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第2作は寅次郎の涙を多く見る作品である。最初の涙は寅次郎が実母のお菊と再会した時である。寅次郎はお菊が葛飾で女中をしていた
頃に父である平造が産ませた子供で、本妻とは腹違いの子供である。お菊は寅次郎を産んでから姿をくらまし、その後寅次郎は平造の
本妻(櫻の母親)に育てられている。寅次郎はいつも父親から「お前は酔っ払って作った子供だから馬鹿なんだ」(第1作)と
罵られ、決して幸せな家庭環境で育った訳ではなかったようだ。
お菊は目の前にいる男が38年前に自分が産んだ息子・寅次郎だと分かると、ほんの一瞬だが母親の優しい表情を見せた。そして、
「お前、寅・・」と言いかけるがすぐに我に返り、商売人のお菊に戻るのである。再会した親子が涙ぐましい雰囲気になりそうな気配を
一瞬見せ、すぐにひっくり返して予想外の展開にする。これは山田洋次監督のお得意技かもしれない。だがこのシーンは単にそれだけではなく、
もっと深い意味が込められているように思う。
どんな事情があろうとも、自分が産んだ子供に対して母親としての愛情を注いでやれなかったお菊には、それが大きな罪である事は
痛いほどわかっている。母親として息子に優しくしてやりたい気持ちは山々であろうが、それは同時に自分への満足感や安らぎに繋がる。
お菊は罪を償う気持ちであえて寅次郎に対して冷たい態度をとったのではないだろうか。
ニ度目の涙は坪内散歩先生が亡くなった時である。この時は泣いて塞ぎ込んでいる寅次郎に御前様の渇が入った。
「一番悲しいのは娘の夏子の筈なのに夏子は全然泣いていない。お前は何をやっとる!」。この言葉で寅次郎は目覚め、
葬式に奮闘努力する事になる。勿論それは夏子への思いがあるからこそではあるが・・・。
三度目は夏子への思いが絶たれた時である。葬式の途中、薄暗い小部屋で藤村医師の胸で泣いている夏子を見た
とたん、寅次郎の夏子への思いは絶たれる。次から次へと悲しい出来事が寅次郎の身の回りで起こり、
葬式の後で櫻を前にした寅次郎は男泣きしてしまう。このシーンでは寅次郎が妹の櫻に母性を
感じている事がわかる。誰も分かってくれなくても妹だけは泣きながら分かってくれる。
理屈抜きで理解してくれる人は寅次郎にとって櫻以外いないのである。
第2作も第1作と同様ストーリーの展開が多い作品である。坪内先生役の東野英次郎さんの説教シーンが何度か
あり、演出は「水戸黄門」の場合と全く違うが説得力の威力は同じかもしれない。坪内先生が親身になって寅次郎の
事を考えてくれるあたりは「水戸黄門」の世直しと似ている気がする。
笑えるシーンは寅次郎が母親に冷たくされて柴又に帰ってくるあたりである。とらやの面々は寅次郎が母親に
冷たくされた事を連絡を受けて知っているので、博ができるだけ「母」とか「おかあさん」といった言葉は使わない様にとみんなに言う。そこへハンカチ
を顔に当てたままの寅次郎が夏子に肩を支えられながらとらやに帰ってくる。たったそれだけの演出でも何故か笑えてしまう
ところが「男はつらいよ」の魅力的なところである。
茶の間に座っても寅次郎はまだハンカチを顔に当てたまま何も話さない。誰かが気を遣って何か話すと、話題がいつの間にか
「母親」の事になってしまう。その度に寅次郎はハンカチを顔に強く押し当てる。考えてみれば凄くわざとらしい演出かもしれない。
しかしそこが喜劇の原点なのである。
第2作は「男はつらいよ」が悲劇を絶妙に織り交ぜた素晴らしい喜劇映画だという事を証明している作品だと言える。
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