陽ちゃん没後20周年に寄せて


   “白駒隙を過ぐ”の譬えもあるが、陽ちゃんが1990年2月10日、天に召されてから早20年が経った。存命であれば、この4月で84歳であるが、盟友・畑中良輔氏(この2月12日で88歳・米寿)が重鎮として矍鑠たる活躍をされていることを考えれば、陽ちゃんがどんな音楽活動を展開されていたのか、興味は尽きない。
   陽ちゃんの薫陶を受けた晩年の10年と没後の20年へ想いを寄せて、陽ちゃんが書いた文章を転用しながら、ランダムに追悼の気持ちを書いてみたいと思う。(ただし、今まで書いた内容と重複しないように注意しながら…。)
   命日にご霊前にお花をお贈り(送り)した。その夜、陽ちゃんが亡くなられた時刻(午後8時6分)の少し前に、奥様(暁子夫人)からお電話を頂戴し、思い出話や近況などをお話しし、その元気なご様子にとても嬉しい気持ちになりました。改めて、陽ちゃんの音楽活動を二人三脚で支えられた奥様のお気持ちを察した次第である。


【法政アカデミーOB合唱団 5th Concert】

   陽ちゃんの没後20周年のコンサートやイヴェントが陽ちゃんと関わりのあった音楽団体(合唱団・オペラ・オーケストラ)で行なわれているのか詳しいことは分からないが、陽ちゃんが創設し、亡くなるまで常任指揮者を務めていた法政アカデミー合唱団のOB合唱団が、2/20(土)サントリーホール(ブルーローズ)で開催した5thコンサートにおいて、その第3ステージを「福永陽一郎没後20年メモリアルステージ」と銘打って、陽ちゃんが合唱編曲した“ミュージカルファンタジー”を聴かせてくれたのは嬉しかった。陽ちゃんの高弟である指揮者の尾崎徹氏は、陽ちゃん編曲のミュージカルにおいて、陽ちゃんから継承した音楽のDNAを披露していたし、陽ちゃんのタクトで歌った経験のある団員達も“音楽するよろこび・歌うよろこび”に満ち溢れ、素晴らしい表情で歌っていた。
   陽ちゃんの奥様と娘さんも会場に招待されていたが、何よりも天上の陽ちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶような、そんな心温まる楽しく感動的なコンサートであった。


【批評家・福永陽一郎】

   オペラ指揮者・合唱指揮者および合唱音楽の編曲者として多大な足跡を遺した陽ちゃんだが、批評家・音楽評論家としても多くのファンを魅了し、多くの功績を残した。本質を鋭く突くユニークな文章は今日でも頻繁に引用されている。根っからの演奏家気質ゆえか、自分の主張や伝えたいことを極端に強調し、特定の対象(権威)に対しても歯に衣着せない表現で徹底的に批判をしていた。難解な言葉は遣わず、精神性やら普遍性が云々といった胡散臭い表現は皆無で簡潔明瞭、論旨が解りやすい特徴があった。音楽的趣味(好み)が同傾向にあるファンからは強く支持されたが、逆のケースでは反発を招いたり、嫌われていたかも知れない。しかし、その主張や論旨が正鵠を射ていることから、反対意見を持つ専門家(同業者)からも一定の評価を得ていたことも事実であり、一目置かれる存在だった。

   私は、陽ちゃんが「レコード芸術」や「音楽の友」「音楽現代」等の音楽雑誌や新聞、コンサートプログラムのために執筆した文章等の評論・批評、エッセイなどを、切り抜きやコピーで多数保管し、折に触れて読んでいるが、いまだにその炯眼に感化され続けているのである。読む度に鮮烈な影響と印象、感銘を受けている。

   とくに、指揮者を中心とした演奏家評・演奏論は素晴らしかった。音楽之友社から刊行された不朽の名著『私のレコード棚から〜世界の指揮者たち〜』は圧巻である。トスカニーニやワルターをケチョンケチョンに書いていることが当時話題となったが、フルトヴェングラーやクレンペラー、セル、バーンスタイン等の指揮者論は傑出している。これらの指揮者に関する指揮者論でこれを凌駕するものは存在しないと思う。その中でも、陽ちゃんが好きな指揮者とは思えないクレンペラー論はとくに秀逸である。これほどクレンペラーの演奏の本質に迫った演奏論はないと思う。この本は現在絶版であるが、「指揮者が書いた究極の指揮者論」である。是非復活してもらいたいものだ。続編として刊行された『私のレコード棚から〜世界のピアニストたち〜』/は、指揮者篇よりも客観的筆致で書かれており、こちらを高く評価する人が多かった記憶があるが、このピアニスト篇も元々ピアニストであった陽ちゃんならではの視点から書かれており、独特の面白さがある。陽ちゃんが最も影響を受けたアルフレッド・コルトーの文章(冒頭の数行を書いた直筆の原稿を所有している!)は私のお気に入りである。

   陽ちゃんの専門分野である「合唱」に関しては、極めて厳しかった。それは、合唱指揮者としての使命感や責任感からであろうか。自戒の念を込めて、合唱音楽の指導者に対してはとりわけ厳しかったが、その矛先は作曲家にも向けられていた。一切の妥協はなく、指導者(指揮者)が“合唱屋”に成り下がることを嫌っていた。合唱音楽が“合唱”という狭い世界で捉えられることに警鐘を鳴らしていた。音楽全般への感受性を最優先に考えていたのだと思う。

   いずれにせよ、音楽雑誌等のために執筆した陽ちゃんの評論・批評、指揮者論・演奏論、エッセイなどを整理し、1冊の本として刊行されることを期待したい!
「レコード芸術」や「音楽の友」からの文章では音楽之友社、「音楽現代」からの文章では芸術現代社に期待したい!


