それまでの台枠で強度を確保する設計から大きく設計思想を見直し、 車体全体で強度を確保する「軽量構造」とした客車です。 1955年-1960年代に製造され、座席車(普通車、1等座席車→グリーン車)、寝台車(3等寝台→B寝台、2等寝台→A寝台)、 郵便車が製造されています。

模型はKATOから1988年頃の発売。 スロ62, オロネ10, オハネ12, スハネ16, オハネフ12, オシ17 という車種構成でした。 今からだと古典客車扱いですが、わずか数年前の1982年までまで定期運用で走っていたいたわけですから 引退直後、的な感じでした。
スロ62の妻板が適当とか突っ込みポイントはありますが基本設計が秀逸で発売から40年が経過してもなお 同じ金型で通用しているのはさすが。
トイレ・洗面所窓の「乳白色すりガラス」は後にも先にも採用されたのは10系客車だけで、 本物の見た目とは若干違うというのはあるものの(その後の白色塗装のほうがむしろホンモノっぽくはある)、 私はとても気に入っている表現です。

グリーンマックスのキットを作っていて、スロ62の窓枠もようやくまともに銀で色入れできるようになってきた頃な 私にとってはかなり刺激が強く、「思い出列車が走り出す」というキャッチコピーが書かれたポスターを(いきつけの模型店からもらった) 部屋に飾り発売を心待ちにしていた記憶があります。 その後、このくらいの期待感があった車両はGMのキハ45/23くらいかなぁ…。

スロ62

オハ61を改造して登場した特別二等車、オロ61を低屋根冷房化した車両です。 10系客車、軽量客車ではありませんが、寝台急行列車に10系客車とともに編成されることが多く 各社の商品ラインアップ上は10系客車の一員として扱われています。

屋根のベンチレーターを別パーツ化したうえで、灰色に塗装しています。 台車はTR52なのですが、車輪をスポーク車輪に交換。 スロ62形のページは別途作成予定なので、ここではさらっと。

オロネ10, スハネ16と連結したところを屋根から。 ベンチレーター別パーツ化はこれがやりたかったのです。

オロネ10

20系特急寝台車のナロネ21を一般形客車に設計変更する形で設計されており、とても似ています。 中央の廊下の両側にプルマン式の寝台が並ぶA寝台車で、 この構造は14系や24系のA寝台車まで共通ですね。 台車は空気ばねのTR55。床下にはディーゼル発電機、冷房装置が所狭しと並びます。

製品の屋根はオハネ・オハネフ・スロともども銀色に塗装されているのですが 実際にはオロネ10はすべり止めが張ってあり濃灰色ですので塗り替えています。 デッキのステップは黒に塗装(他の全車と共通)。 すごく細かい箇所ですがこれだけでかっこよくなった気がするから不思議です。

スハネ16

旧型客車の台枠を利用し、そこに新製した車体を載せたB寝台車です。 オロネ10・オハネフ12は全長が20.5mと若干長めになっているのですがスハネ16は20mです。 枕木方向の3段寝台が9区画ならび、寝台数は54。
台車は改造当初は種車のものまんまでばらばらでしたが、電気暖房化の際に自重増を抑えるためにTR23になったり となんだんかんだあったのち、最終的には冷房化に伴う自重増の際に乗り心地にすぐれるTR47に統一されました。
冷房化に伴い自重が増え、スハネ16へと形式変更されています。

製造量数は302両。 電気暖房を装備しなかったオハネ12は東海道筋、スハネ16のほうは北陸〜東北で主に運用されていたように思います。
台枠が丈夫だったのか冷房化に伴う床下へのディーゼル発電機の搭載や電気暖房化に伴うトランスの変更にも耐え、 末期まで運用されました。

屋根は艶消しの銀色を塗装したうえで黒で汚しています。 台車のTR47は初代のものがついているのですが、ブレーキシューが奥まった表現になっている スハ43系以降のものに交換しました。

こちらは廊下側です。
「見送り客が使いやすいように」配慮された、高い位置に一段下降窓が並ぶ姿が素敵です。 個人的には寝台側よりも廊下側が好みです。

オハネフ12

ナハ10とともに最初期に製造された寝台車、ナハネ10を緩急車化改造したナハネフ10を、更に冷房化した車両です。 寝台区画数はナハネ10時代には10区画で定員は60名と多かったのですが ナハネフ10への改造時に1区画が車掌室になり9区画54名となり、他のスハネ16, オハネ12などと定員がそろっています。

製造両数は110両。(うち10両は北海道用の500番台) 初期の車両は妻面にリブがありこれもナハ10と同じく10系客車の初期車の特徴です。 1-90はリブあり、91-100はリブがなくなるようです。 「山陰」「きたぐに」などで最末期まで運用されていました。

オハネフ12は、車掌室側のカプラーをマグネマティック#2001でボディマウント化し 端梁を工作しています。初期の工作のため車体との間に隙間があったり、ジャンパ栓が円柱だったりととやや拙いですが、 それでも編成端の雰囲気はずいぶんよくなります。 転落防止の鎖も付けたいなぁ。

車軸発電機はトミックス50系の部品を利用して台車装荷に変更しています。 他の車両もやる必要があるのですが、気が向いたときしかやらないのでなかなか進みません。

オシ17

食堂車です。
一般形客車の台枠を利用して作られたため全長は20.0mと「短い側」です。

食堂車なため、製造当初よりクーラーを装備しています。 レンジは石炭レンジ。 集中電源方式となった20系・24系、分散電源とはいえ大型のディーゼル発電機を搭載する14系以降は 電源の確保に困らなくなったため電気レンジになりましたが、 単独で運用される一般形客車は十分な電源が確保できず、そうはいきませんでした。
1972年の「きたぐに」の北陸トンネル列車火災事故ではこの車両が出火元となってしまい、 石炭レンジは無罪(火災原因は電機暖房の配線不良でした)ではあったのですが 世の中から疑いの目とバッシングを浴び、一足先に姿を消してしまいました。

国鉄が試験的に採用した、シュリーレン式の台車のTR53を履きます。 シュリーレン式は、スイスで多く使われており軸箱の案内が円筒でオイルダンパを兼ねている台車です。 日本では近鉄で多く採用されており、近畿車両が得意だったのと関係があるのかもしれません。 枕ばねを空気ばねにしたTR57というのもあり、こちらはわずかにオシ17 10の1両のみが装備しているそうです。 … 完全に試作ですね。
TR53は揺れ枕吊りがリンク式のTR53ものと外吊り式のTR53Aとがあり、KATOが再現しているのはTR53Aのほうですね。

国鉄でこの車両のみが使っているこの台車はグリーンマックスでは作っておらず、 グリーンマックスのキットではTR47かKDタイプが指定されていました。 当時若かった私は考えずに珍しさからKDタイプを選んだのですが、まぁ違ってましたね。 シュリーレン式でだからってのはわかりますが灰色の空気ばねの台車は…。

製品についている2018番はまさに北陸トンネル事故の出火元の車番でして、なぜにこの番号…。 所属を宮原にしており、宮原所属のオシ17を選ぶと当たった、だけなのかもしれませんが。