっと笑う。
「散歩も食事も、その後のホテルも、――別に、夕方からで十分ですよね?」
「な、何考えてるんですか! まだ朝の九時ですよ?」
 ベッド脇に置いてある時計を確認し、高遠は必死に抵抗を試みる。
「時間の長さ的には、昨夜とそう変わらないんじゃないですか?」
 両腕を捕らえ、明智は楽しそうに唇を合わせた。
「わ、私は、警視のようにねちねち時間をかけたりしてなかったでしょうが!」
「ねちねち?」
 にこやかに聞き返され、高遠はさらに焦る。
「いや、違くて、あの、待って」
「待ってたら、諦めてくれるんですか?」
「待ちませんよ、だって、困る……」
 顎を上げさせられて、本格的に口内を荒らされる。
 キスに集中する為に、明智は嫌がる高遠をベッドに押し倒すと、また改めて唇を合わせた。
「ほら、ちゃんとこうやって大人しくしてないと、あっという間に日が暮れて、夕焼けなんて見られなくなっちゃいますよ?」
「っね、もう騙さないから、だから、ホントやめ」
「――『やめて』ですって? それであなたが素直に帰ったことがありますか?」
「……ない……、かも、知れない」
 視線を逸らせて、高遠は口ごもる。
「まったく、何が嫌なんです? 『外でデート』っていう無理難題にも応えてあげようとしているのに」
「いや、だってなんか、外、普通に明るいですし」
「そりゃ朝ですからねぇ」
「それに、その」
 歯切れの悪い高遠の様子に、明智はふう、とため息をつく。
「怒らないから言ってみなさい。『痛いから嫌だ』とか言う理由なら却下ですからね」
「……違いますよ、そんなんじゃなくて、あの、……恥ずかしい、から」
「はい?」
 普通に台詞の意味が理解出来ず、明智はまじまじと高遠を見つめる。
 一体、この青年は何を言ったのだろうか。

「今、何か言いました?」
「は、恥ずかしいって言ったんです。無理なんですよ、キスだけだって、こんなに死にそうになってるんだから」
 そう言って、高遠は明智の視線から逃れるように顔を背けた。
「死にそうなんですか?」
「恥ずかしいし緊張するし、――だから、嫌です」
 こんなにも顔と声とが相手を誘っているのに、当の本人は全く気付いていないらしい。
 出来ることなら、望みの多くは叶えてやりたいと思っていたが、今回ばかりはさすがに無理なようである。
 ――やはり、諦めて貰おう。
「気にしていたカーテンは、また閉めておきますから。今日の所は、大人しくやらせて下さいね」
「……今後絶対、貴方の前では寝ぼけませんから」
 唇を合わせ、入り込む舌先を懸命に受け入れる。
 その、本当に緊張しているらしい高遠の様子に、明智は悪いと思いつつも笑ってしまった。
「私が下になれば、貴方も少しは安心しますか?」
「別に、私の緊張は体位の問題じゃありませんよ」
 高遠もつられたように笑って、明智の首筋に抱きつく。
 下りていくキスに、高遠はくすぐったそうに瞳を閉じた。
「されるキスも、抱かれる体も、考えただけで恥ずかしい。だから――コッチなら、全然平気なんですけど」
 顔を上げた明智の頬を両手で挟み、高遠は唇を合わせる。
「って、正直に話しても、ダメですよねぇ?」
 ――照れる理由など、『相手が貴方だから』という以外にある訳がない。
 だが、その理由をそのまま相手に伝えられるほど、高遠は素直に出来てはいなかった。
「ええ、ダメでしょうね。何故って、本当にソレが『答え』なのかも、今の私には分かりませんから。それに実は、貴方が寝ている間に色々とやってしまおうかと思っていたんですけど……。起きるまで、待っていたかいがありましたよ。――これで堂々と、あなたの体に悪戯が出来る」

「……あの。少しは人の話、理解してくれてます?」
「受け身の行為は恥ずかしいんでしょう? ちゃんと理解してますよ。『良いことを聞いた』と心の中で狂喜乱舞してましたから」
「――鬼警視」
「何とでも」
 くすりと笑って、明智は頬と唇に口付ける。
 眉をひそめて不機嫌な顔をしている高遠が、可愛らしくてしょうがなかった。
「何かご要望があれば言って下さいね。出来るかぎり善処致しますから」
「『して』と言ったらやってくれなさそうだし、『するな』と言ったらやりそうだから、もう何も言わない。――あんまり苛めると、今日のデートの時に、素顔で隣に並んであげますから覚悟して下さいね」
「了解致しました」
 丁寧に答えて、明智は高遠のシャツのボタンをゆっくりと外す。

 ――しかし、このままやって、夕方に出歩く元気が自分に残っているだろうか?

 絶対に怒られそうな疑問を感じつつ、陽の光の差し込む部屋で、明智は青年の緊張を解くように、その体をやわらかく抱き締めた。





<END>

文:和泉真砂様 絵:NATUKA



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