【『福永陽一郎 演奏ひとすじの道』と≪CONDUCTOR 福永陽一郎≫】

   法政アカデミー合唱団(混声合唱)のOGで、今も法政アカデミーOB合唱団でご活躍の鎌田雅子さんが2冊の素晴らしい本を編集・発行されている。
   1つは、「演奏ひとすじの道」で、1996年4月発行、陽ちゃんの生誕70年を記念したもの。
   もう1つは、この没後20年を記念して2月に発行された≪CONDUCTOR 福永陽一郎≫である。いずれも、盟友の畑中良輔氏と暁子夫人が一文を寄せている。自主出版に近い形であるが、その内容・体裁は素晴らしく、手応え十分である。私が前述した陽ちゃんの評論・批評を集めた本そのものである。
   「演奏ひとすじの道」の方は資料的価値も高く、陽ちゃんの音楽人生の全貌が見える自伝風エッセイ集である。
   ≪CONDUCTOR 福永陽一郎≫は鎌田さん手づくりの労作であり、以前、希望者に無料で送付(郵送)されていたものを冊子化したものだ。鎌田さんの陽ちゃんへの愛と敬意を感じるし、その使命感や執念には頭が下がる。そんな鎌田さんの心に火を点けた陽ちゃんの「音楽」と「人間」と「いきざま」に感動しています。
   この≪CONDUCTOR 福永陽一郎≫に掲載された文章の出典は満遍なく選ばれており、年代も古くは1963年から亡くなる直前の1989年までと、バランスが良い。その分量(文量)も凄いが、書かれている内容は鋭く、重く、熱く、音楽への愛と情熱も凄く、惹き込まれるものばかりである。
   陽ちゃんの熱烈なファンが編んだ、この2冊の本無くして陽ちゃんは語れないと思う。


【陽ちゃんが評価した指揮者】

   かつて、音楽雑誌で何度も実施されている指揮者ランキング等の企画に、陽ちゃんも何回か参加(投票)している。その際には投票の理由も書いている。その他の指揮者論や私が直接陽ちゃんから聞いた話などを総合して、陽ちゃんが評価した(好きだった)指揮者ベスト10を(やや独断と偏見かも知れないが)挙げてみたい。
   @フルトヴェングラー、Aバーンスタイン、BC.クライバー、Cストコフスキー、Dミュンシュ、Eセル、Fセラフィン、Gモントゥー、Hジュリーニ、Iバレンボイム
   これ以外では、サバータ、カンテルリ、シノーポリ、シャイー、ムーティ、アバドのイタリア勢、オーマンディ、レヴァイン、M.T.トーマス、インバル、テイト、小澤征爾、ラトルあたり。(すでに20年前以上に、ラトルの才能を見抜いていた!)
   陽ちゃんが神のように尊敬していたのがフルトヴェングラーであり、突出した存在であったと思う。私に対してはバーンスタインとクライバー、セルについて熱く語られていたことが印象に残っている。
   バーンスタインがCBSソニーからグラモフォンに移り、ウィーン・フィルとベートーヴェンやブラームスの交響曲全集、「ミサ・ソレムニス」、「フィデリオ」等をリリースし、大評判になっていた頃(多分、1970年後半〜1980年代前半の頃だと思う)、「ベートーヴェンの交響曲全集はバーンスタイン/ウィーン・フィルのセットがあれば十分!」という陽ちゃんの主張に対し、(大した量のレコードを聴いているわけでもない)私が偉そうに「全集であればイッセルシュテット/ウィーン・フィルやケンペ/ミュンヘン・フィル、スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリンあたりも素晴らしいと思います」と述べたところ、「それを言うならセル/クリーヴランド管弦楽団はどうですか?」と言われたので、正直に「聴いていません」と答えたところ、苦笑いされて、「では、ぜひ聴いて下さい」と言われた。その日の夜、藤沢のご自宅に立ち寄らせていただいた際、このセル/クリーヴランド管弦楽団の「全集」(豪華BOX入りのLPレコードで、冊子になったライナーノートは陽ちゃんが長文を執筆していた)をお土産に持たせてくれたのである。
   ちなみに、陽ちゃんが好きなピアニストは、コルトー、アルゲリッチ、アシュケナージ、ゼルギン、グルダ、ブレンデル、リヒテル、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ベロフ、ポリーニであった。


【陽ちゃん指揮のレコード評/C.クライバー指揮ウィーン・フィルの"ぶら・よん"】

   陽ちゃんは「音楽現代」でレコード評をはじめ、連載などを執筆していた。その中から、発売当時センセーションを巻き起こした、C.クライバー指揮ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第4番(ぶら・よん)のレコード評を以下に掲載します。

「このような演奏は聴いたことがなく、他に二度と聴けまいと思う(推薦)」

   これは、今月並んで出たスイトナー指揮の「田園」と正反対の、空前絶後の独自性だけで終始一貫した、一見しても百見しても"平均"とは隔絶した演奏である。メンゲルベルクのあの強烈な説得力の充満した指揮ぶりを聴いてから40年、数々の名演奏で聴いてきた『ぶら・よん』であるが、今日になって、こんなにも隅々まで一度も聴いたことがない鳴りかたで鳴らされているこの曲を聴くことになろうとは思いもしなかった。
   カルロス・クライバーの"音感"は、天から授けられた才能なのだろうが、最早、天才という言葉では追いつけないほどの、類を絶した超能力のように思える。このレコードで鳴っているオーケストラの音は、ウィーン・フィルのものに違いないが、しかし、いままで、どの指揮者の下でも出したことがないような、強靭な、膠質の固さを持つ、それでいて水気をたっぷりふくんで熟れている果実の芳醇と甘さもいっぱいたくわえている。しかも、蛍光塗料のように目を刺してくる攻撃的な光沢性を発散した、すべての音一個一個が、そのような鳴りかたをしているのだ。そして、その強烈な音が、実にスムーズに、わざわざそう鳴らしているという、やらせの雰囲気をいっさいともなわず、あるときは滔々と、あるときは優美このうえなく、全体としてはいつも流麗きわまりなく、どんどん、あとからあとから鳴ってくるのである。そして、そこには、楽譜に書かれている以上の造作はひとつも加えられていない。こんな鳴りかたをしたこの曲を聴くのは初めてだが、しかしここで鳴っているのは、寸分まぎれもないブラームスの第4交響曲なのである。
   第1楽章を開始するヴァイオリンの単音、あのフルトヴェングラーの、忘れ難い冒頭の一点ロ音(H音)の神秘音符。それがここでは実に簡単に、そして、まるで何気なく流れ去るように次の小節へ行ってしまう。この開始のしかた。これがカルロス・クライバーだ、と思うヒマもなく、聴き手は音の洪水に引っぱり込まれる。眩暈がするくらいである。あとは、指揮者の思うがままに引き摺り回されるだけ。終楽章の最終音まで、演奏を客体視することが不可能なくらい、相手の、つまりクライバーのやり口の自己中心は強烈の極みである。このやりたい放題と外攻型の表現主義は、あのレオポルド・ストコフスキーを想起させるくらいだ。そして、ストコフスキーがブラームスの指揮でしばしば成功していたことも。
   勿論、カルロス・クライバーは、ストコフスキーとはまったく別格の人で、親ゆずりの正当性をいささかも失っていないし、それに楽曲を歪曲するような進め方を本能的に拒絶するタイプでもある。こんな"鳴りっぱなし"のブラームスでよいのか、という声が内心から聞こえてくるが、しかしこれがブラームスでないという論が成立する見込みもまったく無い。このような『ぶら・よん』は聴いたことがなく、ほかに二度と聴けまいと思う。


