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第7作はテーマの重い作品である。だがマドンナ・花子の存在を除けば、喜劇性などは他の作品と
同じに思える。喜劇性の濃い映画に障害者をテーマとして盛り込むのは難しい話である。難しいと
言うよりあまり意味がないと言った方が良い。なぜなら障害者を見ると可哀相な気持ちになり、
その後の喜劇を腹の底から笑えなくなってしまうからである。これは差別や哀れみではなく、人間
として自然に感じる感情である。しかし第7作でそれをあえてやったという事は、山田洋次監督はこの
シナリオを通して何かを伝えたかったからに違いない。
知恵遅れの障害を持つマドンナ・花子が最初に登場するのは沼津のラーメン屋である。店の客は花子と
寅次郎の二人だけ。花子がラーメンを食べて店を出た後、ラーメン屋の店主が寅次郎にこんな事を言った。
『お客さん、あの子ね、ここ(頭)が少しおかしいよ。そりゃね、ちょっと見には可愛い女の子で
通るけども、良く見てごらんよ、目なんざさ、変にこう間が抜けててさ、確かありゃあ、どっかの
紡績工場から逃げ出したに違いないよ。今人手不足だからね、工場の人事課長かなんかが田舎行って、
それでまぁ、ちょいと変な子だけども頭数だけ揃えておきゃあってんで引っぱってきたようなものの、
人並みに働かねぇ。しょっちゅう叱られてばかりいて嫌になって逃げ出すってやつだ。その内にまぁ、
悪い男かなんかに騙されて、バーだキャバレーだ、挙句の果てにゃあ、ストリップかなんかに売り飛ば
されちゃうんじゃねぇかなぁ、可哀相だなぁ』
これはかなりきついセリフである。例え他人事のセリフと言えども何故ここまできついセリフを入れたのか。
そして寅次郎が花子との結婚を決意した時のおいちゃん達の話し合いの中にも障害者を差別するかの
様なセリフが入っている。しかし、終盤に花子を連れ戻しに青森からやって来た教師・福士先生のセリフで、この
きつい雰囲気がひっくり返される事になる。福士先生のセリフはこうである。
『私としては、特別扱いする事なく、人間として生きていく自信を与えてやりたいと、そう思いまして、
つまり、ああいう障害児にこそ、密度の濃い教育が必要であると、そう思いまして・・・』
先のラーメン屋の店主の話は極端ではあるが考えられる発想かもしれない。誰かが手を差し伸べなければ
本当にそうなる人がいるかもしれない。そこで福士先生のような人が必要となるのである。これは想像に
過ぎないが、ここにこの作品の言いたい事が表現されており、そして山田洋次監督はその辺のところを強く訴え
たかったのではないかと感じる。
第7作のサブストーリーに寅次郎の母親の登場がある。母親の登場は第2作以来である。帝国ホテル
の部屋で母親と再会した時の寅次郎の態度はまるで小学生である。母親がさくらに昔話をしている
時の寅次郎の奇妙な行動は実におかしい。最後は例によって大喧嘩して別れる事になるが、その後花子と結婚する
事を決めた寅次郎は、自分から母親に連絡を入れている。第2作もそうであったが、寅次郎
とて根は親思いなのである。
笑えるシーンは寅次郎がニ回目にとらやに帰ってくる時のシーンである。花子がとらやにいるかも
しれないと思った寅次郎は、付け髭に色メガネをかけてとらやの前を行ったり来たりする。変装した
つもりらしいが、どこから見ても寅次郎にしか見えない。寅次郎はすぐそばの公衆電話からとらやに電話を入れ、
花子がいる事を知ると変装したままでとらやに掛け込む。その時の慌てぶりと顔つきは二度と忘れる事が
できない滑稽な光景である。
第7作の寅次郎は、マドンナに恋をするというよりは保護者的な感情が強いように感じられる。花子が青森
に帰った事を知った寅次郎は、カバンを持って無言でとらやを飛び出そうとする。普段なら何か一言言い残して
出て行く寅次郎だが、この時ばかりは止めるさくらの顔を突き飛ばして先を急ぐ。これは恋心というよりはほとんど
親心に近い心境ではないだろうか。そういう意味では第7作はそれまでの「男はつらいよ」とは少し趣向の違った
作品であると言える。
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