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第9作「柴又慕情」は数作ぶりに寅次郎がマドンナの結婚を知らされる作品である。第5作「望郷篇」
がそうであったように、どちらの作品もマドンナがこれから結婚するという事実を最後に知る事になる。この点だけを比較
すると第5作の時の方が寅次郎のショックは遥かに大きい。第5作はマドンナの結婚の事実を寅次郎に
知らせる事に最大の重点が置かれているのに対し、第9作はマドンナの気持ちの変化とその背景が叙情的に
表現されている。これは結婚を決心した時のマドンナの心境ではっきりとわかる。
第9作のマドンナ・歌子は結婚を決意するまでの気持ちの変化を終盤で寅次郎に淡々と語り、最後は
涙を流して結婚に対する覚悟を表現している。また、結婚についての相談を既婚者の博と櫻にしており、
これにより現実的な女心がテーマになっている事がわかる。
この作品と前作品までの大きな違いは、森川信さんが亡くなった事によりおいちゃん役が松村達雄さんに
代わった点である。この事でとらやのシーンでの喜劇性が少し薄れる事になるが、その分だけ松村達雄さんの独特のおいちゃん色
が出る事になる。
おいちゃん交代の裏で数作ぶりに登が登場する点は嬉しい。しかし登の登場するシーンは回を重ねる毎に
減っており、この作品ではほとんど印象が薄くなっている。
この作品のとらやでの寅談義には面白いシーンが二つある。一つは博の好物が「焼き茄子」で、櫻が
これに対して「貧乏暮らしの"地"が出る」と言うシーンである。このセリフに対して寅次郎は
歌子の前では下品な会話はやめるようにと真剣に怒り出す。「地」と「痔」を間違えた訳であるが、
この勘違いで場の雰囲気が完全に壊れるところが面白い。もう一つは歌子の「薔薇の花」の話である。
歌子の失恋話の中に「薔薇の花」の話が出て、おばちゃんがこれに対して意見を言う。この意見が元で
おいちゃんとおばちゃんは夫婦喧嘩をし、喧嘩を止めた寅次郎がその時に言ったセリフが実におかしい。
そのセリフはこうである。
「君は、一日、鼻の穴の掃除をしてりゃぁいいんだよ」
このセリフは何度聞いてもおかしい。とらや一同も全員大笑いとなるが、このシーンは喜劇性だけでは
なく、家族団欒や家族愛の大切さも喜劇を通して同時に表現している様に感じる。
印象的なシーンは寅次郎が口ずさんだ歌である。寅次郎はシリーズ中で多くの歌を口ずさむが、これらは
全て他人の歌である。しかしこの作品に限っては寅次郎を演じる渥美清さん本人の持ち歌が歌われている
のである。登と再会した寅次郎が金沢の宿で酒を飲みながら「チンガラホケキョーの唄」を歌うシーンがそれである。
歌子達が部屋で話をしているシーンで寅次郎の歌声だけがかすかに聞こえるというものであり、本人の持ち歌の
せいか他の歌を口ずさむシーンとは明らかに一線を引いている感がある。劇場では大きな音量で聞こえたはずであり、
公開当時はこの歌声に感動したファンが大勢いたに違いないだろう。もしかしたらこの歌はこの作品の為に
作られたのだろうか。いや、その前にこの歌は元々渥美清さんの持ち歌なのだろうか。この点は自信がない。
ちなみに歌詞の一部はこうである。
♪一、ニ〜の三、浅草の〜、ほらチンガラホ〜ケキョーの帰り道〜
でこ坊よぉ〜、帰ろうよ〜、男な〜ら我慢しな、フウフフ〜ン
第9作は終盤での寅次郎の別れのシーンがない。マドンナ歌子が結婚する事を知った寅次郎
は落ち込んでしまい、その後江戸川土手で自分の心境を櫻に語るシーンがある。この作品の場合、
寅次郎の別れのシーンはこの江戸川土手のシーンに吸収されていると考えられる。
ラスト前のシーンで寅次郎は歌子の嫁いだ先に一度だけ訪ねるが、実際のシーンはない。実際のシーン
はなくとも寅次郎がその時にどういう顔で、またどういう話をしたかは自然に頭に思い浮かんでくる。
第7作でも同様のシナリオがあったが、手紙や語りで寅次郎の事を伝えるという設定は以後の作品でも
度々見る事になる。多くの場合、この事は寅次郎がもうそこには居ないという意味になる。
同時に実際のシーンとは違う次元で寅次郎のイメージが無意識の中で膨らみ、結果的にそれが頭に焼き
付く効果につながるのではないだろうか。
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