【陽ちゃんとモーツアルトの交響曲40番ト短調 K.550】

   「音楽現代」の特集で、宇野功芳、藤田由之、福永陽一郎の三氏が、モーツアルトの主な交響曲と管弦曲について、各曲の名盤を3枚ずつ挙げて、その理由を書く、という企画があった。その折の交響曲第40番の陽ちゃんの項を掲載したい。

●バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(CBS)
●フルトヴェングラー/ウィーン・フィル(EMI)
●アバド/ロンドン交響楽団(グラモフォン)

   かつて、ずいぶん昔、もう今の読者諸氏の中には、まったく知らない人も多いのだろうが、私は、バーンスタインのモーツアルト演奏評をきっかけに大論争を巻き起こしたことがある。バーンスタインが40番交響曲を録音したのが1963年、もう20年も前のことになるか。−私が、このきわめて特異なモーツアルト演奏が、まるで『肉を切らせて骨を切る』という式の、命を賭けた指揮者の闘争の結果だと思ったのに反し、保守的な批評家が、反動的言辞を弄するならまだしも、単なる未熟者あつかいで簡単に書き飛ばしていたので憤慨して見せたところ、実名を挙げて書かなかった(書けなかった)ばかりに、私が面当てをした当の相手ではなく、考えてもしていなかったU氏−誰だかお判りでしょう−が受けて立たれて、猛烈に反論を展開された。その思い出の、"名盤"をここで外すわけにはゆかない。今日聴くなら、アバド盤(か昔からのセル盤)にするだろう。

※筆者註
   本文に興味を持った私が「"保守的な批評家"って誰ですか?」と聞いたことがある。陽ちゃんは笑って、「さて、誰でしょう?」と言われ、私が何人かの名前を挙げたところ、ポツリと「村田武雄という人です」と答えられました。「実名を書いたら編集局からNOと言われたので仕方なく…。そしたら、宇野さんが…。」と。権威におもねることのない、陽ちゃんらしい出来事だったと思う。当時の私のメモに、"好きな評論家"として、野村光一、吉田秀和、遠山一行、福永陽一郎、畑中良輔、高崎保男、横溝亮一、藤村貴彦、石堂淑朗と書かれている。一方、"嫌いな評論家"として、村田武雄、志鳥栄八郎、大木正興、宇野功芳、藤田由之、黒田恭一と書かれていました。これは偶然か?


【陽ちゃんにとっての演奏の良し悪しとは?】

   「聴いた人がいいと思えば、それでいい」(「音楽現代」に掲載された文章)

   演奏の良し悪しに、基準っていうのはないと思いますね。聴いた人がいいと思えば、そりゃいいんであってね、それを客観的に、普遍的には、良い悪いはいえないわけ、絶対に。
   悪いっていうのは・・・・・・自分が気に入らなければいけないわけですから。つまり聴いていて楽しくない演奏でしょう。それから、たとえば音がやたらにまちがっているとか、一定の規準に達しない演奏ってありますよね。それは誰にも勧められないでしょう。音がまちがっているとか、音が汚いとか。僕は芸術というのはきれいであるべきであって、汚いのは良くないと思う。前衛的な音楽と称して汚い音で何か作るっていうのは全然興味ない。
   芸術といわれる音楽、美術、文学というのは、全部人から人への働きかけが意味を持たなければならない。存在しているだけっていうのはいけない。
   好きな演奏というと、あからさまな言葉でいえば、でっち上げの感じられるのが好きですね。作り上げられた音楽。工夫を凝らし、どこかに特徴をつけ、誇張された音楽ね。それが好き。それをしないと音楽というのは、やる意味がないと思います。演奏されている以上、何か感じさせなきゃいけないと思う。あ、この人何かやってるなってことを、感じさせなきゃいけない。それを感じさせない演奏は意味がない。抵抗がなくて気持ちがいいという人もいるかも知れませんがね。僕の趣味じゃない。
   僕の好むのは、何か起こりそうなものね。すごいとか、あっ、こんなところでアクセントつけてとか、こんなところでテンポ落としてとか、そんな演奏が好みに合うね。


【1983年のホロヴィッツ初来日の陽ちゃん評】

   1983年のホロヴィッツ初来日公演はいろいろな意味で事件であった。当時5万円という高いチケット代、ミスタッチばかりでボロボロであった演奏、吉田秀和氏が「ひびの入った骨董品」と評したことなど…。実は陽ちゃんもこの演奏会を聴きに行っており、「音楽の友」の特集にコメントを寄せている。以下に掲載。

