300番台の山スカ。
0番台に続き発売されました。
私も結構お世話になってるはずなのですが、当時は0番台と300番台の区別がついてませんでした。
吉祥寺発4時32分の始発に乗って高尾・大月・甲府と乗り継いで7時台には小淵沢。そこから八ヶ岳です。
調べてみたら中央夜行441Mといえば300番台、という方も多いようですね。

0番台は1966年の投入後、例のサハを挿んだ変則8連 (McM'Tc-TT-McM'Tc)で運用されてました。 客車の一部が電車化されましたが、まだ客車の普通列車も多く残っていました。 クモニ83-800、クモユニ82-800もこのときに作られていますので、長距離列車にはほとんど郵便・荷物車が連結されていたということでしょう。 KATOのマヌ34、スハ32系、EF13はこの時期ですね。

300番台の投入は1975年。伴って客車列車がすべて電車化されます。 300番台の投入後は300番台のほうが8連(McM'Tc-TT-McM'Tc)で運用され編成はほぼ固定、 0番台のほうは普通の編成(McM'TTc-McM'TTc)に組みなおさたそうで。
300番台と0番台は混結されることは基本的にはなかったようです。
中央夜行も電車化。ダイヤはほぼ客車時代そのままだったのであちこちに長時間停車が入りました。 そんなわけで441Mといえば300番台、になるのですね。

80年代に入るとサハの転出が始まり、編成はすべて3両で統一されていくわけです。

0番台同様、プラシートで幌座を厚くしました。
幌座の上部がαモデル製なのも同じです。
手すりはTAVASAのもので植え込み、ドアノブもつかめます。
渡り板はバルディーローズ。
ワイパーはサボって窓ガラスモールドのままにしました。

写真に撮るとオデコの塗り分け線が斜めになってるのが分かりますね。。。塗りなおそうかなぁ…。

更に戸当たりゴムにグレーを入れ、手掛けと半自動標記に銀を入れました。 半自動標記の銀はマスキングして吹き付けてみたりもしたのですが、 結局筆で銀を入れるのが良かったという結論です。
(トレジャータウンのインレタはまだ試してません…)

スノープロウはHB-E300用を塗装したものに交換。 本物と比べると台車に近すぎる気もしますが、厚みと角度があってかっこよいです。 クモハ115はポン付けできず、溶着しています。

新規パーツのPS23です。折りたたんだときの低い姿勢がきっちり表現され、秀逸。
グレーで塗装し、碍子も塗り分けました。フューズ箱もついでに碍子とともに色分け。

正面を別の角度から。やっぱりオデコが…。

電連付きの密連はKATOカプラー密連型#2に交換、 電連のせいで高さが高く、猪木状態だったスカートも165系のものにしました。 165系の流用なのであくまで流用、です。クモハはこの形態でほぼあたりなのですが、 クハはホンモノが片栓なのに両栓になってしまいます。

0番台は非冷房なので更に流用感が…。
あ、貫通幌も165系の薄いものを使ってます。(その前は削って使ってました…)


中央線な仲間たち。年末のアルプスが楽しみです。 183系/189系がないのですが…、381系はあるので篠ノ井線はできます。 101系は買ったのですが、201系は再生産待ち。電車は一気に両数が増えますね…

115系1000番台のリニューアルでKE76がパーツ化されたので取り付け。

やっぱこっちですよね、という雰囲気。
ちなみに栓受けのみでジャンパケーブルが付いていない写真も散見され(KATOの説明書写真もそれ)、 ケーブルがついてるのが正解だかついてないのが正解だかわかりません。
かっこいいのでケーブルつけてます。