垂れ込める雲は厚く、どこか張り詰めたような空気に八戒は白い息を吐き出した。
道の分岐点に差しかかると、向こうから見知った人影がやって来るのが見える。八戒は持っている紙袋を一度抱え直し、再びゆっくりと歩き出した。
 「こんにちは、三蔵」
 「あぁ」
 道が1つとなった所で二人は出会い、立ち止まって挨拶を交わす。
 「今日は一人ですか?」
 「あぁ、法事の帰りでな」
 「よかったら家に寄っていきませんか?今日は凄く寒いですし、暖かいものでも淹れますよ」
 「…そうだな」
 
 二人は白い息を吐きながら、悟浄の家へと歩き始めた。
 早くもなく、かといって遅くもなく二人は寒空の中を並んで歩く。
 
 「天気予報ではこの後雪だそうですが、この分だと当たりそうですね」
 八戒が薄暗い灰色の空を見上げて話す時も、綿のような息が浮かぶ。
 「雪が降る時って何か気配がありませんか?」
 「確かにな」
 「なのにお坊さんって大変ですよね」
 白の法衣姿の三蔵を見て、ロングコートを着た八戒は体を僅かに震わせる。
 「お前が着込み過ぎるんじゃねーか?」
 「そうですか?街を歩いていた人達も、似たような格好をしていたと思いましたが」
 三蔵の視線に八戒は袋を片手で持ち、マフラーを掛けなおす。その手は手袋に覆われていた。
 「マフラーを貸しましょうか?それとも手袋の方がいいですか?」
 「いや、いい。お前の体温が低いのは良く知ってるからな」
 一瞬の沈黙の後、八戒の顔が火照ったように赤くなり三蔵は口角を上げた。
 「三蔵」
 「今少し体温が上がったんじゃねーか?」
 からかうような紫暗の瞳を、軽く睨むように見返した八戒の視界に違うものが映った。
 ひらひらと舞い降りた冬の知らせが、三蔵の金の髪に触れて溶けていく。
 「降り始めましたね」
 八戒の視線の先を追うように三蔵も空を見上げれば、後から後から白い雪が降りてきた。
 「願い事でもしてみますか?」
 「何だ?それは」
 「その年の初雪に願いをかけると叶うんだそうですよ。流れ星と同じに考えれば納得いきませんか?」


 どちらも儚くすぐに消えてしまう
 それらが存在する刹那の時間に強く願うこと


 「お前はしないのか?」
 「僕が見た中では最初のひとひらは貴方に落ちましたから」
 柔らかく微笑んだ笑みは舞い落ちる雪と重なって見えて、三蔵は舌打ちしたい気分になる。

 願いが届かないことなど知っているが
 願う事すらないのだろうかと

 雪は美しい結晶の姿を重ねて白い姿となり、八戒のこげ茶色の髪に触れて消えていった。
 「ならお前が叶えてみせろ」
 三蔵の言葉に翠の瞳が瞠られる。
言葉を無くしている八戒に三蔵は顎をしゃくって示すと、意図を察した翠の瞳は柔らかく細まった。
 「判りました。すぐに暖かいものを淹れますね」
 いつの間にか二人は家の近くまで来ていて、三蔵の金の髪には溶けなくなった雪が付き始めていた。
八戒はポケットから鍵を取り出すと、今度は雪明りのように笑った。



 降り始めた雪は止む事なく、更に勢いを増して辺りを白一色に染めていく。
曇りガラス越しにその様子を眺めていた三蔵は、白い息の替わりに紫煙を吐き出した。
 「お待ちどう様でした。どうぞ」
 オフホワイトのセーターを着た八戒が、白い湯気の立つカップをテーブルの上に置く。振り向いた三蔵は椅子に座ると先ずは一口、熱いコーヒーを味わう。舌を満足させた後、熱さは喉を通って染み渡り香りと共に広がっていく。三蔵は短くなった煙草を灰皿で潰すと、もう1つの匂いを消した。
 自分のマグにコーヒーを注いだ八戒は、外を気にして先程三蔵が立っていた窓辺に向かう。そして部屋の暖かさで曇ったガラスを少し擦り、暮れゆく雪景色を眺めた。
 「止みそうにありませんね。予報ですとあまり降らないような事も言ってたんですけど。どうしますか?三蔵。今夜は泊まっていきますか?」
 「ヤツはどうした?」
 「悟浄ですか?僕が買い物に行く時一緒に出掛けて、賭場に行くと言ってましたけど。この分じゃ今夜は帰って来ないんじゃないですか?」
 降り続く雪の向こうの見えない悟浄を心配するように、八戒は寒さを伝える窓辺から離れない。紫暗の瞳を眇めた三蔵は、まだ少し熱いコーヒーを一気に飲み干しカップを置いた。
 「八戒」
 「はい。あ、お替わりいかがですか?」
 三蔵の呼びかけで振り返った八戒は、空になったマグにすぐ気付いた。
 「あぁ。それと今日は泊まっていく」
 「判りました。じゃあ今夜は温まるものを作りますね。ポトフとかいかがですか?」
 「出来るまで待ってられんな」
 「でしたら、先にお風呂に入りますか?」
 注ぎ終えたコーヒーポットを置いた八戒は、三蔵を見つめて小首を傾げる。と手首を取られて引き寄せられた。
 「三蔵」
 「ったく、いつまでも窓に張り付いてやがるからだ」
 窓に置かれていた手は冷たく、三蔵は熱を分け与えるように握り締める。
 紫の瞳の温度に八戒は、溶けるような甘い笑みを浮かべた。
 「コーヒーは淹れましたけど」
 「飲み物とは言ってねーだろ」
 指を絡めて握りあった手は暖まり、緩やかな束縛に八戒は体を預ける。温もりに包まれて安心したように翠の瞳が閉じられる。けれどこげ茶色の髪はまだ冷たく、三蔵の頬に触れた。それが瞬く間に消えていく雪や星のように感じられて三蔵は、腕の中にある温もりを抱き締める手に力を込める。
 「足りねーんだよ」

 低い呟きに身体を震わせると、八戒は望みを叶えようとするように両腕を背中に回す。
 三蔵は願いをかけるように口付けた。



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2004/12/28