   ホロヴィッツは日本に来なかった。来たのは80歳の好々爺で、昔はかなり上手に弾けたかも知れないピアノの前に座って、すでにうろ覚えになっているいくつかの曲を、どうやら、やっとの思いで弾き終えた。精神がどこかに緩んでしまったような、ほっぺたのブヨブヨした白人だった。その老人は、自分の弾いたピアノ曲のひどい不完全さにもかかわらず、ひどく幸せそうだったが、その場に出席するためにとんでもない大金を払った客席の大多数は、ちっとも幸せではなかった。客席に居た1人としての私にしてみれば、此処に来ているのは断じてホロヴィッツではない、ホロヴィッツは日本に来なかった。そう思うしか救われようがないほど辛い気持ちで、痛む胸に耐えるのが精一杯であった。
   私は、その場に来たことを、ほとんど後悔していた。だいたいが、身体的に老化を来たした演奏家というのが嫌い、というかその存在を許せないというのが私の立場で、どんなに尊敬すべき業績を残した人でもあっても、筋肉を使って仕事をする人種の一種である以上、演奏家もスポーツマン同様、盛時を過ぎたら活動を停止すべきというのが、私の主張であった筈で、だからクレンペラーやベームの晩年、あるいは今日のケンプや調子の良くない日のルドルフ・ゼルキンなどに対して、ものが言えなくなる私なのである。
   ロンドン・コンサートのテレビで、ホロヴィッツに何が起こっているか知っていた筈の私がノコノコ出かけていったのが間違いだったのである。ただ、世紀の巨人のただ1度の来日が実現するという時に、それを見ない手はない、切符は手に入れてあげるから是非行きなさいと言ってくれた有り難い人がいて、ついその気になったのだ。
   コンサートでなくて、世紀の巨人の来日を歓迎するパーティーだったらよかったのに、そうだったら5万円も、惜しく思わずに、感激して会いに出かけたのに・・・・。


【「レコード芸術」2009年12月号 世界の名指揮者ベスト・ランキング2009】

   「レコード芸術」で古今東西の名指揮者をランキングする企画が実施されたが、≪読者によるランキング≫において、なんと"福永陽一郎"が49位に入っているのである!これは驚異であり、何が起きたのか、という感じでした。≪読者によるランキング≫は、@フルトヴェングラー、Aカラヤン、Bワルター、Cバーンスタイン、Dトスカニーニ、Eカルロス・クライバー、Fクレンペラー、Gムラヴィンスキー、Hベーム、Iチェリビダッケ、以下、セル、クナッパーツブッシュ、朝比奈隆、モントゥー、ジュリーニ、ミュンシュ、ショルティ、シューリヒト、クーベリック、ヴァントまでで、20位となる。日本人でいえば、13位に朝比奈隆、23位に小澤征爾、40位に山田一雄、46位に渡邉暁雄、49位に福永陽一郎と若杉弘となる。これは凄いことではないか!まさか、政治家の選挙みたいに組織票が入ったとは考えにくい。陽ちゃんの薫陶を受けた合唱ファンやオペラファン、藤沢エリアの人たちが投票したのだろうか。≪評論家によるランキング≫で票が無いため、≪総合ランキング≫では圏外(50位以内に入っていない)となっているが、評論家などまったく認めていない私からすると、≪読者によるランキング≫の方が断然信頼できるし、興味が持てる。

   音楽之友社では、この企画の延長線上で「世界の指揮者名鑑866」という本を刊行したが、日本人指揮者だけで100名も選出・掲載しているにもかかわらず、残念ながら"福永陽一郎"は載っていない。選定者の判断というか、執筆者(他の評論家)に疑念を抱きたくなる思いである。我が国のオペラ指揮者・合唱指揮者にも、もっと焦点を当てて欲しかったと思う。でも、≪読者によるランキング≫で総合49位、日本人指揮者の中で親交の深かった若杉弘と並んで5位という快挙に拍手を送りたい。

※日本人指揮者について
≪私が好きな指揮者(素晴らしいと思う指揮者)≫
@朝比奈隆、A山田一雄、B渡邉暁雄、C福永陽一郎、D若杉弘、E小澤征爾、F小林研一郎、G大野和士、H上岡敏之、I広上淳一
≪私が嫌いな指揮者(評価しない指揮者)≫
外山雄三、岩城宏之、大町陽一郎、秋山和慶、尾高忠明、佐渡裕
≪陽ちゃんが影響を受けた指揮者・関係の深かった日本人指揮者≫
近衛秀麿、山田一雄、森正、石丸寛、若杉弘、小林研一郎
・近衛秀麿は師匠(藤原義江、マンフレッド・グルリット同様影響を受けた人)
・山田一雄とは親交が深く、藤沢で<山田一雄の世界>を企画・挙行している。私は1983年藤沢で日本初演された「ウィリアム・テル」の本番直前のリハーサルを観に行った際、練習の合間に指揮台のすぐ後ろの座席に座っておられた山田一雄氏と陽ちゃんが談笑していたのを目撃している。ヤマカズさんは非常に興味深そうにリハーサルを観ておられた。
・森正はオペラの分野で先輩に当たり、ペアで仕事をした仲であり、オペラ指揮において陽ちゃんが一目置いていた人だ。
・石丸寛は生涯のライヴァルであり、盟友であった指揮者。一時期、九州で一緒に音楽活動をした仲間でもあった。陽ちゃん逝去の折には感動的な追悼文を新聞に寄稿されていた。
・若杉弘は陽ちゃんを"師"と呼び、終生慕い続けていた人である。
・小林研一郎は早稲田グリークラブ等で関係を深めた指揮者だが、陽ちゃん編曲<男声合唱版>のマーラー「さすらう若人の歌」を十八番にしている。また、陽ちゃん指揮同志社グリークラブによる「月光とピエロ」を聴いて「陽ちゃん凄いよ!フルトヴェングラーになったんじゃないのー。」と感想を述べられたこともある。
≪陽ちゃんの藤沢における音楽活動が影響を与えたと思われる指揮者≫
広上淳一(湘南学園出身)、大野和士、上岡敏之(ともに、湘南高校出身)の3人の指揮者が通っていた高校は藤沢にあり、当時の藤沢市民オペラや藤沢市民交響楽団、湘南地区の合唱団等を指揮して活発な音楽活動を展開していた陽ちゃんが、彼らに何かしらの影響を与えた可能性は高いと思う。大野和士はアマチュアの湘南弦楽合奏団の初代指揮者を務めていたし、上岡敏之は芸大在籍時に明治大学グリークラブの伴奏ピアノを弾いており(指揮者は外山浩爾)、当時の男声合唱界を牽引していた陽ちゃんとの接点があったと思う。広上淳一は藤沢市民交響楽団でヴェルディの「レクイエム」を指揮しているし、藤沢市民オペラで「ラ・ボエーム」も指揮している。陽ちゃんの言葉を借りると、この3人の有能な指揮者をインスパイアしたと思うわけである。


