どこの空港でも降り立った瞬間にその土地の匂いがするものである。それが偶然の匂いで
あっても、私にとっては後々まで印象に残る記憶となる。カリフォルニア州サンノゼ空港に
降り立った瞬間、プーンと匂ったのは油の臭いだった。恐らくそれは飛行機のジェット燃料の
匂いだったのだろう。しかし私にとっては"アメリカ=オイル"のイメージという事になる。
アメリカに来るのは今回が初めてである。ドでかいアメ車がブルブルと音を立て、皆が道路を
我が物顔で走る。何となくではあるが、これが私の今までのアメリカに対するイメージだった。
しかし実際は全くその逆だった。州や地域で違いはあると思うが、ここカリフォルニアで見た
アメリカは、まず車の大きさが日本の道路を走っている車とさほど変わらず、道路を我が物顔で
走る者など一人もいないという事だ。ハイウェイを走っていても同じ事が言える。ウィンカーを出せば
基本的に親切に入れてくれる。これが日本ではどうだろうか。ウィンカーを出しても簡単には
入れてくれず、入れてくれないから無理に入ろうとする。場合によってはドライバーが血相を
変えて後ろから迫ってくる。アメリカと比較すると日本は全くもってケチ臭い国民性に感じる。
私が今まで見てきた国々の事を考えてみても、交通事情というのはその国やその地域の
人間性が最も顕著に現れているように思える。日本は道路が狭くて車が多いからカリカリするように
思えるが、そういう事も一因かもしれないが、カリカリの原因は実際はそれだけではない。
やはり島国の国民性だろう。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」。昔そういうキャッチがあったが、
日本の道路事情を考えるとそのキャッチはあまりにもはまり過ぎたキャッチであると思う。
たいして急いでもいないのに後ろからあおる者や無理に割り込む者、馬鹿みたいにスピードを出す者。
アメリカであればそういう人間は変人扱いされるに違いないだろう。

雨上がりのゴールデン・ゲート・ブリッジ
|
アメリカ人はマナーが良いとか悪いとかではなく、もっと深い意味があるように思う。
その一つは合理主義である。必要な考えを取り入れ不要な考えは捨てる。恐らくこれは多民族が
共存する為に必要不可欠な発想であり、長い歴史の中から必然的に備わった感覚に違いない。
積極的に笑顔を作る、道を譲る、これらは相手に不快感を与えずに仲良くやろうとする姿勢である。単に
思いやりがあるという事ではなく、結果的に自分も気分が良くなるというプラス思考の合理的発想である。
一言で表現すれば精神的に成長しているという事になる。しかしその反面、アメリカには
銃社会という恐ろしい一面が存在している事も事実である。
「NOと言えない日本」という言葉がある。これは元々政治的な背景から出てきた言葉であると
思うが、多くの日本人に言える事でもある。これは一見相手を傷つけまいとする気持ちの表れのように
思えるが、実はそうではない。はっきり「NO」と言えば相手に不快を与え、その結果自分が
不利な立場になる可能性がある。それが嫌なのではっきり「NO」と言わない。つまりは自己防衛に過ぎない
のである。しかしどういう表現を使っても結果的には「NO」と同じ意味になる。非常に遠まわしで
相手に意思が伝わるまでに時間がかかる。実にバカげた発想でくだらない非合理的な考え方である。
無理にでも仲良くしないと仲間に入れないのではないか。子供達はよくそういう発想をする。それが
できる子供は仲間に入る事ができ、またアホな大人達は世渡り上手だと褒めたりする。そしてそれができない
子供はいじめられたり仲間はずれにされて孤立する。そういう感覚が個性を奪い、意味のない集団主義を
作らせる要因の一つとなっている。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とはよく言ったものである。
これは決して団結心や協調心ではなく、ましてや勇気ではない。分かりやすく言えば一人では何もできない
暴走族の心境そのものだろう。こんな発想なんかファック・ユーだぜ。そういうくだらない発想には、
てめぇの頭をてめぇのケツに突っ込めと言いたくなる。この手の発想がいじめ体質の原因の一つに
なっているのは間違いないだろう。
Here is USA. ここにはくだらない発想は存在しない。
アメリカのハイウェイは基本的に無料である。その代わり道路そのものは日本に比べると少々ガタがきて
いる。しかし実用には十分耐え得る程度だ。日本のようにまだまだ使える道をほじくり返しては無駄な
工事を繰り返す風潮はアメリカにはきっとないのであろう。これも理に叶った考え方である。無駄な工事には
無駄なコストが発生し、結局は税金の無駄使いになる。いつか日本からそういう風潮が消える事を祈る事に
しよう。

渋滞中のハイウェイから見えるビルディング
|
さて、アメリカのハイウェイであるが、非常にわかりやすい構造になっている。出口を出て一般道に
降りると、すぐそこにまたハイウェイの入口がある。つまり出口を間違えてもすぐまたハイウェイに
入り直す事ができるという訳だ。日本の高速道路の場合はどうか。一旦出口を出ると"ハイさよなら"と
言わんばかりに二度と戻れない。運が良ければUターンしてうまく入りなおす事ができるかもしれないが、
決して利用者の立場で道路が作られているとは思えない。しくじると二度と日の目を見る事がない日本。
失敗してもチャンスだけは転がっているアメリカ。たかがハイウェイでもそのような差が出ているように感じた。
まさにハイウェイはマイウェイである。
私が外国の観光地に出かける日は何故か雨の日が多い。雨男なのか? いや違うはず。
でもこの日のサンフランシスコも雨だった。しかし雨のサンフランシスコもそれはそれで魅力的である。
雨上がりのゴールデン・ゲート・ブリッジなどそれは清々しい光景であった。

雲に覆われたサンフランシスコの街
|
♪アメリカ〜映画の中の〜American Dream〜。これは浜田省吾が唄う「America」の一節である。
アメリカン・ドリームを夢見て今回アメリカに行った訳ではないが、アメリカにいるだけで
不思議と歌詞のような気分になってしまうのが面白い。
もちろんアメリカに行けば誰しも成功する訳ではない。成功する人間などほんの一握りであり、
ほとんどの人間は努力の成果も虚しく、成功者の前にひざまずく事になるだろう。合理主義と
サービス主義。この国が競争と市場原理で成り立っている事を肌で感じる。
サンフランシスコの街を覆うドス黒い雲はまるで全てを覆い尽くすかのようだった。時折激しく降る
雨に身も心も洗われる思いがした。サンフランシスコの住宅街は坂が多い。車を降りて少し歩いてみたが、
坂のせいで私の場合はとても生活できそうにない気がした。常に車を足代わりにするか、または身体を
鍛えてからでなければこの街での生活はきっと疲れる。

繁華街のチャイナタウン
|
上の写真は少々わかりにくいが繁華街の中にあるチャイナタウンの写真である。至るところに漢字で
書かれた看板が立てられており、つい懐かしく感じる。キラキラ光るネオンの店にふらっと入りたくなるが、
今回は時間の関係でお預けとなってしまった。ただこの辺りのチャイナタウンの店に入るには下調べが
重要になる。そして多少の勇気が必要かもしれない。日本からカリフォルニアまで約9時間。
私にとっては長時間の旅である。しかしいつか再びこの街にふらっと来てみたい。寅さんのように・・・。
(終わり)
|