喫煙は本人の自由なんじゃない?


 多くの喫煙者がそう思っているようです。
 では、本当に自由なのでしょうか?

 というより、「自由」の意味を都合よく解釈しているようです。
 人間誰しも自分に都合のいいように物事を考えるものですが、それでもいい場合と、
 そうはいかないのではないか?という場合があるのではないでしょうか?
 規律のないところに真の自由はなく、ただ無秩序な世界があるだけなのです。
 どうも「自由=なんでも勝手にやれる」と思い込んでいる人が多いようです。
 もっとも、自由の国といわれるアメリカでも、最近では銃の問題や少年少女の犯罪、
 家庭の崩壊などと、かなり勝手なことがまかり通っているようで、個人の自由の尊重
 という名のもとに、犯罪者に対して甘い社会を作ってしまったようです。そんなもの
 は、もはや自由とは呼べません。
 日本も同じ傾向になりつつあるような気がします。
 自由=勝手ではありません。
 「自分の自由があれば他の人にも自由がある」という、「お互いの自由を尊重する
 ための秩序」を保ったうえでの自由といえますし、自由に振舞う上での責任というものが
 ついてまわります。

 ということから、喫煙は自由だというのであれば、煙を吸いたくない自由をも尊重
 することであり、周囲の人に害や不快感を与えない責任を負うことであり、自分勝手に
 煙や灰を撒き散らすことはできない、ということになります。

 じゃぁ、吸いたい時はどうすればいいのでしょうか?
 それは、煙を吸いたくない人に煙が行かないように喫煙すれば良いのです。