【陽ちゃん指揮の音源でCD化を希望したい音源】

   今となってはライヴ音源のCD化は難しいと思うので、スタジオ録音された音源の中でCD化されていないものを挙げたい。

・「クリスマス・キャロルス」(編曲・指揮) 二期会合唱団 東芝EMI
・多田武彦作品: 「雨」 小田原男声合唱団 東芝EMI
「柳河風俗詩」「中勘助の詩から」 日本アカデミー合唱団 東芝EMI
・大中 恩作品: 「わたしの動物園」「月と良寛」 二期会合唱団? 東芝EMI
・「フォスター名曲集」 CBSソニー四重奏団 CBSソニー 20AG28

   レコード会社とコラボレーションして貴重な音源をCD化する企画が活発化しているので、タワーレコードや山野楽器に期待したい!
   また、邦人の合唱作品のCDが廃盤中の東芝EMIの見識にも期待したい。 没後20年を記念して『福永陽一郎指揮合唱音楽全集』みたいな企画はどうだろうか。 上記の多田武彦の「雨」は歴史的な名演・名盤だと思うので、是非ともCD化を検討してもらいたい。「中勘助の詩から」では五十嵐喜芳氏の名唱も聴ける名演である。 そして、陽ちゃんがLPレコード時代に書いたライナーノートを何らかの形で復刻してもらいたい。


【陽ちゃんが選んだシンフォニー名曲30選&名盤60選】

   「音楽現代」の特集から。

作曲家 曲名 名盤1 名盤2
ハイドン NO100「軍隊」 ワルター/VPO マリナー/アカデミー室内O
NO101「時計」 ライナー/SO カラヤン/BPO(71)
モーツアルト NO29 ホグウッド/エンシュントCO スウィトナー/SD
NO40 フルトヴェングラー/VPO セル/クリーヴランドO
NO41「ジュピター」 アバド/LSO レヴァイン/VPO
ベートーヴェン NO3「エロイカ」 フルトヴェングラー/VPO(44) バーンスタイン/VPO
NO5 フルトヴェングラー/BPO (43) C.クライバー/VPO
NO6「田園」 ワルター/コロンビアSO スウィトナー/SB
NO7 フルトヴェングラー/VPO(50) C.クライバー/VPO
NO9「合唱」 フルトヴェングラー/BPO(42) ミュンシュ/BSO
シューベルト NO8「未完成」 ワルター/NYPO シノーポリ/PO
NO9「ザ・グレード」 フルトヴェングラー/BPO (42) ベーム/BPO
ベルリオーズ 「幻想」 ミュンシュ/パリ管 モントゥー/サンフランシスコSO
メンデルスゾーン NO3「スコットランド」 シャイー/LSO カラヤン/BPO
NO4「イタリア」 シノーポリ/PO ムーティ/NPO
シューマン NO4 フルトヴェングラー/BPO (53) カラヤン/BPO(71)
ブラームス NO1 フルトヴェングラー/BPO (52) ミュンシュ/パリO
NO2 フルトヴェングラー/BPO (52) ジュリーニ/LAPO
NO4 フルトヴェングラー/BPO (48) C.クライバー/VPO
チャイコフスキー NO4 カラヤン/BPO (71) フルトヴェングラー/VPO
NO5 シャイー/VPO ストコフスキー/フィラデルフィアO
NO6「悲愴」 カラヤン/BPO (71) マルティノン/VPO
ドヴォルザーク NO8「イギリス」 セル/クリーヴランドO (70) ジュリーニ/CSO
NO9「新世界より」 ストコフスキー/フィラデルフィアO ケルテス/VPO
マーラー NO1「巨人」 ワルター/コロンビアSO アバド/CSO
NO2「復活」 アバド/CSO テンシュテット/LPO
NO3 バーンスタイン/NYP (61) アバド/CSO
NO4 バーンスタイン/NYP (60) カラヤン/BPO
NO9 バルビローリ/BPO ジュリーニ/CSO
シベリウス NO2 カヤヌス/SO バーンスタイン/NYP

※この特集が何年年月号だったのか不明のため、あくまでも当時発売されていたレコード(CD)からのチョイスということになる。私が知る限り(陽ちゃんから聞いた話では)、マーラーの第9交響曲はバーンスタイン/BPOがベストと言っていたし、「復活」はレコード化されていないが、1972年の旧日本フィル解散コンサートで指揮した小澤征爾/日本フィルのライヴがベストと語っており、両音源ともカセットで所有されていた。マーラーについてはバーンスタインを別格とすると、アバドとテンシュテットに期待を寄せていると語っていた。「新世界より」はバーンスタイン/ニューヨークPOを私に強く薦めてくれたことがある。


【陽ちゃんが選んだ管弦楽曲名曲名盤30選】

   「音楽現代」の特集から。

作曲家 曲名 名盤
モーツアルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク ワルター/VPO
ベートーヴェン 「エグモント」序曲 フルトヴェングラー/BPO (47)
ウェーバー 「オベロン」序曲 フルトヴェングラー/VPO (50)
ロッシーニ 「どろぼうかささぎ」序曲 シャイー/ナショナルPO
ベルリオーズ 「ローマの謝肉祭」 バレンボイム/パリO
グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲 ムラヴィンスキー/レニングラードPO
メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲 クレンペラー/PO
「フィンガルの洞窟」 フルトヴェングラー/VPO (49)
リスト 交響詩「前奏曲」 フルトヴェングラー/VPO(50)
ワーグナー ジークフリート牧歌 マリナー/アカデミー室内O
ブラームス ハイドン変奏曲 フルトヴェングラー/VPO (43)
ポンキエルリ 時の踊り オーマンディ/フィラデルフィアO
サン=サーンス 動物の謝肉祭 プレートル/パリ音楽院O
ワルトトイフェル スケートをする人々 トスカニーニ/NBCSO
ムソルグスキー 展覧会の絵 ムーティ/フィラデルフィアO
チャイコフスキー 弦楽セレナーデ オーマンディ/フィラデルフィアO
シャブリエ 狂詩曲「スペイン」 オーマンディ/フィラデルフィアO
R.コルサコフ シェエラザード モントゥー/サンフランシスコSO
スペイン奇想曲 ロストロポーヴィチ/パリO
R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」 カラヤン/VPO
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル」 フルトヴェングラー/VPO (54)
シベリウス 交響詩「フィンランディア」 カラヤン/BPO (84)
ラヴェル スペイン狂詩曲 ブーレーズ/クリーヴランドO
ボレロ ショルティ/シカゴSO
ファリャ 「三角帽子」組曲 ムーティ/フィラデルフィアO
レスピーギ 交響詩「ローマの松」 小澤征爾/ボストンSO
バルトーク 管弦楽のための協奏曲 ショルティ/シカゴSO
イベール 組曲「寄港地」 マルティノン/フランス国立O
ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー バーンスタイン/コロンビアSO
ブリテン 青少年のための管弦楽入門 ブリテン/LSO

