福永陽一郎と渡邉曉雄の本について


 1990年2月と6月に亡くなった2人の指揮者、福永陽一郎渡邉曉雄は、共に戦後の日本の音楽界に偉大な業績と足跡を残した音楽家だった。福永はオペラと合唱界で、また批評家としても活躍。渡邉はオーケストラ界のリーダー的存在として、その発展に多大な貢献をした人である。2人とも私が影響を受け、敬愛する音楽家であった。
 昨年、2人に関する本が出版された。
 1つは福永陽一郎『演奏ひとすじの道』で、福永の自伝風エッセイで自主出版である。福永の指導を受けた法政大学アカデミー合唱団のOBの方が編集したもので、内容は音楽雑誌に連載されたものや講演会で語った話などだが、福永が薫陶を受けた近衛秀麿や藤原義江を始め、登場人物は多岐にわたり、戦後のオペラ界の表も裏も知り尽くしていた福永ならではの貴重な証言となっている。終戦から始まり、学生時代のこと(今でいう学生運動-音楽観の相違-で、卒業間近に芸大を退学、謝罪文の代りに退学届を提出といった事件等)、藤原歌劇団時代・日本オペラ界の黎明のこと、イタリア歌劇団での体験、晩年に力を傾注した藤沢市民オペラのこと、合唱音楽のこと、アマチュア音楽家たちとの演奏活動のこと、そして福永の音楽観・演奏観・指揮者論等々が独特のユニークな文章表現で述べられおり、大変興味深く読むことができる。(巻末には福永の年譜と合唱曲の編曲譜一覧も掲載されている。)福永はアマチュアとの演奏活動が多く、その指導を受けた者も数多く、彼の生きざまや音楽性、人間性にインスパイアされた者から慕われ続けている。この本も彼の関係した音楽団体が開いた《生誕70年記念コンサート》当日の出版であった。福永の功績で忘れてはならないのが批評家としての存在意義である。「レコ芸」を始め、多くの音楽雑誌に批評を書いていた。著書(あの名著「私のレコード棚から」音楽之友社刊)もあるし、ライナーノートも数多く書いている。そして何より福永評論のファンが数多く存在する事実!福永の死後、批評家としての功績が形として現れてこないのが不思議であり残念で堪らない。福永評論を引用する批評家が散見されるように、彼の音楽論から教えられることは多いはずだ。今回の自主出版本がきっかけとなり、福永の書いた批評・評論をまとめた本の出版(音楽之友社)が実現することを望みたい。さらに、福永指揮の合唱曲のCD発売も期待したい!
 「楽壇の貴公子」「音楽界随一の紳士」といわれた渡邉曉雄は温容にして柔和な容貌と長身でスマートな容姿、穏やかな人柄と毅然とした行動力、忍耐強い実行力などで実に魅力的だった。その素敵な渡邉曉雄の写真集が音楽之友社(ミュージック・ギャラリー・ワイド)から出版された。渡邉と親交の深かった写真家・木之下晃が撮った写真は渡邉の人間としての魅力を見事なまでに写している。数多くの素敵な写真と船山隆と未亡人の文章から構成されており、晩年の渡邉を偲ぶのには最適な本である。
 渡邉曉雄の父は牧師(福永陽一郎の父も牧師であった)、母はフィンランド人の声楽家で、必然的にシベリウス演奏は素晴らしかった!ヘルシンキ・フィルの来日公演時に聴いた第七交響曲は空前絶後の名演だった。欧米で話題となったステレオ初のシベリウス交響曲全集(62年録音)の旧盤が昨年末にCDとして初めて発売され、初めて耳にしたが、黄金時代の日本フィルの演奏技術を最大限に生かし、シベリウスへの愛情を込め尽くした表現に深い感銘を受けた。81年盤同様、本当に素晴らしい「シベリウス交響曲全集」である。また、晩年に力を入れたマーラーや定評のあったフランス音楽、日本の現代音楽なども素晴らしい演奏であった。渡邉のオーケストラ界における功績は山田耕作や近衛秀麿、山田一雄(そして現役最年長の朝比奈隆)らに並ぶものだと思う。晩年、円熟の境地に達していただけに本当に惜しまれる死であった。(死の5カ月前、最後の演奏会で聴いたシベリウスの第二交響曲の名演が耳から離れない。)渡邉曉雄のライブ録音のCD化を期待したい!
 福永陽一郎と渡邉曉雄に関する本の出版を機に思うところ書いてみたが、朝比奈隆、若杉弘、小林研一郎、広上淳一の益々の活躍を祈念しつつ、ペンを置くことにしたい。

("陽ちゃん"と"暁さん"の素敵な笑顔を想いつつ・・・・。1998年 秋)

大山隆(37歳 会社員)

 福永陽一郎Memorial