CONDUCTOR 福永陽一郎

CONDUCTOR

2010年2月10日、「陽ちゃん」こと福永陽一郎氏の没後20年の日。
遺された珠玉の文章を集めた「CONDUCTOR 福永陽一郎」が発行されました。

福永氏の文章の魅力を伝えたい、
と鎌田雅子氏が11年間にわたって発行を続けた<CONDUCTOR>を、
B5判200ページあまりの冊子として改めて編集したものです。



まさに陽ちゃんは不滅。
陽ちゃんの呪縛力は永遠なのだ、と羨ましく思う。
再読、熟読の果て、この一冊で陽ちゃんの魔力を
現代の生きる力にして欲しい。

(畑中良輔)

読むたびに、夫の存在が生き生きと蘇ってきて、
嬉しさと恋しさに、胸が熱くなります。
音楽を愛する人達にとって糧となることがあれば、
これ以上の喜びはありません。

(福永暁子)

オペラや合唱への思い、アマチュア団体への優しさ、
一方で鋭い筆致で綴られた演奏論。
先生の文章を探しながら読んでいくうちに、
こうしてめぐりあった文章を、
福永先生を敬愛するたくさんの人に改めて読んでいただきたい
と思うようになりました。

(鎌田雅子)



本文より抜粋

やっぱり歌をうたう場合、言葉がわかるということが
とても問題だと思うんですよね。
言葉をわからずにうたっているということは、意味がないということが――
あまり最近でもないでしょうけれども、考えられ始めて、
日本人は日本語の歌をうたうのが本当ではないかということに
なってきたんじゃないかと思う。
   (「合唱指揮のポイント(その1)」より)

私は合唱とともに生き合唱とともに死ぬのだと自覚している。
自分の「生」と同一である以上、私は、合唱に関して真剣にならざるを得ない。
私にとって「合唱とは何であるか」という課題は、
真剣勝負で立ち向かうべき相手であった。
   (「日本の合唱は、今」より)

このところ、日本人の音感はずいぶん違ってきた、
若い世代にとって「西洋音階」は、いまや何ほどのことでもない。
そして、その条件下にあってこそ、もう一度振り返って、
二人以上の声が相手との関連で”音”を見つけることから
再出発することが必要なのではないか。
外面的な技術の上達を追求する余りに犯した、
合唱を「音楽」でない方向へ進ませた「あやまち」を、
今こそ正すべきであろう。
   (「日本の合唱は、今」より)

(上記は、HP作成者が任意に抜粋したものです)



目次より

(上記は、HP作成者が任意に抜粋したものです)



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