※こちらの特集も何年年月号だったのか不明のため、あくまでも当時発売されていたレコード(CD)からのチョイスということになる。「シュエラザード」(「幻想」も!)について陽ちゃんは、モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団を私に薦めてくれた。また、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏も絶賛されていた。


【陽ちゃんが選んだ「名盤コレクション〜私の愛聴盤ベスト10〜」】

   音楽之友社1983年11月刊行「名盤コレクション」の特集から。

作曲家 曲名 名盤
ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」 フルトヴェングラー/BPO (42)
ブラームス 交響曲第4番 フルトヴェングラー/BPO (48)
マーラー 交響曲第3番 バーンスタイン/NYPO (61)
バッハ ブランデンブルク協奏曲 ピノック/イングリッシュ・コンサート
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 デュ・プレ(vc),バレンボイム/シカゴSO
シューベルト 幻想曲ハ長調 ブッシュ(VC),ゼルギン(p)
ショパン 練習曲 ポリーニ(p)
マーラー さすらう若人の歌 F.ディースカウ(Br),フルトヴェングラー/PO
プッチーニ 歌劇「トスカ」 サバータ/ミラノ・スカラ座,カラス(S)等
J.シュトラウス 喜歌劇「こうもり」 C.クライバー/バイエルン国立歌劇場

≪ブッシュ、ゼルギンの幽玄な美しさにあふれたシューベルト≫

   この種類の企画、たとえば無人島に島流しになるとして、もし10枚だけレコードを持って行けるとしたら、というパターンなど、陳腐だけどよくある話で、まあ誰にとってもそれを選ぶ作業は、ゲームとしてもなかなか楽しいものに違いない。私自身、それをやってみる愉しみを嫌がる理由は何も無い。いままでも何度もやったことがある。ただ今回その作業を始めようとして、何故か昔より困難を感じる。まだコレクションが多くなかった頃のほうが、ずっと楽な気持ちで取り組めたという気がする。捨てて惜しくないレコードなど、もともと持っていないよ、という気がする。そのレコードにも、手放すことが不可能に思える理由がある。10枚に限って、いや20枚30枚であっても、自分にとっての特別の大切さを主張するというのは、出来難い相談だと思う。それ故、これから挙げる10枚のレコードの選択結果をあまりシヴィアに受け取らないでいただきたい。この次の同じような企画の時に、違った答えを出したとしても、攻撃しないでいただきたい。もちろん、これからやる選択を、いい加減に手を抜いてやろうというわけではない。それなりに私としても、のっぴきならない理由があって挙げるレコードばかりだけども、なおかつそれだけに限定してしまうことに対して、こだわりを捨てきれないだけである。

   前置きが長くなったが、何を言おうと、私とレコードのインティメートな付き合いを語るとなれば、まず第一に挙げなければならないのは、シューベルトの作品で、≪ピアノとヴァイオリンのための大幻想曲ハ長調D934≫を、アドルフ・ブッシュとルドルフ・ゼルギンが弾いているレコードである(これが筆頭にくるのは、1967年「レコード芸術」7月増刊号に、この種の企画に初めて寄稿した時から変わらない)。それは、1931年の録音だから、当然SPレコードである。HMV=EMI原盤で、日本ビクターからも、最初はHMV盤と同じDB1521〜23という番号で出ていた。私がそれこそ擦り切れるまで愛聴した盤を買った頃は、VD8203〜05という番号の3枚組であった。野村光一さんは著書『名曲に聴く』の中で「ブッシュ〜ゼルギンの二重奏としては代表的な演奏とは言えぬ」というふうな、やや批評的な表現の評だったが、同じ野村でも、あらえびすさんは、例の名著『名曲決定盤』で、「あの頑固一徹に見ゆるブッシュが、なんという美しい境地を持ったことであろう。≪大幻想曲≫に示した、幽玄不可思議な美しさはどうだろう。少し大袈裟に言ったならば、あらゆるヴァイオリン曲中、この曲ほど人の心にしみじみと食い入る美しさと、何人の心も浄化せずんば已まざる床しさを持つ曲が幾つあったであろう。単にブッシュのレコードとは言わない、あらゆるヴァイオリン、ピアノ二重奏中、この曲こそは、私の最も好きな曲の1つだと言ってもいい。そのうえ、ブッシュのヴァイオリンと、ゼルギンのピアノは、人間離れした幽玄な美しさを醸し出して、我らをこの世とも覚えぬ陶酔境に導くだろう(後略)。」と絶賛なさった。
   私が喋々する必要は無い。これだけ有れば十分で、付け加えることは何も無い。初め、私は『名曲決定盤』を読んでいなかった。この曲と演奏が好きで惚れ込んでいた私は、野村光一さんが褒めないのがいささか不平だったが、あらえびすさんの一文を読んだ時は心から快哉をさけんだのであった。
   戦争で住まいを焼いて、それまでのコレクションを全部失った私は、長い間、本当に長い間、この録音がLPに復刻されるのを待った。待ちに待った。しかし、EMIは日本の東芝がGR盤を相当数発売した後も、何故かこれを出そうとしなかった。さきに触れた増刊号の時、私はこのシューベルトの曲のことは書いたけれども、演奏(レコード)に関しては"代用品"を当てるしかなかった。シゲティ、ハイフェッツ、オイストラフ、その他LP以降何種類もこの曲のレコードは出たのだが、ブッシュ/ゼルギンを知っている身には、どれも満足できないのであった(その後に出たゴールドベルク/ルプーのも、クレーメル夫妻のも満足にはほど遠い)。ブッシュ/セルギン盤がGRシリーズに復刻されたのは、ようやく1972年のことであった。それまで私は、エラート・レーベルの、ミシェル・オークレールとジュヌヴィエーヴ・ジョワの二重奏でやっとこの曲に対する飢えを凌いできた。現在は、GR盤の他にドイツ・エレクトローラから出ている「FRANZ SCHUBERT IN HISTORISCHEN AUFNAHMEN」というアルバムの、一層再生音の良好な復刻盤で楽しんでいる。心が晴れぬ時、慰めや優しい励ましが欲しい時にまずいちばんに取り出すのがこのレコードであり、実際に片時も手放せない1枚である。この1枚にスペースを取り過ぎたが、これだけは私にとって掛け替えの無い絶対的な1枚なのである。

   あとは順不同。もし手元に無くて、聴きたいと思った時に直ちに聴けない状況になったりしたら、たちまち困ると思われるのは、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブラームスの第4交響曲(1948年10月24日のライヴEMI盤)、このレコードに対する私の想いの丈は、もう何度も語った。数多くあるフルトヴェングラーの名演奏盤の中でも、実際に演奏に立ち向かおうとしている時に、目標とすべき完成度を甘く設定しそうになると、私はこのレコードを聴いて我が身に鞭を打つことにしている。

   同じ曲を、本人であろうと他人であろうと、二度と再びこれ以上の歌唱ができる可能性を誰もが信じていない名唱が、かつてフルトヴェングラーの指揮の下でフィッシャー・ディースカウが歌ったマーラーの≪さすらう若人の歌≫。オーケストラがフィルハーモニアのスタジオ録音の分、彼自身、クーベリックの指揮で、また最近はバレンボイムのピアノ伴奏で歌ったのが出たが、現在のフィッシャー・ディースカウの上手さは、声も心情も純粋だった昔に比べて、意識された技巧がときに煩わしく聞こえる。あれがシュテファン・ソヴァイクいわくの「人類の星の時間」だったのだ。フルトヴェングラーとフィッシャー・ディースカウが出会ったのは。

   思い付くままに書いていると、話があっちこっちになるが、今度はオペラで、マリア・カラスの≪トスカ≫。ヴィクトリオ・デ・サバータが指揮した旧盤のほう。プッチーニに限らず、私の意見では、オペラ公演の成否は一に懸かってオーケストラがドラマを演じることがどうかにある。いちばんつまらないのが、オーケストラ(と指揮者)が伴奏を務めているケース。歌の歌詞が聞こえなくても、俳優(歌手)のしぐさが拙くても、なおオーケストラがドラマを演じて十分であれば、オペラは楽しめて然るべきものである、カラスの≪トスカ≫の旧盤でのデ・サバータとスカラ座のオーケストラは完璧で、劇の梗概さえ頭に入れておけば、イタリア語に不案内でも実際の舞台を眼前にしていなくても、そこで何が起こり、何がどうなったか、全部わかる。もちろん、カラスは今世紀最高のトスカを聴かせるし、ディ・ステファノの美声も若々しい。芝居達者のティト・ゴッビのスカルピア男爵は比類がない出来映え。軽いもので。カルロス・クライバー指揮の≪こうもり≫という一組。これも暇さえあれば聴きたくなるレコードとして、表から外せない気がするが、もし無くしたとしたらと思うだけで胸が落ち着かなくなるのは、やはり≪トスカ≫のほうである。日本で最初に発売されたコロンビア盤が擦り切れた時、イギリス・コロンビアの移籍が絡んで、しばらくこのレコードが買えない期間にあたって、やきもきしたことを思い出す。

   協奏曲で私が最高に好きだという曲はドヴォルザークのチェロ協奏曲である。ことわるまでもなく、カザルスの名演奏を長く楽しんできた。しかし、残念にももう二度とチェロが弾けなくなってしまった可哀想なジャクリーヌ・デュ・プレがソロを弾いて、旦那様のバレンボイムの指揮で演奏しているこの曲のレコードを、現在ではカザルスのより断然多く棚から取り出す。ジャクリーヌはチェロ協奏曲の名曲のすべてを、優れた演奏で録音しているが、このドヴォルザークの演奏は、たとえこの1曲しかレコードにしなかったとしても、彼女の名前を永久に残すことになったに違いない絶品である。

   最新のレコードで、ピノックそのほかの≪ブランデンブルク協奏曲≫。世の中は愉しい。人間世界はまだまだ捨てたものじゃない。そういった爽快な気分にしてくれる。それも哲学的観念としてではなく心身が踊る実感として、文学性を一切含まない絶対音楽のこの楽しさが与えられてこそ、音楽を聴く意味が生じるのだ。

−さて、愛聴という言葉にこだわると、私がよく出してきて聴くレコードは、マーラーの第3交響曲の終楽章と、ベートーヴェンの≪第9≫の第3楽章。前者がバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのもの(61年録音)。後者はフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの戦中のもの(42年ライヴ録音)。それから、誰か親友の死を悼む時にはバーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「エロイカ」を聴こう。第2楽章"葬送行進曲"がただ荘厳なだけでなく、人の心を抉る人間味で悲しみをうたっている。


【アルフレッド・コルトーさんへ】

「音楽現代」の特集『20世紀を代表する10人のピアニスト』から掲載。

   コルトーさん。あなたが亡くなって20年も過ぎ、若い人々の間では、あなたの名前など書物の活字でしかないようです。私も、代表的なピアニストを10人、挙げよといわれて、あなたをはずしました。いまの人々にとって、コルトーさんはまぼろしの存在かも知れないからです。ですが、コルトーさん、私にとっては、あなたの存在は、とても10人ならべる中でも同列に置けるような並のものではないのです。フルトヴェングラーは私にとっての神であるように、あなたも私にとっての神なのです。6歳の頃、初めてあなたの「舞踏への勧誘」のレコードを買ってもらって以来、ピアノ演奏といえば、コルトーの流儀が私の理想でした。あの右手と左手をわずかずらすやり方を、何度、真似てみたことでしょう。
   非凡な演奏こそ真実の音楽であることを教えられたのはあなたからです。それにあなたの生き方!!
   野心と成功、客気や衒い、洒落っ気、今でもどこかあなたを真似てる私です。


【陽ちゃんエトセトラ】

「陽ちゃんがDVDに!」

・NHKエンタープライズから発売されている「伝説のイタリア・オペラ・ライヴ 第3期」のDVDヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」のカーテンコールに若き日の陽ちゃん(41歳)が鮮明に映っている。合唱指揮を務めた舞台で、歌手達と一緒に何度もカーテンコールに応える陽ちゃんの姿に感動!

「芸大中退の理由」

・陽ちゃんが東京音楽学校(現・東京芸術大学)を、退学届を叩き付けて卒業直前に中退した理由は何か。学内体制の急激な変更に憤慨したとも、担当教授と卒業演奏曲の解釈に対して意見の相違があり、主張を曲げなかったともいわれているが、おそらくその両方であったと私は思う。

「ある年の暮れの思い出」

・何年の暮れのことか覚えていないが、その年の振り納めのコンサート(藤沢市民交響楽団)の日だった。演目はベートーヴェンの「第九」か、ハイドンの「天地創造」か、ヘンデルの「メサイア」だったか…。例年コンサート後はオーケストラの団員や合唱団員、スタッフ等との打ち上げに参加していた陽ちゃんだったが、この日は殊のほか体調がすぐれず、終演後は真っ直ぐに帰宅する、と言われ、私が(正確には私の父が運転する車で)藤沢市民会館からご自宅まで送ることになった。しかし、「食事だけはしてから帰ろう」ということになり、いつもの「ステーキルーム松阪」に立ち寄り(今はもうないお店)、好物の牛さしを食べてからご自宅に向かった。車には陽ちゃん夫妻と私の両親と私の5人が乗っていた。ご自宅に到着し、私が荷物を運んで玄関まで付き添うと、体調不良と疲労にもかかわらず、「ちょっと上がっていきますか?」と言われた。当然「お疲れですので、今日はこれで失礼します。良いお年をお迎え下さい。」と言って車に戻った。車中から様子を窺っていると、玄関に座り込み、靴を脱ぐのもだるそうに大きなため息をついて暫く苦しそうな表情をされていた。顔色も悪く、本当に疲れていて、体調が相当に悪いことが判った。その時、こちらが車中から見ていることに気付いた陽ちゃんが無理に笑ってくれて片手を軽く挙げて「来年もよろしく!」と言って下さった。車を出発させた父と母と私は、陽ちゃんのつらそうな様子を目の当たりにし、沈黙の時間が長く続いたのであった。腎臓病を患っていたので人工透析をしながら、東奔西走・八面六臂の音楽活動を展開していた陽ちゃんだったが、やはり健康状態はかなり悪かったことを思い知った年の暮れでした。今でも、玄関に座って苦しそうにしていた時の顔が浮かんできます。まさに、生命を賭けた音楽活動であったのだと思う。

「陽ちゃんとダークダックス」

・ダークダックスのデビューのきっかけをつくったのが陽ちゃんであったことは知る人ぞ知る事実だと思う。慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に籍を置いていたオリジナル・メンバーの4人は、藤原歌劇団で合唱を務めていた(アルバイト?)。そこの練習ピアニストであり、合唱指揮者だったのが陽ちゃんでした。陽ちゃんに「NHKのラジオに出てみない?」と誘われて、「昼の憩い」という番組に出演し、数曲ほど歌ったのがデビューのきっかけとなった。

「最近の指揮者」

・陽ちゃんが亡くなって20年、世界の指揮者界も顔ぶれが大きく変わった。マゼールやハイティンク、ブロムシュテット、サヴァリッシュのような無能かつ凡庸な指揮者は相変わらず健在だが、この間に注目されるようになったゲルギエフやラトル、ティレーマン、サロネン、チョン・ミュンフン、ヤンソンス、マーツァル、パーヴォ・ヤルヴィ等をどう評価されるか、聞いてみたかった。ヤンソンス、マーツァル、パーヴォ・ヤルヴィ(に加えて、準・メルクル)は三流以下だと思うが、どう思われるか?
・日本人指揮者で特筆すべき才能を持つ、オペラとオーケストラで素晴らしい演奏を聴かせる大野和士や上岡敏之、沼尻竜典をどう評価するのか?
・話は変わるが、陽ちゃんが最も尊敬し、素晴らしいと思っていた合唱指揮者は盟友でもあった畑中良輔氏だったと思う。これは、私の確信である。

「最近の男声合唱」

・陽ちゃんが畑中良輔氏や北村協一氏と男声合唱界を牽引していた時代と比べて、昨今の衰退ぶりは目に余る。名門・西南学院グリークラブは活動停止中。最高の実力を誇っていた東西四連(や東京六連)の各大学のグリークラブ(男声合唱団)も部員数の減少に悩み、その実力を維持向上できないでいるのが現状である。有能な指導者も少なく、ますます男声合唱界は音楽界全体の中で孤立化を深めているような気がする。天上の陽ちゃんはどう思って見ているのであろうか?
   そんな中で、陽ちゃんの最晩年に同志社グリークラブで指導を受けた伊東恵司が"なにわコラリアーズ"を中心に素晴らしい活躍をしている。ジョヴァンニ・クラシックレーベルから多田武彦作品などの名演奏をCD化もしている。その実力とユニークかつ有意義な活動の中に陽ちゃんの合唱DNAを感じることができる。ますますの活躍を期待したい!

「没後20年に寄せて」

   私が陽ちゃんの薫陶を受けたのが、18歳から28歳(1980年〜1990年)の頃で、音楽芸術の素晴らしさに目覚めた多感な青年にとっては偉大すぎる音楽家だったと思う。その"演奏""人間""いきざま"は今も心の中に生きている。没後20年に寄せて何か書こうと思ったが、想いが深く強いため、今まで書いたもの以上の追悼文は書けなかったので、陽ちゃんの文章を多く掲載させていただくことにした。
   今後も、私が音楽を聴き続けていく限り、陽ちゃんにインスパイアされ続けることと思うが、この没後20年をひとつの区切りとしたい。

   最後に、陽ちゃんの座右の銘ともいえるフルトヴェングラーの言葉を記したい。
「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある。」


2010年3月
大山 隆(48歳・横浜市 港北区 日吉在住)


 福永陽一郎Memorial